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2-8 大切な名

 カシマさまを倒したところで、この夢は終わらない。

 俺も、近石も、鶴喰も一言も言葉を発さない。危機が去ったというのに、緊張感と静寂がその場を満たしていた。

 ごくり、と誰かの喉が鳴る。


「終わった、んだよな?」

「まだだ。帰るまでが遠足だからな」

「これが遠足気分かよ!」


 近石が叫ぶ。ご尤もである。

 俺は考えを巡らせる。異界から帰還する方法は、前の柊さんの一件からいくつか学んでいた。

 ひとつは異界の楔や核となっているものを壊すこと。積み上げられた塩や、巨木に巻かれた注連縄などのことだ。

 もうひとつは結界の術者をどうにかすることだ。生み出している何者かに対処する、という意味では同じかもしれない。

 いずれにせよ、カシマさまを倒しても異界が崩壊しない、ということは俺たちの認識できていないものがこの異界の原因になっているに違いない。

 最後にもうひとつ。それは外側にいる誰かに引っ張り上げてもらう方法だ。

 再びポケットから音色が響いた。俺のスマートフォンだった。

 ……いや、これは俺のスマートフォンか? きちんと認識してみれば、現実で俺が使っているものと機種が違う。

 俺は通話ボタンを押し、耳に当てる。


『大通公園、東に進め』


 いきなりの命令に面食らう。ボイスチェンジャーを使っているのだろうか。機械質の声が響いた。


「どういう意味?」

『そちらに出口がある』

「あなたは誰なんです」

『私か? ……デイヴィット、と名乗っておこう』

「答えになってない!」


 俺が電話口に言うのと同時、通話がぶつりと切れる。

 画面を見れば電池切れの通知が表示され、シャットダウンがかかっていた。夢の世界で電池切れってどういう事態だよ、とツッコミを入れたくなるも虚しいのでやめておく。

 声を荒げた俺を心配したか、近石が近寄ってくる。


「葉沼、どうした」

「東……テレビ塔があった方に行けば出口があるんだってよ」

「信用できるのか、いまの電話」

「ヒントはこれしかない」

「信用はできると思います」


 鶴喰からの言葉もあり、近石は頷いてくれた。

 少なくとも状況を打開するのに利用させてもらったメリーさんも、この電話がきっかけで出現したのだ。信用する理由はある。

 俺たちはまっすぐ、少し早足でテレビ塔のあった方へと向かう。

 シアンカムイとの戦いでへし折れてしまったテレビ塔の姿は、無残だった。俺がきちんとその光景を見たのは戦いから三日が経って、怪我で入っていた病院を退院をしてからだった。

 鶴喰が最大の技を放った場所でもある。雷の神(カンナカムイ)の力を借りた一撃は、しかしシアンカムイへとは届かなかった。

 あのときは無我夢中で気づかなかったが、戦いの爪痕が激しさを物語っていた。

 取り壊しを行って建て直されているビルもある一方で、傷跡を隠すべくシートの貼られたビルもある。大通公園も以前の姿を取り戻したとは言えず、本格的な修繕の目処は立っていないらしい。

 夏祭りはやるのかやらないのか。ソーラン祭りは、ビアガーデンは。雪まつりもどうするのか。

 テレビをつければ、この大通公園近辺をめぐる言葉がいくつも流れてくる。

 これから先どうなるかわからない。けれども何かをしなければいけない。そんな中途半端さが、この大通公園だった。


「……あれだな、出口」


 俺が言えば、近石も気づいたようだった。

 光る穴がそこにはあった。目覚めは光とともに、というわけだろうか。デイヴィットというやつはちょっとロマンチストなのかもしれない。

 三人はお互いに顔を見合わせる。俺と鶴喰の意思は一致していたようで、近石へと同時に視線を送る。


「ほら、先に行けよ」

「そうさせてもらうわ。こりごりだよ、もう」


 心の底からの言葉のようで、近石は疲れた笑みを浮かべた。じゃあ、と言って光の穴へと入っていく。

 友人の背を見送る。勘でしかないが、無事に帰れるだろうという確信があった。

 ため息を吐いて、俺は鶴喰の方を向く。


「それじゃあ鶴喰」


 いや、と言葉を区切る。


「……お前は一体誰なんだ」


 おかしいと思っていた。ここが異界であり、割り込む手段はあるかもしれない。だがそこへ、鶴喰が擬神器も持たずにやってくるだろうか。

 より直感的な根拠を言うのであれば、俺自身が()()鶴喰に対して、そして鶴喰から俺に対しての態度があまりに柔らかく、ゆえに硬いように思えてしまっていた。

 猿神のせいで山犬の力(ホロケウカムイ)を持つ雪花に対して口が悪い、なんてのは嘘だ。

 俺が選んで、そういう言葉を鶴喰に向けている。彼女の持つ生まれへの誇りからくる気高さに対して、あるいは反抗心からの幼稚さに対して。

 口に手が当てられる。

 塞がれている、なんていう生易しいものではない。顎が軋む音が聞こえるほどの力で握り締められている。

 擬神器もなしに、ありえない握力だった。

 くす、くすと鶴喰は、鶴喰の姿をしているモノは笑う。

 声が出せない。猿神の力のない俺では腕を振りほどくことさえできない。

 ふざけるな。よりにもよって、鶴喰の姿で殺しにくるとは、どういう了見だ。

 ()()()()()()()()()()()()()、あいつの姿を借りきてきたやつに殺されるのは御免だ。

 自分の顔を握っている腕を掴んだ。猿神の力が振るえないならば、せめて人らしく抗う他ない。

 鶴喰の姿をしているやつは、俺の抵抗を児戯のように思っているのか、笑みを深くする。

 視界が白む。夢の世界で意識を失ってしまえば、どうなってしまうのだろう。現実の俺も気を失ったまま目が覚めないのだろうか。

 俺の手からも力が抜けていく。この異界に完全に再現された俺の肉体は、夢であるからと言って自由にできるものではなかった。

 畜生、と言いたくなる。

 いつ終わってもいい人生だけれども、夢の中で終わるだなんて、格好がつかない。

 呼吸が苦しくなる。俺は自分の胸へと手を伸ばす。


「う、あっ」


 鶴喰の形をしたモノから、苦悶の声が溢れた。

 手から解放されて、俺は尻餅をついた。

 見れば、そいつは手に赤い炎を纏っている。発火をしているようだが、俺に覚えはない。

 熱くないのか、手の炎をまじまじと見る鶴喰モドキであったが、その瞳の色は普段の鶴喰の色素の薄い灰色ではない。炎を映した瞳は、煌々と輝く赤色へと変わっていた。

 ぞくり、と背筋に寒気が走った。

 俺はその目を知っている。いつか、見たことがある忘れられない目だ。

 大通公園に霧がかかっていく。温度が急に下がっていき、俺の吐く息まで白んだ。

 ふっ、と自嘲するように笑ったそいつは、俺を見やると挑発的に目を細めた。


「いつか、私を呼びなさい」


 声音はもはや鶴喰のものではない。

 その口調は少し大人びていて、俺の頭に響く。


「私の、名を。ええ、名を。我が大切な名を。我が恨めしき名を」

「何を言ってるんだ……?」

「次に会うのはきっと、そのときなのだから」


 霧の中へと消えていくが、その赤い双眸だけはずっと輝いて俺を見ている。

 完全に姿が見えなくなる。途端に大きな影が俺を包んだ。


「ねえ、その身体を私にくれませんか?」


 何度も繰り返された問いだ。

 カシマさまだけではない。俺の右腕に宿っている猿神でさえも、幾度となく俺に訴える言葉だった。

 もちろん答えは決まっている。


「この身体は俺が使う」


 満足したのだろうか。暗い影は、やはり笑いながら霧の奥深くへと去っていく。

 俺はそいつの気が変わらないうちに、出口へと転がるようにして向かっていった。

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