Ⅱ
獣には殺気というものがない。殺気を出すのは知能が高い生物だけだ。だが、戦いの前に相手を威圧しようとするのは下策。不意打ちを狙える状況なら、殺気は秘すことが上策。
振り返ると槍を中段に構えた。
いる。
斜向かいの細い路地。殺気はそこから発せられていた。
弓矢なら、なんとかかわすことができる距離。
「そんなところに隠れていないで、出てきたらどうだ」
ことばが通じるのかどうかは不明だが、こちらから近づくのはマズイ。
声がきこえたのか、ニュッと姿を現す偉丈夫。俺より頭二つは高い。
筋骨隆々。右手には木刀、いや棍棒を握りしめ、のそりのそりと歩く姿はまるで神話の戦神だ。
一つ目、と呼ばれる理由はひと目でわかった。鼻のちょうど真上にある大きな瞳が、こちらをにらんでいたからだ。
「いや、違うな」
誰にきかせるでもなく、思わずつぶやく。相手の視線を見て取ることは武術の基本。観とよばれる視線を、相手に悟らせない剣士は一流といわれる。目の前の巨人には眼が一つしかないが、本当の意味で一つ目ではないことは直感的に理解できる。
あった。ちょうど両の頬骨あたりに黒い突起がある。どういう器官なのかはわからないが、それは眼なのだ。つまり三つ目。隻眼になると間合いがつかみにくくなることは、誰でも知っている。もし、目が三つあればどうなのか。
腕の長さと棍棒の長さを合わせれば、大身槍と間合いは同じくらい。腰蓑以外、なにも身につけない上半身の筋肉からすると、振り下ろしでも薙ぎ払いでも稲妻のような速さのはず。
一つ目の巨人は、ひょいと棍棒を担ぐと一気に間合いを詰めた。
袈裟に薙ぐか、真っ向から振り下ろすか。走り込んできた勢いのまま、棍棒が振り下ろされる。
速い。が、かわせない動きではない。紙一重で棍棒の軌道を見切り、突きをくれてやるか。
その瞬間、嫌な予感がした。肉ダルマの膂力からすると、棍棒の速度はあまりにも遅いのだ。
踏み込むのはやめだ。一歩後ろに下がると同時に、地面へ叩きつけられた棍棒が、そのまま斜め上へ薙ぎ払われた。
剣に竜尾という技がある。上段から振り下ろした切っ先を、途中から斜め上へ切り上げる技だ。まさか、こんなところで竜尾が見られるとは夢にも思わなかった。一つ目は、ただの化け物ではない。
「竜尾を使うとは、なかなかやるな。だが、竜尾を使いたいがために、一撃目に心がこもってなかったぞ」
ことばが通じないのはわかっている。だが、黙ってはいられなかった。
竜尾の弱点は切っ先の軌道を無理に変えるので、変化の後に隙ができやすいことだ。
二歩踏み込んで、右の脇腹を擦るように突く。槍を突き立てるだけの隙はあった。いきなり急所を攻撃してもよかったが、こいつの皮膚へ槍が突き立つのか確認する必要がある。だから化け物は嫌いなんだ。
すべて想定の範囲内。手応えは薄い革鎧といったところか。血が流れるのも見える。つまり殺せるということ。
斬りつけられて、巨人の怒りに火がついた。
知的な動きは消え、滅多矢鱈に棍棒を振り回す。棍棒は速く、力強いがそれだけだ。
左脇腹、右太もも、左太もも、左腕、右腕。深くではなく、軽く突く。
気がつけば、あたり一面血の海。力なく棍棒を落とした一つ目は、覚悟したように、たった一つの目を閉じる。殺すのは容易い。だが、こいつには知性がある。どちらが強いかを理解すれば、逃げていくだけの知恵はあるだろうよ。
「おい、今日は気分がいいから殺さないでおいてやる。さっさと逃げて、仲間にもこの町へ二度とこないように伝えるんだな」
一つ目は、開いた眼でしばらく俺をにらむと、ジリジリと町外れの方に姿を消した。
殺したほうが良かったのかもしれぬ。だが、困った旅人を助けようともしない糞みたいな町のために、なぜ勇敢な戦士の命を奪わなければならないのか。殺さなかったのは、ただの町長への嫌がらせだよ。
「おい、一つ目とやらは追い払ったぜ。そろそろ日も暮れる。俺を泊めてくれてもバチは当たらないと思うんだが、どうだろう」
町長の家の前で大きな声を出す。恩人を無視するなら、一つ目をこの町にけしかけてやってもいい。
閂の外れる音、重い扉が開く。
「一つ目を追い払うとは、あんたとんでもない豪傑だな。町を代表して感謝するよ。まあ、汚いところだが入ってくれ」
中肉中背、なんの特徴もない男。思ったより若いが、こいつが町長か。嫌味の一つでもいってやろうかと思ったが、綺麗な女と子どもが二人いたので飲み込んだ。
「世話になります。できれば一晩泊めていただければ、ありがたいんですが」
泊めないといわれれば暴れてやろうか。俺の思索は、町長の思いもよらないことばにより遮られた。
「その槍、その剣。あなたは孑孑のウェイリンさんではあるまいか」




