4-2 いつだって正しい人
「響子さん、プール行きましょう」
「殴るわよ?」
「それは殴る前に言う言葉だと思うんですけど」
俺は額を押さえる。響子さんは握った拳を膝に戻すと、読書へと戻っていった。読んでいる本は『光の王』だ。響子さんへの個人的イメージは純文学なのだけれど、SFもファンタジーも問わず読んでいるなあというのがこの半年での印象だった。
恋愛小説とかライトノベルは読まないのだろうか。案外、可愛い小動物の載ってる本とか食い入って読んでそうではある。
PIRO北海道支局の長机が俺たちの定位置だった。自分たちの作業デスクを持たない俺たちは、ソファの置かれた長机に基本的に構えて、自分たちの書類仕事や出動までの待機時間を過ごしているのである。
「だいたい、何で急にプールなのよ」
本から目を離さないまま、響子さんは言った。
「クラスメイトと行くって話になりまして」
「だったらその子たちと行ってくればいいじゃない」
「そ、その、なるべく俺の知り合いで固めたいなあって思うんですよ」
「もしかして、四月だかに合コンだとか言ってたときの子たち?」
「よく覚えてますね」
じろり、と本の向こう側から鋭い目が向けられる。あまり突っつかない方が良さそうだった。
「こんな寒い中でプールの話ができるなんて、正気じゃないわ」
そうは言うが、暑がりの響子さんは薄手である。
俺が異様に寒がりなのはさておき、他の人と比較しても響子さんは軽装である。ブレザーは羽織っていても、下にカーディガンを着るなどは特にない。冬でもコートを着ているような覚えもあまりなかった。
彼女の術のプロセスは特殊だ。呪術に加えて、自らの内にある霊力をそのまま変換し術と同等の威力や能力を持たせて操ることができる。器用さと緊急性が求められるときにどれほど有用かは、響子さんと仕事をしていて思い知っている。
思えば、この北海道支局の学生は、PIROの平均的な捜査員からは大きく外れている。擬神器に頼らないで戦うのが自分と響子さんであり、唯一の擬神器使いたる鶴喰は神道の神々ではなく、アイヌの神々から力を借りている。
曲者揃いのこの支局をまとめる橘支局長の苦労も一入だろうと感じさせられる。
俺が出会った中で唯一、一般的なPIRO職員と言えば桧取沢歓奈さんくらいだが……あの人を一般と言ってしまうのは躊躇いがある。
「そういえば、荷物届いてたな」
自分宛てのポストの上を見れば木箱があった。
それを持って響子さんの元に戻ると、彼女は異様に嫌な顔をした。本を閉じると、箱を覗き込んでくる。
「それ、誰からよ」
「歓奈さんですよ。関東支局の」
「ふうん……そういえばあなたを北海道に連れてきたのも彼女だったわね」
「どうしてかは知りませんけど」
未だ彼女との因縁は明かされぬままだ。
鎌倉において社家を継ぐことになっているという歓奈さんは、見るからに良家の娘という雰囲気を持つ人だった。
そんな人がいかなる理由で俺の相手をしているかはわからない。PIROの中での役割分担ゆえか、猿神のせいか、あるいは俺の与り知らぬ理由があるのか。
今では何かと世話を焼いてくる。卒業祝いだ入学祝いだと手紙と品を送ってきては、サブレなどは女性陣の餌食になっていた。
俺の手元に残るのは小言ばかり書かれた手紙である。母よりも母のようなことをするのが、俺にとっての歓奈さんであった。
が、いつもはダンボール箱であったが、このときばかりはヒノキの木箱であった。
封を開ければ、中から出てきたのは手紙と漆を塗られた黒い箱である。いつもと違う様子に、俺と響子さんも眉をひそめた。
「まずは手紙から」
「何で正座してるのかしら」
「い、いや、なんとなくです」
俺がソファの上に正座をすると、すかさず響子さんからツッコミが入る。うん、確かに何で正座をしているんだろう。
手紙を開けば、整った字が羅列している。数回しか見ていないがすぐにわかる、歓奈さんの字であった。
最初の方はやはりお小言がいくつも並んでいて、元気にしているかや連絡は寄越すようになど。それとなく、関東支局の人員が近々北海道を訪れるので相手してほしいとか添えられている。かえって俺に関東へ来る予定はあるか、と聞くのも忘れてない。
そのあたりは斜め読みで飛ばし、後半に入ればようやく本題に入ってくる。
「占いで凶兆が出てる……?」
曰く、桧取沢家が行った占いでは、札幌に何かしらの災厄が起こること。そして卜部凜の占いによっても似た内容が示されたため、援助を行うことにしたとあった。
「援助ねえ、それがこの箱ってこと?」
「災いが詰まってる、ということはないでしょう」
「さしずめあの女がパンドラってところ? それこそ悪い冗談じゃないかしら」
などと言いながら、今度は箱の方を開ける。
そこにあったのは一本の矢であった。
「丹塗矢……?」
「これが援助ねえ。ウチには弓取りなんていないのだけれど」
響子さんの指摘はごもっともである。
丹塗矢『火雷』は、木行によって雷を誘導するという絶大な威力を誇る兵装だと説明されている。
しかし、北海道支局には弓を扱う者はいない。
俺は使えなくはないのかもしれないが、果たして弓の擬神器が北海道支局にあるのか、俺に適合するのかは不明だった。
「まあ、使えないものを送ってくるような人ではないでしょう。必要だと思って送ってきたなら、そういうことです」
「ずいぶん評価しているのね」
「そんなことはないですけど。いつだって正しい人だと思いますよ、あの人は」
「…………」
じろり、と響子さんは俺を睨みつける。
何を言わんとしているのかはわからなかったが、迂闊な言葉であっただろうと察する。
俺も、自分にしては喋りすぎたなと思っていた。どうにも歓奈さんのことになると饒舌になってしまう。
「とりあえず、支局長にも伝えておきましょう。そもそもこういう話は、支局長を通すのが筋でしょうに」
「兵装の所持ですしね」
局員がこっそり、追加で武器を持っていたなどと知られてしまえば大ごとである。
そもそも武器の管理はきちんと数字で為されているはずなのだから、北海道でも関東でも問題になってしまうだろう。
周りを見渡すが、いるのは書類業務を行っている事務員である。数名しかいないため全員顔見知りであるが、バイトでまかなっている部分もあるため全員が揃っているということはまずない。
話すのはまた後でにしよう、となり、響子さんは再び読書へと戻っていく。
「しかし、札幌で凶兆か。この寒さもそれなんですかね」
「それはどうでしょう。気象を操る妖は当然いるでしょうけれど」
「あ、そうだ。響子さんに聞きたいことがあったんだった」
何かしら、と響子さんは俺の方を向いた。
「札幌の地下って、どうなってるんです? 地下鉄とかじゃなくて、大きな空洞とかってありますかね」
床暖房の逆、床冷房とでも言うべきものがあるかもしれない。そして俺には、それを可能とする存在に心当たりがあった。
それこそがシアンカムイという存在だ。
このときばかりは珍しく、響子さんは驚いたような顔を浮かべていた。




