Ⅲ
目が覚める。
眼球だけを動かして、あたりを見回す。
異音に目を覚ましたのではない。人の気配もしない。問題なし。
体が強張っていることで、昨日は木の上で眠ったことを思い出す。軽く肩を回してから、縄を外して猫のように地面に降り立つ。
虫、獣、蛇。樹上で眠ると多くの危険を避けることができるが、不自然な姿勢で眠ることは体への負担となる。常在戦場、いついかなる時と場所でも戦えるのが理想だが、毒虫に刺されることの方が恐ろしい。
煎り麦、干し肉、水。朝に町を出たとしても、このあたりを通過するのは昼過ぎだろう。時間はある。腹がくちくなるまで詰め込んだ。
腹ごなしに、槍の感触を確かめるようにふるう。撓る穂先は、気を抜くと明後日の方向へ。感触を思い出すようにいろいろな角度で一通り試すと、今度は背嚢の中から管を取り出した。
管の中に槍の柄を通し、滑らすように連続で突いてみる。戦場で槍を振るうわけではない。速く急所を突ければいいのだ。
サンディアの町で、大身槍を持っている姿は何度も見られている。死体に大見槍の傷があれば、犯人だと白状するようなものだ。管槍なら、突剣で殺されたように見えなくはない。ひとしきり体を動かすと、待ち伏せ場所に向かった。
アンダイエのような寒村に向かう人影は少ない。昼までに道を通ったのはたったの一人。アンダイエからどこかへ野菜でも売りに向かう農夫なのか、背中の背負子には野菜や袋に入った荷物が山のように積まれていた。この農夫の帰りが、カルテイアたちの馬車と重ならないことを願う。無関係な人を巻き込むのは本意ではない。
正午を少し過ぎた頃、遠くから音がきこえる。馬の嘶き、車輪の音。
この道を通る馬車は、ほとんどいないはず。ラジドル逓送便の馬車には赤に十字の印がある。
素早く顔に布を巻き付ける。頭には赤い頭巾。
カルテイアと護衛の二人は、こちらの側の人間だ。命を奪われても仕方ない。だが、カルテイア夫人と子どもは別。顔を見られなければ殺さなくても済むかもしれぬ。
木立の中から、チラリと見えた馬車には赤に十字。管を通さぬ槍を左手、石を右手に、曲がり角で待つ。
馬蹄の音が近づき、角を曲がった瞬間、馬車と二人の御者の姿が目に飛び込む。
手前が手綱、奥が無手。
右手を短く振り抜くと、手前の男の頭へ平らな石が吸い込まれる。
痛打に眩惑し、手綱から手を離したのが運の尽き。馬に鞭を入れていれば、こちらは置いてけぼりになっただろうに。
数歩併走し、槍で御者の喉を突く。
そのまま御者台の手すりに左手をかけ、喉を押さえる御者の向こうへ槍を伸ばす。
もう一人の御者が、どれほどの腕前であったかはわからない。
手前の御者が影にならなければ、武器を取ったり、かわしたりしたのだろう。だが、横から肝臓を貫かれたのだ。少なくとも痛みで動けまい。
短剣を抜くと車と馬をつなぐ輓具を切り、尻を叩いて馬を逃がす。川原で殺した小男の短剣は驚くほどの切れ味だ。
細い道の真ん中には、馬を失った馬車が鎮座。御者の一人は地面に倒れ、一人は御者台で死んでいる。馬車の中にはカルテイア一家がいるはずだ。
できるだけ声色を変え、馬車の中に呼びかける。
「中にいるのはわかってる、カルテイアさん。一対一の戦いを所望だ。用があるのは、あんただけだ。中の家族には手を出さない。出てこないなら、馬車を焼くぞ」
条件としては悪くないはずだ。差しの戦いなら勝ち目もある。槍の柄に管を通し、右手には石を握る。カルテイアが飛び道具を持っていないとも限らない。
「本当に約束を守るのか」
馬車の中からきこえる声は、思ったより冷静だ。
「ああ、家族には馬車から顔を出すなといっておけ。姿を見られれば殺さなければならん」
ヒソヒソと馬車の中でことばが交わされ、扉が開いた。
肩幅は広いが背丈は十人並。右手には剣を握った男が、馬車から姿を現す。
顔は見たことがある。間違いなくカルテイアだ。周囲をキョロキョロと見回す。
「仲間はいないのか」
馬車の扉が、中から閉じられた。
「俺一人だ。心配するな」
飛び道具はない。手のひらの石を隠しに落し、右手で槍の柄を握る。長さを生かすために、柄の一番後ろだ。左手で管を握りこむ。
「見たことのない男だな。ジョブロの身内か」 頭には赤い頭巾、顔は隠れている。表情は見えないはずだ。
油断なく剣を構えるカルテイアは、確かに戦い慣れしている戦士だ。
切っ先は肩の高さ、左手は軽く拳を握って胸の前に置く。
心臓を守る構え。これは兵士が学ぶ剣術の基本だ。左手を失っても心臓を守ることで、少しは生き延びる確率があがる。
「軍隊流の剣術だな」
どっしりと腰を落とした力強い構えは、鎧を着ての戦いのため。一撃の威力は高いが、動きは遅い。
数歩間合いが近づくと、管槍から稲妻のような突きが繰り出される。
右膝を軽く穂先がかすめると、バネが弾けたようにカルテイアの剣先が動くが、すでに槍は引き戻されていた。
剣士の表情が曇る。
槍使いに対する基本は、突き出された穂先を剣先で押さえ、手元に槍を引き戻すとき相手の懐に飛び込むことだ。しかし、カルテイアには突くのも引くのもわからない。光のような速さに、目で追うこともできなかったのだ。