Ⅲ
棒を使うのは久しぶりだ。
薙げば斬れる槍とは違い、相手を痛打することはできても殺すことはできない。
突きも同じだ。相手を貫いた穂先が肉に喰いつかれることを心配しなくても良くなったが、突っ込んでくる相手に致命傷を与えられなくなる。棒は初めて使った武器でもあるし、武芸十八般は御山での修行で身につけているが、慣れるまでは注意が必要だろう。
「仕方ない。これで取引成立だ。銀貨一枚と、この棒で手を打とう」
こちらがもう少しごねるかと思っていた武具屋の親父は、あっさり取引を承諾したことに驚いているようだった。
「ひとつ教えて欲しいんだが、このあたりで人にあらざるもの、つまり亜人が住んでいるところはないか」
正銀貨を取り出しながら、武具屋は儲けさせてくれたぶんのオマケをするつもりなのか、気軽に答えてくれる。
「西の山に、一つ目という巨人が住んでいるのは有名だな。あとは、もう少し東の森の中に、鹿人が住んでいるというはなしがある」
銀貨を受け取りながら、鹿人についてもう少し詳しいことを教えてくれるよう頼む。
「鹿人というのは、全身が茶色い毛で覆われた連中のことだ。男には角があるという。温和な連中だが、時々人里に降りてきて揉め事を起こすこともあるらしい」
温和な鹿人が人と揉め事を起こすというのも、ひょっとすると父親がなにか関係しているのかもしれない。武術を覚えた鹿人が、人に自分たちの意見を主張するようになったのではないか。目的があって旅をしていたのではないから、鹿人のところへ向かうのも一興。
銀貨を手に、今度は乾物屋に向かう。旅には食料が不可欠。礫で栗鼠くらいなら捕まえられるかもしれないが、それは最後の手段。買えるだけの干し肉、乾燥芋、干した茸、塩などを買うと銀貨は数枚の鐚銭と変わった。
背嚢には食料、手には棒。
旅の準備は整った。渡世人の孑孑のウェイリンとは、しばしのお別れ。自分の人生に区切りをつけるための旅もいいだろう。
鹿人の住むといわれる森までは、ここから東へ三日ほどらしい。さあ、出かけようと思ったその時、背後からきき覚えのある女の声。
「やっと見つけた。どこにいるのかわからないから凄く探したよ。あれ、ご自慢の槍はどうしたの」
振り返るまでもない。商人の娘だといっていたネリーという女の声だ。無視して進もうとすると、こちらの前に回り込んできた。
「なんで逃げるの。どこかに行くのなら、あたしたちも連れてって」
怒った顔はまるで子ども、小娘だ。
「なんで俺がお前を連れていくんだ。親に連絡を取って、迎えに来てもらえばいいだろうに」
「家に帰りたくない理由は、あんたにいったよね」
「理由はきいたが、俺がお前をつれて行く義理はない」
ワガママなところは、確かに金持ちの娘っぽい。しかし、これから向かう場所のことを考えると、連れて行くことはできない。
「そいつもついて来てるのに、あたしたち二人を見捨てるんだ。それのどこが侠客なんだよ」
振り返ると、ネリーと同じく山賊の所から助け出したシーネが立っていた。
「あのオッサンが、あたしたちのことをイヤラシイ目でジロジロみるの。だから、こいつも一緒に逃げ出してきたんだ」
ネリーが無理矢理連れてきたのではないかと思ったが、シーネという女の表情を見ると、あながち嘘とはいえないのかも。身の振り方を考えてくれと頼んだが、オッサンの愛人にするというのは、こちらの望みとは違う。
「助けたなら、最後まで面倒を見るのが男伊達。助けたのに捨てるなら、初めから助けるなよ、孑孑のウェイリンさん」
本当にムカつく女だ。だが、侠客としての生き様を考えるなら、この女のいうことは正しい。
「ついてくるのは勝手だが、危険な場所にいくんだ。巻き込まれて死んでも責任は取れない」
渡世の仁義を説かれれば、従うしかなかろう。だが、危険な場所に行きたがるとは、おかしいんじゃないのかこいつら。
「自分のことは自分でできる。だから迷惑はかけない。いいだろ、連れていって」
怒ったり甘えたり、ネリーという小娘は心の機微に通じている。
「金は持ってるか。いや、別に金が欲しいわけじゃないぞ。旅をするなら、数日暮らせるくらいの食料を用意する必要があるからだ」
「お金なんて持ってないよ。あんたに渡したお金はどうなったの」
フゲンのオッサンは、あれっぽっちの金をネコババするような人間ではない。有意義なことに金を使おうとでも考えているのだろう。つまり二人は一文無しなわけか。
「あの金は、お前たちのために使ってくれとフゲンのオッサンに渡した」
呆れたような顔をした小娘は、黙って首飾りを外した。
「これは安物に見えるけど、黒瑪瑙を使ったものだから、値打ちがわかる人には高く売れるはず。この首飾りで、二人分の食料くらいは買えると思う」
なぜこいつは、シーネという女のことを心配しているんだろう。山賊のところで、なにか恩義を受けたのか。もしそういうことなら、このネリーという小娘も受けた恩義を返すことのできる一人の侠客だといえる。切った張ったばかりが任侠の道ではない。恩義を知るのであれば、一人の人物として遇する必要があるのだ。




