スペインの夜行列車で、女の子と「あっち向いてホイ」をする。 僕はお姉さん、君は妹の担当だからね。 はいはい。
04.2.3記
20歳の夏に一ヶ月間、ヨーロッパを旅行した。。
その旅行の中、もう旅行の終盤に近い時期だったが、
スペインのバルセロナからマドリッドまで、夜行の列車に乗った。
客車はヨーロッパでは普通に見られるコンパートメントで、
一部屋に6人分の席があった。
この時はずっと、熊本の褌男と一緒に行動していた。
もうひとり一緒に行った宮城のドロンは、ロンドンの次、ドーバー海峡を夜渡る船で到着したアムステルダムまでは、一緒に行動したが、その地を出発した際に分かれた。
彼は以降はひとりで旅行。モロッコに渡って、アフリカ
大陸にも足を伸ばすのだ、とのことであった。
尚、モロッコに到着するなり、悪い人に捕まり、とある部屋に連れ込まれ、ピストルを突きつけられて、その時点で持っていた現金と金目の物を奪われて、翌日、すぐにヨーロッパ大陸に舞い戻った、とあとで聞いた。
彼とは旅行の最終集合地パリで会うことになっていたのだ。
現金は奪われても、トラベラーズチェックまでは、手をつけられなかったので、以降も旅行はできたということ。
色々、奪われたときは、相手は
「君はこれを私にくれる。これも私にくれる」
と繰り返しながら
自分のバッグにひとつずつ詰めていったそうである。
さて、スペインでの話。
出発予定時刻よりも相当に早い時間に乗り込んだので、そのコンパートメントには、我々2人が一番乗り、一晩、部屋を広く使えるかな、と思っていたら、出発までの間に、お母さんとその子供と思われる姉妹の3人連れが入ってきて、
そのお姉さんが、かなりの美人だったので、喜んでいたら、出発間際に、我々と同年輩の男の2人連れも入ってきた。邪魔だった。
尚、我々以外はスペインの方であった。
さて、これで7人。定員オーバーである。相当に狭苦しい。
男の2人連れは、邪魔な存在だったが、酒でも飲みすぎたのか元気がない。内、ひとりは、私が、ボトルに入っていたミネラルウォーターを飲んでいると
「それ、くれないか」
と言う。
もちろん、日本語で言ったわけではない。仕草でそのように訴えていたということである。あげた。
そのうち、その2人は寝てしまった。
さて、その姉妹、お姉さんの名前はギョランダで17歳。もっと大人に見えた。
繰り返すが、相当な美人。
翌朝ホームで撮った写真が今も私のアルバムに貼られているが、
冷静に見直してもやっぱり美人。
妹の名前はモニカで8歳。ずいぶん、年の差があるが、事情を聞くほどの会話はできない。
片言で話している内に、やっぱりというか、どうしてもというか、それが持って生まれた宿命とでもいうか、お姉さんの担当は褌男。妹の担当は私、という風になっていった。
何といっても狭苦しいので、モニカに
「膝に座るかい?」
と言ったら(仕草で)、喜んで座ってきた。
モニカもとても可愛かった。将来は、かなりの美人になったことであろう。でも、そのときは
とにかく8歳。
実を言うと、私はその旅行にカメラを持って行き、フィルム7本分くらいの写真を撮ったのだが、被写体で多かったのは、風景と、子供だった。
ヨーロッパは、とにかく子供が可愛かった。
(一ヶ月の旅行の中で、一番可愛いと思ったのはスイスのツェルマットに向かう登山鉄道の列車内で見た栗色の髪の女の子だった。お父さん(すごいハンサム)と2人連れだった。現地に着いてレストランに入ったら、そこでも会った。少し離れた席だったが、お父さんが、こちらを見ながら、その女の子に耳打ちしていたと思ったら、その女の子が
「こんにちわ」
とたどたどしく日本語で挨拶してくれた。可愛い。タイミングを逸して、写真を撮ることができなかったのが、残念だった。多分7歳くらいだったと思うが、あの子も今は、30歳を過ぎているのか・・・)
そういうわけで、モニカの担当となっても特に不満はない。
ギョランダと褌男は英語で色々話している。(褌男は英語は、私よりは、だいぶ堪能だったから普段も会話は彼に任せていた。)
あとで、聞いたところによると、ギョランダが、モニカと私のほうを見て
「あのふたり仲がいいね」
「あいつは子供の方が好きなんだ」
と会話していたそうである。
その内、退屈しのぎに「なにかゲームでも」ということになり「あっち向いて、ホイ」をやった。
1978年の夏に、スペインで、「あっち向いて、ホイ」が流行っていたわけではない。
我々が教えたのだ。
先ず、ジャンケンから教える必要がある。
グーはチョキより強く、チョキはパーより強く、パーはグーより強い、というところから始めたのだが、よく教えられたものと思う。ちゃんと通じて、しばらく
「あっち向いて、ホイ」をして楽しんだ。
さて、夜も更けて、モニカは私の膝で寝入ってしまった。私もうとうとしていた。
褌男が、コンパートメントを出て、通路でタバコを吸っていたら、ギョランダも通路に出て行って二人で何か楽しそうにしている。
あとで聞くと
褌男 「I like type of you.」
ギョランダ「Me too.」
という会話があったそうである。
ただならぬ気配を感じたのか、お母さんが「ギョランダ、ギョランダ」と突然、コンパートメントに
呼び入れ、会話はそこで終わったのでありました。
朝、マドリッド駅に着き、そこで別れた。住所も書いてもらったのだが、そのメモは、今は、私の元には無い。
褌男の出典については、投稿済の「コンパの思い出」という文章をご参照ください。
また、「横断歩道」という小説にも登場しております。
あと「ナンパの思い出」という文章には、褌男の彼女が、少しだけ登場しております。




