日常は通話と徒歩と 転々
「ところで少年」
「なんでしょう?」
「随分と思い詰めた顔をしてるじゃないの。また死体でも見たのかな? なんならお姉さんが診察したげるよ」
「…………」
先生のこういう所は苦手だ。
ヘラヘラしてるのにやけに鋭い。
「さすが先生、よく分かったね。そう、学は今意気消沈のヘナチョコなんだ」
心の言葉には容赦がない。これも苦手というか慣れない。
「だよね〜少年は何かあれば昔っからすぐに『こころ〜』『おね〜た〜ん!』だもんねぇ」
「あの頃はあんなに小さくて可愛げがあったのに今じゃすっかり擦れてボクは悩ましいよ」
「ああ! あの頃のショタは何処へか!」
「そんなだから彼氏いないんじゃ……」
「うっさい。なんだお前? ヘモグロビン――」
先生と僕が睨み合うのを尻目に一人の男がつかつかと歩み寄り車を眺めた。
「三木。これか、大破したというのは」
男性はおよそ50代の渋いロマンスグレーの壮年で、ビシッと着こなしたダークスーツとオールバックの髪の毛に熏る葉巻の紫煙はどことなくゴッドファーザーだった。
「おー、すまないですねぇ釧路さん。まさか貴方が来るとは思いませんでしたよ」
先生は珍しく敬語を使った。
釧路というこの男性は凄まじい風格に違わぬ地位があるようだ。
「気にするな。他のは出払っていて偶々俺が暇だった。それだけだ」
「して、こいつをどうしましょう?」
「俺の乗ってきたので引く」
釧路さんが葉巻の火で指し示した先には一台の装甲車が場違いに止めてある。
「そしてそのまま廃棄だ」
「ええ!? 修理しないんですか!」
「安心しろ。代わりにあの車をやる」
「え……あ、はい。ありがとうございます?」
「気にするな。車なら後もう数十台はある」
フーッと煙を吐きながらさらっと車を譲渡するあたり只者じゃない。
すると彼は僕らの方を見て眉を上げた。
「お前の子か?」
「違いますよ? ほら前に言わなかったですか? 昔の患者ですよ」
「ほう……坊主、名前は?」
「あっはい、折口学といいます。こっちの小さいのは相田心」
「ふむ、まぁ色々大変だろうが頑張れよ。どうしようもなくなったらここに連絡しろ」
明らかに紙製ではない硬そうな黒い名刺を渡された。
名刺には白抜きで“釧路久兵”と書いてあり後は電話番号だけがあった。
「よし、じゃあな坊主。用がないなら寄り道して帰れよ」
そう言って釧路さんはテキパキと廃車と装甲車の間に牽引ロープを繋いで乗車。
先生も「じゃあね〜。あ、心ちゃんは外で脱がないようにしなよ〜」と言って助手席に乗った。
……全部見てたのか。
「フッ、先生に釘を刺されちゃしょうがない。ボクの素晴らしい肉体は家に帰ってから見せてあげるよ」
心は何故か当初の目的を忘れていない。
嬉しいやら不思議やらで苦笑いが溢れる。
「あっようやく笑ったね」
心もそう言って笑う。
「君は笑っている方がいいよ。ボクはそう思う」
「そうかな」
「能面だって笑い顔が多いしね」
面白がってやがる。
並木通りを緩やかに曲がると、崖じみたカーブに差し掛かる。
ここからは田園風景と山が一望出来る隠れた絶景スポットだ。
アクセントとして疎らにそそり立つ鉄塔が僕としては一見てて飽きない。
「ここを通る度に思い出すね」
「何が?」
「忘れたのかい? 小さい頃君、ここから落ちたじゃないか」
「どうだっけ?」
「……君の脳細胞は入れ替わりが激しいね」
心に呆れられた。
蔑んだように細められた目で見つめられるとなんだかゾクゾクする。
「しかし君がいつもの調子に戻ってくれて良かったよ」
「そうかな」
心のお陰だろうな。後はプレイボーイの貧民傭兵と事故医者も微力だが僕に立ち直る力をくれた……のだろう。
「いい加減麻痺してきただけかもしれない」
「死に慣れるものかよ」
――それは、それは心が言うと至極重い話だった。
「生きていれば必ず死ぬ。それは避けられないことだ。けれどね、人は普段そのことを忘れて生きようとしている。当然だね。どうしようもない問題はどうしようもない。でもね、他のものの死を見ると思い出すんだ」
心の瞳から光が消えたように感じた。
背筋に氷が刺されたように寒気がした。
「どうしようもなく、死ぬことを自覚するんだよ」
「心……?」
僕は心を見つめた。
もしかすると、いや……そんな。
「ん? なんだ学。不安そうな顔してさ。捨てられた深海魚みたいだよ? 拾って欲しい? なーんて」
あれれれれ。
……おかしいな。何かフラッシュバックしてるのかと思いきや心はいつも通り軽口を叩いている。
「なんだよ。ボクが病んだとでも思ったのか? 君の真似してみただけだよ」
「やめろよそういうの」
「なら君もやめろよ」
ふうっと心は僕の首筋を吹く。
鳥肌が起立して背筋がむず痒く疼く。
「あーむっ。むぐむぐ」
ついでとばかりに心が首を甘噛みする。
最近こういったボディータッチ(?)が多いような……気のせいかな。
「悪いね。なんだか突然噛みたくなったんだ」
「なんだそれ」
「ボクにもさっぱりだよ」
そして僕らは田んぼで晩御飯用の蛙を採取してから帰った。
心の新品だったスカートが汚れたのは言うまでも無い。
あのスカート、結構したのになぁ。