ぼんやりハールと飴玉
「このように、太陽の軌道の変化や、暖かい風や、冷たい風が吹いてくることによって、気温や湿度が一年を通して変化しています。わたしたちはこの一年の変化を四つにわけて、それぞれ春、夏、秋、冬と呼んでいるのです」
どこかにある村の学校で、先生が生徒の前で授業を行っていました。生徒たちは広げたノートに鉛筆を走らせ、先生の話をしっかりと聞いていました。そんな生徒たちの中には、鉛筆を持った振りをして先生の目をうまく盗み、ひそひそ話をしたり、悪ふざけをしている子もいました
ハールは先生の話を聞きながら、窓の外の景色を眺めていました。開けられた窓の外からは柔らかな日差しと、鮮やかな陰影に彩られた木々が葉っぱをさらさらと揺らし、その葉っぱの上を白い蝶々がひらひら飛んでいるのが見えました。心地よい風が教室の中へ吹き込んできてハールの髪を揺らしました。これまで毎日が厳しい寒さで、外に出ることが堪らなく辛かったのですが、温かくなり、そんな思いをすることもなくなりました。きっとこれが先生の言う春なんだ、ハールはそんなことを考えていました。そのとき、
「ハール、いけませんよ」
突然、自分の名前が呼ばれ、教室は物音が止み静かになりました。窓の外を見ていたハールは、慌てて教室の中に視線を戻して先生の顔を見ました。
「話は聞いていましたか?」
ハールは「はい」と言おうとしましたが、怖くなってしまい小さな声で「ごめんなさい」と謝りました。
教室の中でクスクス笑う声がしました。先生はそれをさえぎるように、
「それでは、明日は外に出て自然を観察してみましょう。暖かくなってきてますから、いろいろな生きものたちの姿が見られるでしょう。それではみなさん、気をつけて帰りなさい」
先生は静かに本を閉じました。
それまで大人しく座っていた子供たちはがたがたと立ち上がり、思い思いのおしゃべりをしながら帰り支度を始めました。教室はざわざわ騒がしくなりました。ハールは目立ちたくなかったのでそっと立ち上がり、本をかばんにしまっていると、
ぼんやりハールがー
お月さまとお話ししてるー
二人組の男の子たちが大きな声で歌いながら、ハールの後ろを通り過ぎていきました。ハールは瞳を閉じて何事もなかったかのように振舞いました。けれど、心の中はくやしさでいっぱいでした。
教室から外に出ると、日が暮れ始めていて空が赤く染まり、太陽が遠くの山の頂からその姿を消し始めていました。ハールはまだ残っている夕日の光を全身に浴びながら、その日に起きたことをつまらなそうに振り返っていました。
(あんな言い方はないよ……でも、やっぱりぼうっとしてた僕が悪いんだろうな)
なんとか気を落ち着かせようと、そう思ってみても自分の中の惨めな気持ちが収まることはなく、ますます気が滅入るだけでした。
踏みしめた小石がジャリジャリ鳴り、靴に当たる小石はこんこんと音を立てながらどこかへはじき飛んでいきました。ときおり、風がざあっと吹いて、道端に生えている木々や雑草がざわざわ揺れて、舞い落ちてきた葉っぱや花びらがハールの顔に降りかかりました。
そうやってハールが塞ぎこんでいると、背後から足音が聞こえてきました。振り返ると、女の子がこちらに向かって駆けて来るのが見えました。
「待ってよ、ハール」
女の子は息を切らしながらハールを呼び止めました。
「……どうしたの、ミタラ。そんなに慌てて」
ハールは突然のことにどうしていいのかわからず、そっけない態度をとりました。
ミタラは、少しの間呼吸を落ち着かせてから、「一緒に帰ろう」と、そっと言いました。
それから二人は何もしゃべらずに歩きました。ときおり、ミタラが立ち止まっては生えている植物を珍しそうに眺めました。ハールも近づいて、植物を見ました。けれど何が面白いのかさっぱりわからず、屈んでじいっと見つめているミタラが不思議でしかたありませんでした。
「ねえ、なんであのとき、わかってるって言わなかったの?」
ミタラは植物を眺めたままハールに尋ねました。
「……なんのこと?」
ハールは素直に答えようか迷った後、とぼけました。
「……わかんないなら、いいんだよ」
ミタラは振り返りハールの顔をじっと見つめました。
ハールは途端に恥ずかしいものが込み上げてきて、
「だって……だってしょうがないじゃないか、いくら言っても言い返されて、自分が酷い目に合うくらいなら最初から何もしないほうがいいに決まってる!!」
「……確かにそうなのかもしれないけれど、言いたいことは言えるようにならないと後で苦しくなるよ」
ミタラはそう言ったあと鞄の中から何かを取り出して、ハールに差し出しました。
「……これあげる」
「なに、これ」
ハールが受け取ったものは二つの飴玉でした。一つは赤と青の縞模様の紙で、もう一つは緑色の紙に水玉模様をあしらったもので包まれていました。
「お母さんに頼んでもらってきたの。ハール好きでしょ。飴玉」
「ありがと。じゃあ……」
ハールは水玉模様の飴をズボンのポケットにしまい、赤と青の縞模様の飴の紙をはがして口の中に放り込みました。甘い香りが口の中に広がっていくとともにさっきまでの惨めな気持ちが和らいでいくようでした。
ミタラは、気づかれないようにハールの嬉しそうにしている様子をそっと眺めていました。