プロローグ
ワタシ、小日向沙耶38歳。
これはワタシが二十歳で就職した眼科の話。
みなさん、眼科って行った事あります?
結構行った事ないって人、多いんじゃないかと思う。
そう、私も就職するまで一回も行ったことなかった人。
だって、視力、1.2あったんだもん。
コンタクトレンズはレンズ屋さんで買うもんだと思ってた。
だって、CMでやってたんだもん。
いまでこそ、『コンタクトレンズは眼科で検査を受けてから。』
っていう啓蒙活動が行われているから、若い子でも眼科を受診
する機会は増えていると思うけど。
さて、勤続年数18年。
医療事務の専門学校を卒業し、事務員で就職後、なぜか検査員になった私。
『24歳くらいで結婚して、専業主婦になるんだぁ。』
なんて夢見ていた頃をとっくの昔に過ぎ、未だ独身。
朝から汗して自転車を漕ぐ。
子供もいないのにママチャリ愛用。
だって、漕ぎやすいし、荷物一杯載せれるし。
「おはようございます。」
四階建てのここは、一階駐車場。二階診察室、検査室。三階コンタクトレンズ室、
手術室。四階職員休憩室という造り。
汗だくのまま、階段を上る。
え?えれべーたー?
なにそれ、おいしいの?状態である。
四階は半分ベランダ。
事務室が一つに、トイレとバスルーム。
ダイニングキッチンと、その横に和室。
そして廊下を抜けると、倉庫代わりの部屋が一つ。
うん。
気付いた?職員休憩室とはいいつつ、着替える為の部屋は無い。
何処で着替えるって?
廊下ですけど。なにか?
廊下に並んだロッカーの一つを開けてナース服を取り出すと、ちゃっちゃと
脱いでそれに着替える。
所要時間三分の早業。
汗も拭かず二階へ。
え?何で拭かないかって?
だって、空調なしの階段を降りるから。
結局汗だくになるからですけど?
ひんやりと冷房の効いた二階にほっと息を吐いて、職員用の小型冷蔵庫を開け、
昨日のうちに冷やしておいた炭酸水を取り出し、喉を潤す。
検査室にひっそりあるその一角は、職員がちょっとだけ休憩できるように用意
された場所。
だけど、実際はそんな所で休憩していると、大先輩達に速攻呼びつけられて、
雑用を押し付けられる。
そこに置いてあった汗拭きシートで体を拭うと、手を洗いし準備OK。
あ~あつい。
まだ体の熱は引かないものの、だらだらしてると大先輩達に怒られる。
え?ワタシも充分先輩の位置だろ。って?
ごめん。私が一番の若手なの。
次いで受付、43歳。独身、山岸真由さん。
この二人が若手っていわれてるうちの病院は松本眼科という。
ついでに、職員の紹介を。
最後に、52歳、吉本小百合さん。あの大女優さんと一字ちがい。
3人だけってそんなに患者さんが少ない病院なのか?って?
いいえ。すんげぇ忙しいです。
じゃあどうやってまわしているのかというと、バイトさんが3名いるのです。
この3名が曲者。
1人は受付。
勤続年数35年のベテラン、坂口恵美さん。65歳。
一度退職後、バイトとして勤務してる。
2人目は検査室。
勤続年数40年、坂口さんよりまだ上の70歳。矢口裕子さん。
彼女も一度退職し、バイトとして再雇用。
3人目はレンズ室。
勤続年数38年、68歳、水口さちえさん。
やっぱり一度退職し、バイトとして再雇用。
そう、この三人が最強大先輩トリオである。
ここ、松本眼科は今二代目の松本義孝先生が営む個人経営の眼科。
その1代目、松本秀雄先生の頃から勤務しているから、なんと義孝先生より
先輩。矢口さんにはとくに。先生も頭が上がらないのだからすごい。
今から10年ほど前に、辞めたくなった私に、先生が一言、
『彼女は神様だから、そう思って耐えて欲しい。もうすぐ定年する人なんだし。』
と。当時うちの病院は60歳で定年だった。
神様か……なら理不尽でも仕事してなくてもしょうがねぇな!
って割り切った私。まさか、定年が彼女の為に伸び、なおかつ、定年後もバイト
なのに、権力もったまま今もいらっしゃるとは思わなかったよね。
そんな快適とはいいづらいものの、先生の人柄だけで勤務しつづけている職場、
その職場がいよいよ改革される時がきた。
ま、小改革はいままでもあったのだけど。