Ⅲ
コブハ村の人口は六十人ほど。雑穀の栽培と狩猟で生計を立てている。
広がる森には、小鬼、大鬼、大熊なども出ることがあるらしいが、ここ数十年コブハ村が襲われたことはないという。
頭の悪い小鬼なら、三十や四十どうということはない。大鬼の膂力は脅威だが、心臓があり、二本足の相手なら技が通じる。問題はそれ以外の大物だ。猟師は大熊を一人で狩るというが、それは武術ではなく技術だ。夫婦の大熊なら、六十人の村人を皆殺しにできるか……いや、無理だろう。もっと恐ろしい化け物がいるのだろうか。まあいい、出たとこ勝負だ。
杣道の先には小さな集落。
ここからでは、その姿は見えないが、フゲンのオッサンを疑う理由はない。
目を凝らすとうっすらと一条の炊煙が目に入る。
火を使うのならば、獣ではなかろう。ここからは、敵がいるという前提での行動だ。
フゲンをその場に留め、足音を忍ばせて杣道を進む。敵の姿が見えなければ、手で合図を送りフゲンを呼ぶ。
同じ事を三度繰り返したとき、前方に人の姿が見えた。相手には気付かれていない。
上半身裸で手には槍。小鬼でも大鬼でもない、ただの人間。村人かもしれないが、それにしてはガラが悪い。そのままオッサンのところまで戻る。
「道の先に見張りがいるぞ。槍を持っているが、俺には村の人間かどうかがわからん。フゲンさんはわかるか」
フゲンは首を横に振る。
「手紙のやりとりはしとったが、知り合い以外の村人は知らんな。顔を見てもわからんと思うぞ」
本当に役に立たないオッサンだ。
村の様子を見にきて村人を殺していては世話がない。
「少し待っていてくれ」
弩と大身槍を手渡すと、道の脇に隠れるよう頼んだ。これで得物は腰の剣のみ。
杣道から外れると、すぐに下草枯れ枝の散乱する林になる。音を立てずに移動するのは至難の技だが、村まではそれほど距離はないはずだ。
進んでは休み、休んでは進むうちに日が傾く。日が暮れる前に、村を一望できる場所へ行かねば。
気配を消すのは武術だが、山を静かに歩くのは忍術だ。だが、杣道の見張りを迂回し、やっと村の近くへまでたどり着く。
日は傾き、夜の帳がおりようとしているのに、村人の姿は見えない。仕事をしているとしても、そろそろ家に戻る頃だろう。その時、一件の家から若い女が表へ出てくるのが見えた。
全裸だ。
いくらなんでも、普通なら若い女が全裸で家の外に出てくることはあるまい。
なるほど、魔物ではなく山賊の類いに襲われたか。どこから流れてきたのかはわからないが、村を襲って住み着いたと見える。だったら恐れることはない。
六十人の村なら二十人は子どもか年寄り。残りの半分が男だとすれば、二十名を制圧できるだけの数がいる。最低三十。野営はしていないのだから、六十はおるまい。
それだけの数を一人で相手にするのか。
背筋にブルりと痺れが走る。恐れではない、期待だ。誰にも咎められずに、戦って好きなだけ相手を殺すことができる。
切り結べ、とレッテ師匠はいったが、これほどの機会はないだろう。贈物という恩寵を与えられていない俺は、どこかで己の技に限界を感じ始めていた。山賊相手に生き残ることができれば、その限界を突き破ることができるような気がする。
これ以上ここにいても仕方がない。フゲンのオッサンがいるところまで時間をかけて戻っていった。
「フゲンさん、どうやら村は山賊か盗賊かわからないが、碌でもない連中に占領されているみたいだ。あんたの友人がいるなら、殺されていると考える方がいいかもしれない」
オッサンは大きくため息をついてから、顔を伏せた。
「お前はどうするつもりだ。軍隊でも呼んでくるか」
冷静になれば、味方を集めて攻撃するのが正しいのだろう。だが、血はたぎり、気ははやっていた。
「あんたは俺に、義を見てせざるは勇なきなりとかいったよな。これでも侠客だ。俺は黙って逃げ出すわけにはいかない。これからあいつらに思い知らせてやる」
本当は、そんなことなどどうでもいい。口元が緩む。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ。お前は頭のネジが外れてるのか」
フゲンは一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、それだけだった。自分の目的が達成できればどうでもいいのだろう。
背嚢から、昨晩の燃え残りの炭を取り出す。別にこういうときの為ではない。次に焚き火をおこす時、火勢を得るために持っていたのだ。顔を炭で汚すと水筒から水を飲んでから、歯を黒く染めた。苦さが口を満たすが、暗闇では白い歯は目立つ。
「俺が朝までに戻らなければ、応援を呼びに行け。余計なことは考えなくていい。どちらにしろ、これで依命扶翼牌への責任は果たしたことにする、いいな」
「死ぬなよ、無理だと思えば逃げてこい」
いまさら心配かよ。返事は返さず杣道に沿って村へ向かう。月の位置からすると夜明けは近い。夜襲には最適の時間だ。