3 脱走
町を右往左往へと駆ける。
道行く人にぶつかっても、フェリスは後ろを振り向かず走り続けた。
脳裏に焼き付く、人外の瞳。
絶対的な支配者だと言わしめるような、膨大な力。
―――それは、あまりに予想から外れていた。
「っ、……!」
息切れすら忘れ、ただ闇雲に走る。
今度こそ殺せると思ったのに。悔しい気持ちと、不気味で仕方ない姿を何度も思い浮かべる。
その時だ―――フェリスの耳が、高らかな笛の音を拾った。
「いたぞ! フェリス=ブランシャールだ!」
「南区だ、総員追えーっ!」
「っ、!」
声のした方へ視線を向ければ、憲兵が束となってフェリスへ向かってきているのが見えた。
必死になっていたために、頭を隠していたローブが脱げてしまっていたことに、今更ながらに気付く。
翠の髪が光を取り込み、美しい色合いを曝け出している。
フェリスは走りながら、短い髪を隠すようにローブを深く被り直した。
「フェリス」
エルの呼び声に頷きで返すと、奇宝石を介してフェリスは勢いよく『跳んだ』。
だが瞬間、限度を超えた奇宝石は粉砕してしまう。残りひとつ―――今ここで、使う訳にはいかない。
舌打ちをひとつ、フェリスは受け身を取り、落下した屋根の上を転がる。
着地した先の地面を見れば、憲兵が5人ほど駆け寄ってくるのが見えた。
すぐにその場から離れ、屋根伝いに走る。
「こっちだーっ! 『刻印の者』、北区へ進行中ー!」
「北区の門を固めろッ! 絶対に逃がすな!」
怒号があちらこちらから聞こえ、フェリスの行く道を塞ごうと躍起になっている。
目前に見えた教会に辿り着くと、屋根を蹴って併設されている塔へ移り、塀を越えて地面へと降り立つ。
荒い息を整えながら、フェリスは迫ってきた3人の憲兵を視界に収めた。
「観念しろ、刻印の者!」
深く息を吸い込み、吐き出す。
「―――」
見開いた瞳は漏れなく憲兵達の動きを捉え、フェリスは一歩前へ足を踏み込んだ。
駆け出した一人が、フェリスへ向かって右へ左へと剣を振り下ろす。
それを素早い動作で避けた後、生まれた隙をついて腹を蹴り飛ばし、勢いよく飛び上がった。よろめいた彼の頭めがけて、大きく振り下ろした踵が脳天へ命中する。
「が、あ……っ」
崩れ落ちた男の影から、ひとり、背後から残りのひとりが、剣を抜いて駆け寄ってきた。
彼らの攻撃を難なく避け、地面に手をついて背後にいた男の顎を、思いっきり蹴飛ばす。
見事に意識を失った男からフェリスは離れると、体制を整えながら最後のひとりと距離をとり、ふ、と小さく息を吐いた。
「この、!」
仲間を伸され、激昂した男はなりふり構わずフェリスへと突撃してくる。
単純な一直線の攻撃を飛び上がって避けると、男の顔面目掛けて膝をめり込ませる。
フェリスが着地すると同時に、男は鼻から血を吹き出しながらその場に倒れ、僅かな痙攣を繰り返した。
「―――フェリス、雑魚を相手にする時間はないぞ」
「分かってる」
乱れたローブを被り直し、フェリスは追手が来る前にとその場を走り去る。
町を横断する川―――それを伝っていけば、見えてくるのは北区の門だ。
早く町を去らねば、手に負えない数の憲兵がやってくるだろう。
建ち並ぶ家々を通り過ぎ、川へ急いで向かう。だが坂道を省略しようと、境の塀を飛び越えたときだ。
「あ」
「え」
思いもがけなかった人の存在に驚き、フェリスは空中で一度だけ目を瞬かせる。
しかしどうすることもできない。
ゆっくりと一秒過ぎた後、フェリスはその人物もろとも地面へと倒れ込んだ。