3-9 俺の命がどうなったって
俺は野球場のベンチで寝転がっていた。
戦いが終われば、野球場は静けさを取り戻す。しかし、その爪痕はくっきりと残っていた。地面はえぐれているし、近隣に生えている木の一部などは邪気にあてられ葉と飛ばしてしまった。
呪いの解けた鶴喰は、春日井さんと矢部さんを連れて病院へと向かう。PIROとも繋がりのある病院は何事も言わず救急車を向かわせてくれた。
本来ならば俺も鶴喰についていくべきなのだろうけれど、ここに止まらねばならない理由がいくつかあった。
ひとつに、俺の猿神の封印だった。包帯を損耗してしまっては、封印を万全に施すことができない。戦いで逸った気を抑え込むのには、安静にするのが一番だった。
そしてもうひとつ、俺は知りたいことがあったのだ。
「お疲れ様でした」
そう声をかけてきたのは、坂芝さんであった。救急隊員への説明を終えた彼女もまた、この場に残っていた。
彼女はベンチに寝転がる俺の頭の方へと座る。見上げた先には化粧の濃い童顔がある。
汗はかいているものの、そうとは感じさせない涼しげな雰囲気があった。
「そちらこそ。おかげで助かりました」
「さすがに肝が冷えちゃった」
あはは、と笑う彼女からは悪意を感じない。
そもそも坂芝さんという人に、こちらを害そうという気はないことはうかがい知れる。
一方で、どこか不審を抱かせる点が多くあるのも事実だった。
「実はぜんぶ、知ってたとか?」
俺は思わず、そう声をかける。
少し驚いた顔をする坂芝さんであったが、小首を傾げると、かえって聞いてきた。
「どうしてそう思ったの?」
「坂芝さんはいろいろ隠してたように思うんですよ。最初に亡くなった女の子の死因もそうだし、本当は矢部さんの身の上も知ってたはずです。もしかしたらコックリさんそのものもあなたの仕掛けかも、と思いましたが、それは飛躍しすぎてます。でも、この騒動を利用して、鶴喰を動かそうとしたのはあなたですね」
やろうと思えば、中学生の嘘くらい簡単に見抜けるはずだ。
坂芝さんも黒狐に躊躇いなく発砲できるほどの訓練を積み、PIROでの説明を聞いている限りこちらの界隈に十分に精通し、もしかすると何かしらの術の心得があるかもしれない。
鶴喰自身が呪われていたのは想定外だろうけれども、本当はひとりで解決できるはずの問題であるのだ。
「確信がなかったのよ。私たちが求めているものが、そこにあるのか」
「俺の推論もそうですけどね」
そう言うと、彼女はくすりと笑った。
「びっくりしたわ。PIROにあなたのような人がいるなんて。最近は人員不足で知識の少ない人を雇ったりしてるとは聞いてたけれど、ただ偶然、猿神に憑かれたというだけの男の子が、ものの核心にまで踏み込んでいくのは、私たちからすると本当に驚き」
「私たちというのは、本道の人、という意味で考えていいですか」
「ええ、そうね。そういえば、本当の自己紹介をするべきでした」
坂芝さんは、俺の目の前に名刺を差し出す。そこに書かれていた文字を、俺は読み上げた。
「『特定遺造物保護管理院』……って、それは」
「はい、ご存知の通り、遺物の管理を行う組織です」
それだけではないことを俺は知っている。何も妖や呪術だと騒いでいるのはPIROや市井の呪術師だけではない。宮内庁しかり、財閥しかり、歴史や権威のあるものの影には必ずそういう『裏』の存在がつきまとう。
「それがまた、なんで警察なんかに」
「私は出向ということになってます。何かと都合がいいんですよ、持ち主のわからない遺物が集まりますから」
北海道という立地は、あまりそういう遺物を集めるのには向いていないように思える。アイヌという文化の地であり、彼らの求めている物品があるかと言われれば疑問符がつく。
だがしかし、この場において彼らが求めているものはある。
「キムンシラッキを、渡していただけませんか?」
アイヌの道具、キムンシラッキ。
鶴喰曰く、それは人を生死を知るための呪具である。狐の頭蓋骨を用いて呪具に仕立て上げ、頭の上に乗せ、そこから落とした際の裏表でその生死を占うというものだ。
なるほど、遺造物として彼らが欲しがるのも、不思議ではない。彼らの言う遺造物とは何も、誰がしかが作ったというものだけではない。それは伝承上の存在、なにがしかで語られた事物、すらも含む。
元は宮内庁の一組織だ。いわば、現代における正倉院なのである。
坂芝さんを見る。俺の顔を覗き込む彼女をじっと見つめた。
嘘偽りのない瞳だ。本気でそれが、人の為であると思っている。
「じゃあ、はい」
俺は彼女に差し出した。
キムンシラッキではない。コックリさんに使われたという、石のコインだ。
ぱちり、とマスカラの施されたまつ毛が揺れる。
「PIROがあなたから受けた依頼はこのコインを取り戻すことです。キムンシラッキに関しては然るべき処置を施した上で、扱いを検討させていただきます」
「……いまのあなたをどうすることだって、できるのよ?」
そうだろうな、と思う。
坂芝さんの拳銃の装弾数は五発だ。一方で黒狐に向けて発砲したのは三発である。つまり、彼女はいま、二発の弾丸を残しているのだ。
ただの弾であるならば猿神を宿す俺を殺すには至らない。雑霊の妖と言えど、神を冠する者の回復力は相当なものだ。しかしもし、その弾丸に特殊な術式や素材が使われていたならば、無事ではいられないだろう。
俺は大きく息を吐いた。
「例え俺の命がどうなったって、くれてやるものか」
これは鶴喰が守りたかったものの一つなんだ。
彼女が掲げている言葉はいくつもある。北海道を守る、友達を守る、そしてアイヌの文化をも守ると。
まったく、ただの中学生が背負うにしては重すぎるものだ。
それでも俺は報いたいと思ったのだ。
ここで譲るわけにはいかない。アイヌの文化を、譲り渡すような真似をしたくない。
「そう、それが答えなのね」
坂芝さんはそう言うと、ベンチから立ち上がる。
「うん、わかった。じゃあもう何も言わない」
あっさりと彼女は引き下がる。
特管院としての仕事はともかくとして、警察としての仕事は無事に終わったしね、とも付け加えて。
そして最後に俺の方を振り向くと、にっこりと笑う。
「でも洞察力について褒めたのは本音よ。あなたならPIROじゃなくてもやっていけるわ。そのときはうちに来る? 警察向きじゃないかな」
「PIROの捜査員は、表向き探偵みたいなものなので、こっちの方が向いてるんじゃないですかね」
「そっか。まあ、考えておいて」
ちゃっかりと引き抜きをしようとしてるあたり、あざというというかなんと言うか。
そうなるとさっきの脅し文句はむしろ口説き文句に思えてきて、なんかエロい。
じゃあね、と彼女は言って俺に背を向ける。
これが最後の別れではあるまい。この札幌という都市で活動している限り、これから何度も会うことになりそうだ。
そのときは果たして敵か味方かはわからない。できれば味方でいてほしいと願うばかりだ。
「あ、そうそう。コックリさんの騒動の大元、つまりあなたたちの本当の敵は思ったより近くにいるから、気をつ……わあっ!?」
そこまで言うと、再び坂芝さんの姿が消えた。
俺が身を起こして彼女の姿を追うと、顔から地面に倒れ込んでいる女性警察官がそこにいた。
「い、いたーい」
そう言って幼い女の子のように鼻頭を押さえる姿を見ていると、やはり年相応には見えない。どころか、先ほどまでの、特管院の人物としての威厳もどこへやら。
俺にとって坂芝青衣という警官は、その正体よりも、ドジっ子の方が強く印象が残ったのだった。




