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アサルト・オン・ヤオヨロズ外伝 日華の蕾  作者: ジョシュア
第一話 Echo ,named loneliness.
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1-1 よく知ってる女

「まあ、こんな時間に出歩いてる高校生なんて、補導されてもおかしくはない」


 俺は雑居ビルの階段を昇りながら、つぶやいた。

 四月二十七日、ゴールデンウィークが始まろうとしていた頃のことだった。

 北海道は札幌、その一角は夜であるにも関わらず昼間よりも明るかった。

 日本という国において、横浜、大阪、名古屋に続く大都市である札幌の繁華街は、やはり賑わっている。

 人々は酔っている。酒を飲み上手い飯に舌鼓を打つのみならず、このすすきのという街は、言わば風俗街としても有名だった。新宿は歌舞伎町、博多は中洲、札幌はすすきのという具合だ。享楽の限りを尽くすにはもってこいである。

 けれども、裏返せば、それだけ蔓延るものがある。悪と呼べば安易であるが、まあ怪しい者たちと言えばいいだろう。

 そう、「あやし」である。

 転じて、あやかし、というやつらだ。

 雑居ビルの非常階段は鉄製で、足音を響かせる。四月も下旬だというのに札幌の夜は未だ寒く、冷たい風が吹き込んでいた。

 一階には何もテナントが入っていない。二階は居酒屋、三階から五階まではローカルなネットカフェ、六階にはよくわからないタイ古式マッサージ店、七階には「虎熊建設」なる建設会社が入っていた。

 ここはヤクザのテナントビルであった。

 ただのヤクザではない。人が運営しているなら、俺のような「妖怪ハンター」が来る必要などないのだから。客としてならともかく。……行く気もないけど。

 大江會たいごうかい、と呼ばれる反社会的勢力があった。地上げや建設、風俗店経営からITまでも取り扱う暴力団だった。普段は大阪を拠点としているが、その支部は全国各地にあり、監視対象になっている。

 そしてその構成員は、鬼を中心とする妖どもであった。

 ただ彼らが、なにがしか経営をしているというだけであれば踏み込んだりする必要はない。例え風俗店を営業していたって、法律を守っているならば誰も咎めないし、人に危害を加えないなら俺たち超常現象対策捜査局、PIROが動かなくたっていい。

 つまるところ、やりすぎたのだ、彼らは。

 脅迫から始まり、女子大生に風俗店で働かせることを強要したり、周辺の居酒屋を不用意に脅したり、など。挙げればキリがないが、人に危害を加えた以上は「有害」として排除するしかない。


「ぱいせん、私は中学生ですけど、年上しか眼中にないんですかね」


 後ろを歩く少女、鶴喰雪花が言った。俺が卒業した中学校の制服を着込んだ彼女は、一個下の後輩にあたる。

 鉢巻……アイヌの装飾品でマタンプシというものをつけている彼女は、まさしくアイヌ民族の末裔であった。自らの生まれを意匠として纏っているだけあって、誇り高さを持っていたが、拗ねている様子はただの女の子だった。

 俺は振り返らずに、声だけで応える。


「お前を忘れてたわけじゃねえよ」

「本当ですか? ビルの前の、いかがわしい看板に見入ってましたけど? ふうん? やっぱり男子ですし、大きな胸に興味があるんです?」

「なっ、アホか、そんなわけないだろ」

「それが図星の反応じゃなくてなんなんですか!? エロ猿ぱいせん!」

「言いやがったな耳年増!?」

『……あのね、事前に私が偵察をしているけれど、警戒は怠らないように』


 俺の足元にいる猫がそう言った。いや、猫の姿をした式神だった。声の主は、この式神の使い手である。

 通信機の役割を果たしているのみならず、偵察のためにも使えるようであり、その卓越ぶりには脱帽だと、数々の退魔師を見てきた支局長でさえ言うほどだった。


『反応は三体、バックアップも万全。あなたたちのタイミングで踏み込んでどうぞ』


 七階にたどり着いた。中へと入る扉を前にして、俺は雪花に目配せをする。

 扉は頑丈だった。もちろん鍵もついている。人の力ではとてもではないが開けることはできないだろう。

 だが、人の力では、である。俺が振るうのは人の力などではない。妖怪ハンターとしてやっていけるのも、この力ゆえであった。

 右手に巻かれた包帯を少し解いた。瞬間、封じられていた稜威が表れる。俺が宿している猿神の力の顕現であった。

 ここからは時間の勝負だった。格として劣るとは言え、分霊でもなんでもない、神使そのものの力が現れたのだ。気配に重きを置く鬼たちが気づかないはずがない。

 俺は扉を強引に引っ張った。金属のひしゃげる音とともに、捻れるように開かれる。

 途端、嵐のように中へと押し入ったのは鶴喰だった。

 短刀型擬神器(ぎしんき)雷魔斬(カンナマキリ)が展開された。彼女の武器であり、一般には神道の神の分霊を宿すところを、アイヌ由来の神、カンナカムイを封じている特注品だった。

 妖と戦うための武具は、体格差を埋めるために大きく作られることが多い。しかし、小型の武具は別の利点がある。

 それは、屋内戦において有用であるという点だ。

 中にいる男たちのうち一人に狙いを定めた鶴喰は、飛びかかるように雷魔斬を振り下ろした。

 雷をまとった一撃は、凄まじい音を立てて早くもひとりを討ち取る。ただの大男だったその姿が、瞬く間に変化していく。体表には鱗が浮かび上がり、頭からは角が生える。

 鬼の本来の姿だ。本物は初めて見たが、イメージしていたのとは違った。赤ら顔で、虎柄パンツを履いているとは思ってはいないが。


「テメエら、どこのモンだ!?」

「PIROです。そちらの罪状は脅迫罪に売春斡旋以下省略! 沙汰を受けてください!」

「舐めやがって!」


 一人が拳銃を取り出す。だがそれも遅い。俺はすでに踏み込んでいる。

 拳銃を握った手を、左の掌で突き上げた。発砲音が三発響く。天井には三つの穴が作られていた。

 続いて俺の右手が鬼の腹へとめり込む。猿神の稜威いつが乗せられた一撃は、鬼を壁へ叩きつけるほどの威力を持っていた。猿神の力だけではない。三ヶ月に渡る訓練が、力を最大限に引き出していた。

 ばらり、と紙が待った。風が吹いたのだ。鬼の妖気によるものではなく、自然な風である。

 窓が開け放たれていた。最後に残ったひとりが、そこから飛び降りたのだ。

 駆け寄ってみれば、向かいのビルに跳んでいるようだった。転がって、逃走を図ろうとしている鬼の姿が見える。眼下には人がそれなりに歩いている。


「って、ちょっとぱいせん!?」

「行ってくる」


 俺は窓枠に足をかけ、思い切り跳んだ。宙に投げ出される感覚に襲われ、時間が緩慢にさえ感じられた。

 風を感じながら、空中で一回転。

 すすきのの夜を跳ぶ。向かいのビルの屋上に転がるように着地し、周囲を見渡した。


『二時の方向へ行ったわ』

「どっちだ」

『右斜め前よ馬鹿!』


 響子さんの猫が、知らぬ間に背中に掴まっていた。

 俺は指示された方へ走る。そして集中力を高め、気配を探った。擬神器を扱う雪花よりも、鬼のような妖に近いこの体は、彼らと同じように気配を探ることに長けていた。

 透視するように、鬼の姿を捉える。いいや、事実透視しているのだ。

 神通力、と言うのだそうだ。名前などどうでもいいが、便利なものは使っていくしかない。

 どうやら鬼は、ビルの屋上から壁に爪を立てながら降りていったようだ。路地裏へと逃げ込んだようだ。確かに人目から逃れ、闇の中へ消えていくのであれば有効な手だろう。

 だが、そこはむしろ、俺が得意とする場所である。

 再び跳ぶ。今度はビルの壁を走った。斜めに蹴りながら、重力加速を味方につけて鬼へと迫っていく。

 地面に迫っていく。真っ逆さまに落ちていくよりも恐ろしい。脚が震えるのを必死に堪えて、壁を蹴った。

 鬼の前に降り立つ。途端に鬼の身体が肥大化する。人への擬態を解いたようだ。大きな拳が迫った。それをまともに食らえば、骨の一本では済まないだろう。

 けれども、鶴喰との訓練のことを考えればまったく遅い。油断はできないが、たかが喧嘩の拳、筋肉ダルマの下手くそなパンチだ。

 お互いの拳が往復する。鬼の一撃はどれも外れる。だが、俺の拳もわずかに鬼へ届かない。掠りはしても、致命打を与えることができていないのだ。

 足技を用いて、鬼の脚を崩す。しかし、ヤクザとしてそれなりの修羅場をくぐってきたのか、脚払いは避けられ距離をとられてしまう。

 にらみ合いになる。状況としては、俺の方が有利だ。札幌での大江會の動きは掴んでいる。響子さんが周囲に式神を放って監視カメラのように警戒しているし、鶴喰ももうすぐ駆けつけてくるだろう。

 俺の時間稼ぎも、役に立っているはずだ。本当なら仕留めるべきだが、そう上手くいくならば妖怪退治も苦労しないというものである。


『……待って。何かが居るわ』


 珍しく歯切れの悪い言葉を使う響子さんに違和感を覚える。鬼を警戒しつつ、彼女の言葉を待った。


『私の式神がいくつかやられた。そっちに向かうように、順々に。何かが来る』

「いや、もういる」


 言葉にするとなんとやら。その存在は、すぐ近くにまで迫っていた。

 鬼の背後から、ずるりと現れる何か。最初の印象としては、大きいだった。二メートルはあるだろう鬼よりもさらに大きい。角から覗いた手は真っ白な肌をしている。

 そして見えたのは、真っ白なつば広帽だ。そこから長い髪がカーテンのように広がっている。

 顔は無かった。首がないわけではない。ただ真っ白で、目ぬき穴もないお面をしているのかのような顔をしていた。

 どうやってこちらを見ているのか。察知しているのか、わからない。

 ぽぽぽ、ぽ。水泡が弾けるような音がする。それが、その白い女から発されていることは疑いようがない。

 妖怪だ。だが、何の妖怪かはわからない。大きな女、なんて話は溢れている。多少勉強をしたが、こういうのは確か、山女だとか言うのではなかったか。


「あ、兄貴、虎熊の兄貴じゃあありませんか!?」


 鬼がそう言った。夢に浮かされたように、その妖怪の方へと歩いていく。兄貴、兄貴と言いながら。まるでその人物と、ありえない再会を遂げたように。

 兄貴? 馬鹿を言うな、どう見ても女だろうこれは。

 そう、女だ。こいつは、()()()()()()()()()()()


「こんなところにいたんですか。聞いてくだせえ。あれから半年、オレは兄貴のことを忘れたことはございやせん。あのときの組を守るべく、こうして活動してきやした。けれどもオレたちの組は、今や二つに分断されちまいやした。無論のこと、オレたち虎熊組は総長についてますが、オレは兄貴一筋でさあ」

「おい、お前、それ以上近づくな。話しかけるな!」


 だって、そいつは。

 俺が名を口にしようとしたとき、鬼は食われた。

 大女の怪異に口はない。さっきも言ったように、顔を構成するパーツはまったく抜け落ちていて、もとからなかったかのようにまっさらだ。

 だが、食われたのだ。腹の中に入れられるという行為を食うと言うのであれば、間違いなく食われた。

 妖怪の中へと跡形もなく消えた。大女の怪異が纏っている白いワンピースの中へと忽然と。

 こいつは危険だ。そう判断できた。

 けれども視線を逸らすことができない。

 この感覚の正体はなんだ。こんなやつは知らない。なのに知っている。脳にはなくても、身体に刻まれた記憶とでも言うものが、怪異の存在を誤認しようとしている。

 必死になって抗う。怪異が近づいてくるたびに、抵抗するのが難しくなっていく。棒立ちだったが、心の内ではずっと戦っていた。

 いや、でも、そんな。どうやってこいつを殴れと言うのか。俺にはできない。

 何と戦えと言うのか。乱されていた感情が凪いでくる。穏やかになっていく。荒立っていた心の表面が均されていく。

 聞き覚えのある声がする。顔だってそうだ、見知った顔だ。知っている顔に見えてきている。


「そうか、お前……」


 手を伸ばす。もう少しで届く。触れることができる。

 ……俺なんかが触れていいものなのか、それは?

 ふと浮かんだ疑問に、手が止まる。それは自制心とは違う、俺の中の安全弁のようなものだった。

 白い大女は俺の手を掴もうと、今度は向こうから手を伸ばしてきた。

 しかしその手は俺に触れることなく、切り飛ばされる。べしゃり、と腕ごと壁に叩きつけられた。

 ぽぽぽぽ、またあの音だ。もしかすると鳴き声なのだろうか。

 俺はようやく正気を取り戻す。


「なにやってるんですか、ぱいせん!」


 声が聞こえた。目の前に少女が降り立つ。鶴喰だった。雷魔斬を振るって、俺を庇うように立っていた。

 深手を負った大女の怪異は、ぽぽぽ、と音を立てながら足早に去っていく。あの巨体はどうやら浮いているようで、足はあったが地面に接していなかった。足音も立てず、暗闇へと溶けていくように姿を消した。

 鶴喰は追撃をすることはない。


『見失ったわ。不覚ね』


 響子さんも猫の式神を通じて言った。どうやら知覚の範囲からいなくなり、追うのも困難のようだ。鶴喰の戦略的判断は正しい。

 鶴喰に手を引かれて立ち上がる。彼女は呆れたような顔をしていた。


「油断しすぎですよ、まったく」


 腰に手を当てる鶴喰に、俺は不思議な安心感を覚えた。そしてそれは、あの大女によってもたらされた感情の正体と同じ感覚だった。


「……なに笑ってるんですか」


 言われて気づく。どうやら笑みを浮かべていたらしい。

 ここ最近、笑うことが増えたと指摘したのも彼女だった。確かに以前の俺はあまり笑わなかった。楽しい、という感覚が欠如していたからだ。

 慣れてしまえば笑うことにも文句を言われてしまうようだ。それは少し、寂しい。


「自分のアホさ加減に呆れてたんだよ」

「え? 何の話です?」

「鶴喰があんなに大きいはずがないよな」


 そうだ。俺はあの怪異を、鶴喰だと錯覚していたのだ。

 常識的に考えればありえない。二メートル以上の鶴喰なんて、想像するだけで笑えてしまう。

 そんな俺とは裏腹に、鶴喰の顔からは感情がみるみるうちに抜け落ちていく。むしろ、あの大女が鶴喰に寄せているのではなく、いまの鶴喰があの大女に寄せていっているような。


「本当になんの話してるんですかこの変態猿ぱいせん! そんなに大きい胸がいいんですか! ルイベになって死んでください!」

「待て、何か致命的な誤解がある、話し合おう」

「せっかく助けに来たのに! もう、知らないですから!」


 そっぽを向く鶴喰を宥めるのは、少々骨が折れそうだった。

 こうなった彼女は厄介だし、めんどくさい。

 人通りのある方へと歩いていく彼女を追いながら、俺は機嫌を直す方法を考える。

 猫のあくびが、路地裏に響いた。

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