2-10 それだけ隙だってことなのか
一週間が経って、五月も下旬になっていた。日が出てる時間は伸びつつあったが、気温はあまり変わらない。
もうすぐ六月がやってくる。試験の心配もないこの時期が学生の華であろう。
俺はといえば、今日とて退魔師稼業である。妖怪退治だけが仕事ではない。古い伝聞の整理だとか、事件のあったと思しき場所の調査など、内容は多岐に渡る。
それらをこなして、このときは帰り道だった。
夜も更けて、午後十時前であった。妖怪たちも活発になる時間でるものの、今日このときは何の情報もなく、支局長からは帰るように告げられたのだった。
「珍しいですよね、ぱいせんが自分から調べる、って言うなんて」
「……まあ、気になることがあったからな」
隣を歩く鶴喰の言葉に、俺は素っ気なく答える。
八尺様に続いて、夢の世界で出てきたあいつにまで鶴喰の姿をされては、嫌でもいろいろ考えさせられる。
それだけ隙だってことなのか。俺にとって鶴喰という存在が。
なぜか恥ずかしくて、鶴喰の顔をまともに見れないでいる。
にも関わらず、一緒に帰ろうと言われれば頷いてしまったり、調べ物があると言えば頼ってしまったり、自分の甘さを知ってしまったのが余計に羞恥心を露わにさせた。
「おかげで私もいろいろ知ることができましたし」
「勉強になったなら、いい」
「は、はい。あ、そういえば今日、学校でですね……」
そして、鶴喰のこの態度だ。
割り切らない言葉の数々もそうだし、露骨に何かを避けているかのようにさっきから話題が二転三転している。
普段ならもっと突っかかってくるような気がするが、このときばかりは妙だった。
いつも通りに振る舞おうとしていて、むしろおかしな態度をとってしまっていることに気づいてないのだろうか。
それがさらに、俺の調子も狂わせている。
「鶴喰」
「え、あ……もう」
名前を呼べば、鶴喰は戸惑ったように道路を見た。
住宅街の十字路だったが、ここにやってきたということは俺たちの別れを意味していた。俺が暮らしているアパートと、鶴喰の家への分岐路である。
小動物じみた動きでそわそわとしている鶴喰は、もごもごと口をわずかに動かすと、諦めたように俯いた。
「それじゃ、ぱいせん。また明日」
「送ってく」
「……え?」
「家まで送ってく。夜も遅いし」
いままで散々、こんな時間に帰ったこともあったはずなのに、このときは珍しく口をついて言ってしまった。
黙ったまま頷いた鶴喰は、じゃあ、と俺の前を進んでいった。
よく考えれば奇妙な先輩後輩として半年の付き合いになるが、彼女の家にお世話になったことはない。
俺がこの十字路を曲がったことなんて、数えるほどしかなかった。
「ぱいせんの健康診断、結果がきてました」
ようやく、鶴喰は溜めていた話題を切り出した。
普通はプライバシーだなんだと伏せられるところであるが、俺の結果は局員であれば覗けるようになっていた。管理も仕事の一環であるし、仲間の状態がわかった方がいいだろう、という判断からだ。
「身体、精神ともに問題ありません。私から見ても、響子さんから見ても猿神のコントロールも上手くいってます」
「ならよかった」
「はい……安心しますね。毎月のことですけど」
言葉とは裏腹に、鶴喰の表情は晴れない。
なんだよ、俺が不安になるだろ、そういうの。
「日常生活にも問題はなさそうです。その、学校にご友人もできてますし」
「中学校からは考えられないだろ?」
「威張って言うことじゃないですよ」
いつもより威勢がなく、力のない笑みを浮かべる。
本当にどうしたんだ、いったい。
ふと、鶴喰が立ち止まった。彼女の視線の先には一件の家がある。二階建ての一軒家だった。おそらくあの場所が鶴喰の家だ。帰宅ルートの、ゴール地点。
大きく息を吸って、鶴喰は言った。
「迷惑じゃないですか?」
意を決したように、潤んだ瞳を俺に向ける。
「えっ、何が?」
「以前はPIROの指示でぱいせんの面倒を見ていましたが、今はもう必要ないですし、支局長からも監視の任は解かれているんです」
ああ、そういえばなくなったんだったか監視任務は。
それはそうだ。俺は保護監察の身分から、正式に局員となったのだから、監視される必要ない。無論のこと猿神のコントロールや戦闘技術の指導は入っているけれど、それは仕事の範疇だ。
「カシマさんのことも、一人で解決してましたし。支局長も嬉しそうでした」
あれは、一人だったかは怪しいところだった。
後から調べれてみても、俺の言葉しか有効な証言はなく、公園にも病院にも何も痕跡はない。かろうじて、俺の内側に猿神のものでも、シアンカムイのものでもない霊力が残留していたのを響子さんが見つけて、そういう事件があったらしい、と認定されるに至ったのだ。
そしてそのことは、PIRO北海道支局の全員が知っている。もちろん、鶴喰も含めてだ。
だから、鶴喰の言葉は半分は嘘だ。
本当に言いたいのはそういうことじゃないはずだ。
「ですから、私は……あ、あれ、何を言いたいんだっけ」
「鶴喰、俺の家の鍵は持ってる?」
「持ってますけど」
「じゃあ、出して」
鶴喰はカバンから鍵束を取り出す。見たところ、自分の家と、自転車と、学校のロッカー、PIRO支局のロッカーのものだろう。その中に俺の家の鍵はあった。
わずかに躊躇ってから、俺の手に鍵が落とされる。
「……やはり迷惑でしたよね。ごめんなさい、ぱいせんの気持ちもわからず」
「勝手に決めるな」
「あいたっ」
俺の裏拳が鶴喰の鉢巻を叩いた。軽く小突いただけだから、痛いはずがない。……ないよね?
「ほら、これ」
鶴喰の手をとって、もう一度鍵を握らせる。
俺の家の鍵にはキーホルダーがついていた。というか、俺がいまつけたのだ。
ドライフラワーをレジンで固めたものである。花の名前はネモフィラといって、小さく可愛らしい。
あまり気取ったものをあげても、高いものをあげても引かれるだけだから、わかりやすいプレゼントがいいだろう、というのは近石からのアドバイスだった。
透明なレジンに包まれた白いネモフィラを、鶴喰は眺めている。
「えっ、えっ、これ」
「やるよ。日頃の礼を兼ねて」
俺の顔とキーホルダーを行き来する視線。驚きながら、再び顔を俯かせる。
「まだ猿神の制御には不安もある。それに、見ての通り俺はずぼらだし、今度から何か花でも育てようと思ってるから、数日家を空けたりしたときに面倒を頼みたいしな。何かと都合がいいと思う」
「ぱいせん、私がいないと何もできないんですから」
「できる! ……皿洗いとか」
「何に使ったお皿なんですか〜?」
「くっそ、調子戻りやがって」
意地悪な笑みを浮かべる鶴喰に、いつもの姿が重なる。
ようやく普段通りの様子を見せて、むしろ俺の方がホッとしてしまった。
ただ、もう一度、鶴喰はキーホルダーを見る。満面の笑顔ではない。けれども、俺の胸に入ってくるような笑みだった。
そして鍵を握りしめて、言った。
「大切にしますね、これ」
「そりゃ、他人の家の鍵だからな」
「そういうことじゃないです、鈍感猿ぱいせん」
そう言い残して、鶴喰は踵を返して家へと向かっていく。門を潜る前に振り向いて「また明日!」と言って、その姿が消えていく。
ポケットに手を突っ込んだまま、俺は鶴喰のいた場所を見つめていた。
ふう、とため息を吐く。
人に何かを贈る、というのはなかなか緊張するものだった。
要望も何もないところから、その人の欲しがってるものはなんだろうと考える不毛さは、そう味わいたいものでもない。
何が足りないのか、何が欠けているのか。そういうものを探る心理戦は得意ではないし、俺には他人の感情の機微を読み取る器用さはない。
俺は鶴喰の家に背中を向ける。家族と鉢合わせたりしたら、面倒なことになりそうだった。
数歩歩く。振り向けば鶴喰がいそうな気がした。けれど、振り向いたら笑われそうな気もした。
蘇ったのは、さっきの鶴喰の笑顔だった。あの表情を知っている。初めて見たのは、去年のクリスマス、俺が花を初めて活けたあのときだった。
魔法のようだと言ってくれたときだ。
まったく、本当にどうして。
鶴喰の笑顔を見るたびに、俺はどうしてこんなに、死にたくなってしまうのだろう。




