4-1 スク水は無理そうだ
「七月だってのに寒いなあ」
近石がそうぼやいた。
札幌でも七月になれば相応に暑くなるようだった。夏になってしまえば日本全国どの地域でも暑くなり、どこにいても気温は三十度を下らないという状態にさえなる。
だが、札幌の街にその兆候はなかった。いまでもブレザーを脱げないし、俺が寒がりだとしても、近石を含めてクラス全体がそんな雰囲気だ。
昼休み、珍しく俺の席まで飯を食いに来た近石は、ひとつの提案をもちかけてきたのだ。
曰く、オープンキャンパスを一緒に回らないか、と。
高校一年生の夏休みの課題としてあげられるそれは、生徒に将来的ビジョンを持って欲しいからだとか。
「みんな国立のところ行くんだってさ。まあ俺もだけど」
「一箇所でよかったんじゃないのか?」
「でもさー、私大とかも見ておきたいじゃん」
「なるほど」
どうやら近石を含むクラスでも騒がしいグループは、真面目なのかめんどくさがりなのか、国立大学しか見にいくつもりはないようだ。
近石の将来設計は知らないが、私大も候補にあるらしい。
俺も宿題をこなすためにどうしようか、と悩んでたあたりだから、渡りに船というやつだ。
「うん、まあ、行こう」
「っしゃ! また連絡するわ」
と、いう会話を経て、最初の言葉に戻る。
寒いなあ、とクラスからときどき聞こえるように、札幌が異様に冷え込んでいるというのは共通見解のようだった。
「プールの授業ないのかなあ」
「泳ぐの好きなのか?」
「ばっ、お前、目的は決まってんだろ」
などと声を潜めて言うが、その会話はお前のところが朝に大声でやってたやつだ。それから俺を巻き込むんじゃない。
「夏休みに誘えばいいだろ」
「お、おまえ、そんな熟練の技を……?」
なぜそんな尊敬の眼差しを向けてくるのか。
あと技なんてものはない。
「なーにこそこそ話してるの?」
と、俺の机に顎を乗せたのは柊さんだった。ぎょっとした近石が思わず椅子を引く。
「夏休みの予定の話」
「いいね! 私もよっしーと遊びたいなあ」
「俺はいらねーのかよ」
「近石くんとは遊ぶでしょ」
二人の会話を他所に、ごちそうさまと言って俺は弁当を畳み、ミネラルウォーターと菓子を取り出した。
「待て」
近石と柊さんの言葉が重なる。俺が首をかしげると、近石が代表してツッコミを入れる。
「なんでたのしいおすし……?」
「スーパーで見たら買いたくなっちゃって」
知育菓子と呼ばれるものの進歩は著しく、いまではお寿司屋さんを開けるようにまでなった。小さい頃は練れば練るほどなんとやらをよく欲しがっていたことを思い出し、つい買ってしまったのだ。
食べたくなった、ではないのがポイントな気がする。
「それ、雪花ちゃんに止められてないの? あの子けっこう、よっしーの食生活とか心配してると思うんだけど」
「だから学校で食うんだろ」
「嫁に隠れてタバコでも吸ってるのかお前は」
近石のツッコミに、言い得て妙だ、とも思うも、そもそも俺と鶴喰は結婚どころか付き合ってもいないのだ。口を出される謂れなんてない。
それでも意識してしまうのは、想像できてしまうからだろう。
「そのお弁当だってさあ、どう見ても」
「プール行かない? ウォータースライダーあるところがいい」
「逃げたな!? でもいいね、プール。もう少しあったかくなったら行きたいなあ」
と、わりと本気で柊さんは考えているようだった。
柊さんの向こうでは近石が何かを請うような視線を向けてくるが、いまは無視しておくのが吉だろう。
「つーか、もっとあったかくならないのかよー」
「床暖房入れようぜ、札幌に。冬は雪も解かせて最高じゃん」
「いいねそれ」
近石と柊さんがそんなことを言う。ばかばかしいけれども、その切実な思いは理解してあまりある。
冬に寒さもしかり、いまに続く異様な空気の冷たさにしても、どうにかしてほしいというのが願いだった。
……いや、ちょっと待て。俺はひとつのひっかかりを覚える。
「そうか、床暖房か」
「いやいや、本気にすんなし」
「よっしーの家だって無理でしょ、入れるの」
「大通公園に床暖房……」
「やばい、ついにイカれたか!?」
「こら、帰ってきなさーい!」
柊さんに肩を揺らされる。けれども、俺の中で足りなかったピースが嵌った音がする。
そうと決まれば話は早く進めるべきだ。俺は目の前のキットで作った寿司を口に運んだ。うん、人工的な味だ。
特にお腹が満たされるわけではないけど、不思議な満足感がある。
「んじゃ、夏休みよろしくね。また連絡するから」
「その前に期末考査あるけどな」
「嫌なこと思い出させるなって、祭に呼ばないからね」
「わーるかったから!」
柊さんは近石を非難すると、女子グループの中に戻っていた。本気で言ってるわけではないだろう。
しかし、祭りか。そろそろ七夕だし、暦上は夏になってきているのだと感じさせる。それでも、この寒さが未だ冬の延長にあるような気にさせてしまうのだ。
「見事な手腕でした、師匠!」
「破門な」
「はやっ! 入門から破門まで早すぎるだろ!」
そもそもなんの話か俺はつかめてないわけだが。
ああ、プールに行く話だったか。思わず約束してしまったが、果たして期末考査後まで覚えているかは不明だ。
地元にいた頃から、夏の度に行くほどマメではなかった。
「すまんな、スク水は無理そうだ」
「んなもん期待してねえっつうの!」
「うっそだろお前……」
「信じられないものを見るような目で見てんじゃねえ。やっぱロリコンかお前」
どうやら妹の件について、けっこう尾を引いているようだった。
さすがにそこまで本気では思ってないけれども。
というか、祭の方が俺にとっては羨ましく思える。人混みは苦手であるが、祭りの気配には言葉にできぬ憧れや楽しみがあった。
何か約束事をするよりも、必ずやってくる季節の風物詩にこそ、俺は気持ちを高ぶらせる。
咲くことが約束された花よりも、どんな花を咲かせるかもわからない花にこそ、思いを馳せるように。
「なんだかんだ、夏休みも忙しいよな。三週間くらいしかないから、計画立てないと」
どうやら近石はかなり生真面目な性格のようで、遊ぶ約束も含めてカレンダーに書き込む方なようだ。いまも手帳に、オープンキャンパスの日程に俺の名前を添えている。
「……って、三週間!?」
「そうか、葉沼はこっちの夏休みは初めてだったか」
冬休みが長いことを考えれば、夏休みが短いのは当然だろう。しかし改めて三週間と言われてしまえば、その短さには諸行無常を感じてしまう。
「どうしようか、予定……」
「お前はバイトあるしなあ」
「手伝いって言ってくれ」
PIROのことは近石にはバイトだと伝えている。こっちに引っ越してきたときに世話になった人の手伝いだとか、最初はテキトーなことを言っていたが、最終的には本当に近いところに落ち着いたのだった。
あっちの業務は人員不足もあって週に四日は必要になるし、猿神の制御だとかも含めればかなり時間が限られてくる。
「ま、俺のオープンキャンパスも予定日は伝えておくから、行けそうなら言ってくれよ」
そう言って近石も立ち上がると、教室を出ていってしまった。
俺は自分の両手を見た。呪具の巻かれた右手と、人のままの左手。
夏休みの予定、大学受験、将来の夢。
ちょっと前まで、そんなことを考える予定なんてどこにもなかったはずなのに、いまはこんなにも自然と舞い込んでくるようになっている。
「俺は……何をしたいんだろうな」
それでもまだ。俺の現実はどこかに置き去りのままで、いまもまだ現実感を抱けないでいるのだった。




