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2-5 そんなわけがあるか

 その妖は俺を見ていない。俺の足元で倒れている近石へと視線を向けていた。


「近石を眠らせているのはお前か」


 声をかけるも返答はない。

 以前の八尺様も女妖怪であったが、こいつは話が多少できそうだと思うも、耳に届いた気配はなかった。


「周りから人を消した……いや、俺たちをどこかに迷い込ませたのも、お前なのか」


 確認だった。周りから人が消えたのではなく、俺と近石だけを異界に閉じ込める方がずっと難易度が低いはずだ。相手を少なくすればするほど、呪術というのは成功率があがるのだ、というのは響子さんが講義してくれた内容である。

 再度の問いかけであったが、これも無視される。

 その代わり、彼女から言葉は。


「その脚、くれませんか?」


 さきほどとまったく同じ言葉だった。

 おそらく俺の言葉は無視されたのではない。おそらく、それほどの知性を持っていないのだ。

 決まった言葉のみしか言えない。それは何らかの思考に基づいた行動ではなく、本能や習性としてそれが「狩り」に使えるとして行なっているからだ。

 となれば、返答するのは危険だ。俺は自然と、右腕の包帯を解こうとする。


「……どうして」


 包帯に指がかからない。

 そもそもそこにあったのは、猿神が宿っている右腕ではなく、俺の本来の右腕であった。

 力がなくなっている。いいや、力はある。だが解放する術を失っているのだ。

 どういうことだ、と言うより前に、俺は近石を突き飛ばす。

 今度は縦に一閃。的確に近石の脚を切断する軌道だ。


「い、痛え」

「近石、起きたか!」

「なんでったって葉沼が……」


 寝ぼけ眼で俺の顔を見る近石であったが、次いで女妖怪を見て、何度も瞬きを繰り返す。


「な、ななな、なんだそいつ!」

「説明はあと! 逃げるぞ!」


 俺は近石を立たせると、二人で走り出す。

 身体は軽い。だが、猿神を少し解放した程度に止まっていて、戦闘のときのコンディションにまで上がりきっていない。

 俺はいいんだ。それよりも近石がまずい。

 あいつは決して運動神経がいい方ではない。


「その脚、くれませんか?」


 もう一度、あの言葉が聞こえた。

 それも真後ろである。振り向くまでもなく、声は間近から聞こえた。

 全速力で走る男に追いついてくる女、というのは確かに陸上部でもなければ驚くものではあるかもしれないが、相手は妖だ。

 人と比べてる時点で待っているのは死である。

 三度も聞けば理解できる。この言葉は相手に承諾させるためのものではない。獲物に対してかける言葉である。

 そういう儀式のようなものを行う習性を持つ妖なのだ。


「近石、上手く受け身とれよ」


 俺が声をかけると同時、動揺している近石の胸ぐらをつかむ。そして力を入れて腰をひねって、もう一度近石を投げた。

 今度は背負い投げの要領である。

 悲鳴をあげて宙を舞う近石であったが、今度もまた女妖怪の鎌から逃れた。

 腰を地面に打った近石が苦悶の声をあげているが、俺は背を向けて女妖怪と対峙する。


「その脚、くれませんか」


 そう言葉を発する女妖怪の腹に、俺は右腕を見舞った。

 とっさに右腕が出たのは訓練の賜物だろう。猿神の力を解放していれば、総合的な身体能力は擬神器を使用したPIRO局員を凌ぐだけのものであるが、その中でも右腕は群を抜いて力を発揮する。

 だが、軽い一撃となった。猿神の力がほとんど使えていない。

 女妖怪はたたらを踏んだが、それきりである。すぐに顔をあげると俺の脇を抜けていく。

 生物の歩行速度ではない。たったの一歩で距離を詰めていた。

 八尺様と同じく、何らかの異能を使っているに違いない。

 俺は急いで身を翻し、近石を守るべく飛び込もうとした。

 かくなる上はこの身を呈して近石を守るか、と考えてのことだった。


「この脚は使ってます!」


 それよりも先に、近石はそう叫んだ。

 途端に振り下ろされる寸前だった鎌が停止する。まるで時が止まったかのような静寂が訪れた。

 まるで砂で作られた城が風に巻かれるように、女妖怪が消えていく。

 呆然と俺はその様子を見ていた。

 いまのはいったい、なんだ。何かの術が使われた形跡はない。


「こ、怖かった……」

「近石、怪我とかないか」

「お前に投げられたのが一番の大怪我だわ!」


 そう言って毒づく近石はまだ元気そうだった。俺が手を差し出すと、近石は受け取って立ち上がる。

 顔をこわばらせているが、笑顔を浮かべている。

 八尺様に襲われたあとの柊さんと同じだ。恐怖に支配された人は、笑うしか無くなる。

 ただ、近石は柊さんよりもずっと落ち着いているように見えた。


「なにしたんだ。あの妖怪、消えていったけど」

「え、知らんの? あれカシマさまってやつだろ? 都市伝説で有名な」

「……戦艦の?」

「そっちは知ってるのかよ! あと練習巡洋艦な!」


 思ったよりも細かい性質らしい。

 あと俺は、軍艦でちゃんと知ってるのは大和と榛名、綾波だけだ。じいちゃんとプラモデルを作ったことがある。


「都市伝説だよ。事故とかで身体の一部を失った女の幽霊が、夜な夜な現れてその部位を持ってくってやつ」

「聞いたことあるような。そうしたら、脚がありますっていうのはその撃退法か」


 おそらくは女妖怪に対しての呪いだ。河童と戦うならお辞儀をしろだとか、そういうものだろう。

 勝てるかはわからないが、撃退法があるならば少しは安心だろう。


「……簡単に受け入れるんだな」


 近石はそう言った。

 それは俺の台詞である。PIROの局員でもない近石が、ずいぶん肝が据わってるなと感心するところだ。

 しばらくの無言が続いた。俺はゆっくりと歩き出し、無人の大通公園の様子を伺った。近石も俺の後ろを歩いてくる。

 やはり人は誰もいない。人の気配は微塵もなく、どれほど歩いても俺たち二人しかこの公園にはいなかった。

 奇妙な空気が俺と近石の間にあった。

 家にも招いたし、三回くらい外で遊んだりもしたけど、俺は近石のことを全然知らないんだ、とこのとき思った。

 都市伝説のことに詳しいなんてことはわからなかったし、そもそも何を知っていて何を知らないか、なんてこともさっぱり知らない。

 それはたぶん、俺が近石に知られたくないことが多かったからなんだろう。猿神に憑かれていることも、PIROの局員であることも。

 そして、シアンカムイのことを話していたときの近石の顔を思い出すと、俺は急に言葉を吐き出せなくなる。

 あの戦いは、俺たちの勝利に終わった。怪獣を無事に倒し、被害も大通公園だけに留めることができた。怪獣事変と呼ばれる、多く発生した怪獣災害の中でも、その被害は最小限であったと言えよう。

 ……そんなわけがあるか。数字にしたら少数だと言っても、そこに失われたものがあるのだ。

 献花台があった。この異界に人がいなくとも、そこに花が供えられていることは変わらなかった。

 怪獣による被害によって失われた命がある。

 どこの誰だかはわからない。まったく現実感がない。俺は俺のことで手一杯だ。

 それでも誰かが生きていたことを忘れてはいけないんだろう、と思う。

 近石の顔から表情が消える。

 やはりここに来るべきではなかったか、と思ったとき、ようやく近石が口を開いた。


「俺は……と言うより、俺の妹は、謂わゆる霊感持ちってやつなんだよ。血筋の問題でな」

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