2-6 ずれている
「霊感?」
勘がいい、というやつだと石上先生は言っていた。退魔師としての訓練を積んでいなくとも、擬神器などを利用せずとも、結界を破ってしまったり呪術を見破ったり、本来は不可視で何らかの光学的現象によってのみ認知しうる霊力などを感じ取ったりする者は、勘がいいのだそうだ。
猿神の力によって俺にもたらされた第六感を生まれながらに持つ者は、当然ながらいる。
子供のうちはより敏感であり、神域との交信者に子供が選ばれるのはそういう事情がある。
大人になるにつれその感性は鈍くなっていくが、稀に力を保ったまま大人になることもあるのだという。
「本当に時々、変な騒ぎに巻き込まれたりしてな」
「……そういうものか」
「あのとき、一月の怪獣騒ぎもそうだったんだ。妹がずっと何かに怯えてたんだ」
シアンカムイのことだった。
霊感があると一般人である近石がわかるくらいだ。その感覚は未熟ゆえの鋭敏さがある。
俺だって、常に猿神の知覚で過ごしたり、鶴喰も擬神器の機能を常に発揮し続けていれば、そうなっていただろう。
「あの怪獣騒ぎで、妹はいろんなものを見て、感じたんだと思う」
「いまは、どうなんだ」
「落ち着いてるよ、なんとか」
そうか、と俺は胸に手を当てる。
「血筋、っていうのは昔は神職だったとか、陰陽師だったとか、そういうのか」
「よくわかんねえんだよな、それが。江戸時代にどっかの家の分家同士が集まって、本家よりも大きな家を作ろうとしたらしい。一時期は栄えたらしいけど、男系だ女系だ、なんていう家のしきたりで揉めたらしいんだ」
「女系にすべきだったな」
「違いない。妹の方が優秀だし」
苦笑する近石の顔には、少しのくやしさが浮かんでいた。
それは男の意地なのだろうか。それとも兄の威厳だろうか。
いずれにせよ、妹にできることが自分にはできない、わからないというのは、当人にしかわからない苦しみなのだろう。
「なあ、お前はどうなんだよ」
近石が言う。俺は首を傾げる。
「とぼけるなって。妹ほどじゃねえけど、俺だって少しは察しがつくんだぞ」
ああ、そうだ。近石はそういうやつだった。
誰よりも空気を読んで、一歩引いて考える。それは天性のものじゃなくて、あるいは妹の影響もあって、ずっと誰かを見続けたゆえに手に入れたものだろう。
ともすれば、その態度は、主役は自分ではないという諦めのようにも俺の目には映った。
「お前がこっちに来た理由、ちゃんと聞いてないぜ」
「俺は……」
答えようとしたとき、俺のポケットから音が鳴る。
まるで俺を助けるようなタイミングである。近石の方を向くと、こくりと頷いた。
結界と言えど、電波などは防ぐことはできないようだ。人の意識に働きかける呪術は科学に対して無力なのである。
画面を見た。非通知だった。
嫌な予感がする。この電話は果たして、外からかかってきたものなのか。それすらも怪しい。
恐る恐る、電話に出る。
ノイズが少し鳴って、次いで聞こえたのは少女の声だった。
『わたし、メリーさん。いま大通公園にいるの』
「……!」
さすがの俺も、その怪異は知っている。
あまりにも有名で、あまりにも恐ろしいその存在を。
『わたし、メリーさん。いま献花台にいるの』
「近石!」
俺が声をかける。びっくりした顔をする近石へと一歩を踏み込んだ。
あえて、献花台に背を向ける。この怪異が出現する場所は決まっているからだ。
『わたし、メリーさん』
「いまあなたの後ろにいるの」
声が電話口から、俺の背後へと。
俺は身をひねって近石を背にする。向き合った先にいるのは、少女の人形だった。
西洋風の人形は波打った髪を持ち、ぎょろりとした目を向けてくる。驚いたのは、それは少女が抱えるような人形ではなく、洋服店のマネキンのような大きさをしていたからだ。
じっと、丸い目が俺を見つめてくる。
間違いなく魅入られているのは俺であるはずだ。しかし、俺はその妖怪から悪意を感じない。
カシマさまに感じたような、身の毛もよだつような感覚がないのだ。
一歩、メリーさんが近づいてくる。
しかしどうしてか、メリーさんは踏み外してしまったようであった。何かにつまずいたような形跡はなく、足首から折れてしまう。
がらがら、と音を立ててメリーさんは崩れた。糸の切れた操り人形のように。
それもただ倒れるだけではない。腕や脚の節目が外れ、球体関節を露わにする。
あまりの光景に絶句する。それは俺も、近石もだった。
「……メリーさん、なんだよな?」
「ああ、そう名乗ってたし」
「勝手に現れて崩れるメリーさんとか、聞いたことないぞ」
情けないことに、退魔師である俺よりも近石の方が都市伝説などに詳しい。その近石が知らないのであれば、俺にはさっぱりわからない。
だが、このメリーさんが何かのきっかけになったのは間違いなかった。
周囲に立ち込める気配は間違いなく妖怪であり、敵意のあるものだ。
ゆらり、と現れたのは、また手に鎌を持った女妖怪だった。
今度は右腕がないやつである。
俺はゆっくりと、自分の右腕を前へと突き出し、戦う構えをとる。
「おい、葉沼! こっちにもいる!」
「うそだろ!?」
振り向けばそこにいたのは先ほどとは逆の脚を失っているカシマさまだった。
カシマさま、というのはいくつも種類があるようだった。
これはまずい状況だ。一対一ならまだ何とかなるだろうが、近石を守りながら複数のカシマさまを相手にするのは不利が過ぎる。
まして、どちらのカシマさまもが近石を狙っているとは限らない。どちらか一方が俺を狙って足止めされてしまえば、近石がやられるのは目に見えている。
先ほどの撃退法だって、同時に襲われた際に有効かは不明だ。
そしてそれほどの臨機応変に対応できるほど、俺と近石は冷静ではないことを自覚している。
せめて猿神の力を十全に振るえたならば、と悔いる。いつもは疎んでさえいるはずの存在にさえ縋らなければいけない自分の不甲斐なさに、俺は顔をしかめた。
「近石、一体を足止めして、そこから抜け出すぞ」
「足止めって、こいつら妖怪なんだぞ!? そんなことできるのかよ!」
「やるしかないだろ!」
ゆっくりと近づいてくるカシマさまたちを見据えながら、俺は腕を引いた。腰を低くし、飛び出す構えだ。
一か八かだ、近石だけでも逃す隙を作るしかない。
「その腕、くれませんか」
「その脚、くれませんか」
言うやいなや、カシマさまは目にも留まらぬ早さで迫ってくる。
二体が狙っているのは、俺だった。
さすがにこれには驚きが隠せなかった。反射的に腕を狙ってくるカシマさまの手首を、両方の腕を交差させ盾のようにして防ぐ。
しかし、これでは脚を狙ってくる方が間に合わない。
恐るべき速度で迫る鎌を、緩慢とした視界で見る。
あと一秒、俺の脚が切り落とされるまで、まばたきもしない間だった。
やられる……そう思うも、痛みは一向に襲ってこない。
どん、とカシマさまを踏みつけるようにして飛び込んできた影があった。
毎日のように見ているアイヌ文様のマタンプシと、揺れるポニーテールを見た。
その少女はカシマさまの上に立つと、俺の方を見る。
「鶴喰!」
「お待たせしました」
そう言って、彼女はにやり、と笑う。
俺は無理やりカシマさまを引き剥がし、大きな声で叫んだ。
「俺はこの腕も、この脚も使ってる!」
声に霊力を乗せる。響子さんに呪術のひとつでも覚えろと言われた際に、俺ならできるだろうと訓練させられた発声法だった。
その声によって二体のカシマさまは再び消えていく。その光景に、俺と近石はほっと胸をなでおろした。
「助かった、鶴喰」
「いえ。そちらこそ無事でよかったです」
笑顔を浮かべる鶴喰の姿に、俺は頼もしさを覚える。
だが、なんだろう。この違和感は。
メリーさんといい、どうしてか増えたカシマさまといい、目の前に現れた鶴喰も、あるいは近石のことも、猿神の腕が使えないことも。
何かが絶妙に、致命的に、ずれている。