2-7 どんな夢だって
「ええっと、鶴喰さんはどうしてここに?」
近石が尤もな疑問を口にした。
俺と鶴喰の関係はPRIOを含めて、世間一般ではオカルトと呼ばれるもので繋がっている。近石が怪異と無関係でなかったとしても、俺たちの関係は知らないはずだ。
アパートでばったりと出くわしたとき以上の焦りがあった。
どう説明したものかと考えていると、鶴喰が大胆にも耳打ちをしてくる。
「ここは夢の世界ですから、現実では認識が曖昧になるかと」
「夢の世界?」
「そういう異界、です。ですから、教えても問題はないでしょう」
夢という異界、意識上の別の世界のことだ。
認知というのは視覚のみならず聴覚や嗅覚、特に触覚によって生み出された世界への認識である。夢というのは脳の中で生み出された認知の産物だが、ここを異界と見立てることができる。
石上先生も言っていたように、夢で起こった出来事が現実にも作用するのであれば、これは立派な呪術的攻撃である。
妖怪の手による、意識上の世界への介入による攻撃だ。
俺は自分の置かれた状況について思った以上に理解していない。鶴喰の言葉でさえ、大きなヒントになった。
「近石、その説明はまた今度にしよう。それより、カシマさまと夢に何か関連することはあるか」
「ある。というか、カシマさまは人前に出てくるパターンと、夢に出てくるパターンがあるはずだ。夢じゃなくて、寝てるときに目が覚めてっていう感じもするけど」
「いいや、それで問題ない。ありがとう」
カシマさまというのは現実に存在する妖怪として存在もするし、夢の世界に出てくる呪術的生物という存在もいるのだ。
実際に身体を切り取るものと、夢の中で切ることで現実で同じ痛みや現象として同じものを引き起こすことを攻撃方法としている、という二種類に分けられる。
逆に言えば、俺たちはいま現実では寝ている状態にあって、この夢から覚めるしか状況を打開する方法はない。
「……鶴喰、いま猿神の力を振るうことができないんだが、それはもしかして」
「現実で封印が効いているからでしょう」
今度は俺が耳打ちすれば、鶴喰はそう言った。
夢の世界でも封印が有効なのは喜ぶべきなのだろうが、このときに限っては恨めしい。
状況を整理していく。少しずつ真相へと近づいていくために。
献花台の前で、俺は円を描くようにして歩く。
考え事をしているときに、ふらふらと歩いてしまうのは癖だった。ときどき、遠くまで行きたくなるくらい考えてしまうのは悪い癖である。
すると今度は、近石の方が近づいて耳打ちをしてくる。
「ちょっと気になったんだけど、お前と鶴喰さんって、喧嘩してるの?」
「え? そんなことはないけど」
「なんつうか、よそよそしいんじゃないか?」
「うーん」
それは猿神の力が抑えられてるからだろう。俺の中にいる猿神の影響で、山犬の神を宿す鶴喰への言葉遣いが悪くなってしまう。そういう言葉を自然と選んでしまう、と言った方がいいだろう。
……と、少し前の自分なら言っていたところだ。
「まあ、だいじょうぶ」
「ならいいんだけどよ」
近石なりの気遣いだったのだろう。ありがとう、と小さく礼を言いながら、俺は再び思考の海に潜る。
時間はあまりない。カシマさまは二体に増えて……いや、最初のを含めると三体になっている。四肢が欠損した妖怪、という性質を考えればもう一体出てくる可能性が高い。
そしてあいつらが欲しがっているものは、自分の足りない部位である。
失ったものを取り戻したがるのは、生物の常である。と俺は思う。
妖怪というのは俺たち以上にそういった本能に忠実だ。食欲にしろ、性欲にしろ、何らかの行動に基本の原理があって、それに従って生きている。
なら、メリーさんは一体何だったんだ。あの妖怪はどうしてここにいる……。
いいや、そもそもどうやってここに現れたんだ?
「もしかして、だけど」
「来るぞ!」
俺が予想を口にしようとした瞬間、近石が声をあげた。
周囲を見渡せば、予想した通りカシマさまが四体いる。それぞれが左右の腕と脚を欠損した個体だ。
「また増えました!」
鶴喰が声をあげる。近石は身体を強張らせて、一歩引いた。
「どうして、こいつらいなくならねえんだ!」
「本質的な解決をしてないからだろう」
「なんでそんな冷静なんだ、お前!?」
近石が悲痛な叫びをあげる。
妖怪と戦っているときに、冷静さを失うことは自分たちが狩られるということを意味する。俺なんかは猿神のこともあって、精神の均衡を保つことを何より大切にするよう指導されていた。
特に猿神の影響が限りなく抑えられた夢の世界では、それは容易だった。
「こいつらにくれてやるんだ、足りないものを」
俺は、無造作に散らばったメリーさんの手足を拾い上げる。
どうやらよほどのお節介がいるらしい、と苦笑する。それが誰なのかは見当もつかないが。
霊力を走らせる。擬神器に然り、神通力とは精神を三昧、すなわち自然や宇宙との合一へと近づけることである。精神がむき出しとなっている夢の世界では、コツさえ掴めば本来なら身体に走る霊力を、変換することは可能だった。
おそらくは猿神に対して行っている無意識下による精神的防衛を、俺は今度は意識して行った。
メリーさんだった右腕を振り上げながら、同じく右腕を失っているカシマさまめがけて走っていく。
「欲しがってたものだ、もらっとけ!」
振り下ろした人形の腕が、カシマさまの失っている腕へと叩きつけられる。
いやああ、と断末魔をカシマさまが叫ぶ。
足りないものを満たすべく夢の中で行動する、という呪術生物たるカシマさまはその存在意義を失い、消滅へと至った。メリーさんの腕とともに、砂の城が崩れるように粒子となって消えていく。
……彼女たちも人を襲いたいわけではない。人を襲うことが目的なのではなく、足りないものを埋めるためには人型のものでなくてはならない。
そういう業を背負わされているのだ。
「次!」
俺はメリーさんの右脚を投げつける。それは右脚のないカシマさまへ。同じように声をあげて消滅していく。
「その腕、くれませんか」
声が聞こえた。間違いなく狙いは俺だった。
しかしどの個体が襲いに来るか、その言葉だけで理解ができる。事前に宣言してもらえるだけで、ある程度用意ができるものだった。
メリーさんの左腕を拾い上げて、前へ突きつけるようにする。そこへちょうど飛び込んできたカシマさまの腹へとめり込んだ。悲鳴とともに消えていくカシマさまを見て、俺は一息ついた。
残り一体はどこに。俺が目をやれば、最後のカシマさまは近石へと迫っていた。
間に合わない。俺は直感的にそう思った。ここから残ったメリーさんの脚を投げようとするも、一寸の差でカシマさまの鎌が早い。
けれども、ここにはもうひとり、妖怪と戦うことに心得のあるものがいた。
鶴喰が小刀を投げる。寸分違わずカシマさまの首へと突き立てられる小刀は、カシマさまの動きを一瞬だけ止めた。
「いまです!」
声とともに、俺はメリーさんの脚を投げた。残った最後のひとつのパーツは、吸い込まれるようにカシマさまへと直撃した。
最後のカシマさまもいままでの三体と同じように消えていく。
その光景を見届けて、この戦いが終わったのだと理解をして、へなへなと座り込む。
思った以上の霊力の消耗に、猿神の力を使うことができないという状況での妖怪との戦闘は、例え夢の中であっても疲労をもたらした。
「これで、終わりか?」
「……いや、まだだ」
近石の言葉を否定する。まだ終わりではない。
とても簡単なことだ。どんな夢だって、覚めなければいけないのだ。