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44 世界に訪れる救済



 ―――あれは誰だろう。

 朦朧とする意識が定まらず、目前に現れた人間を視界に収めた。

 閉じてしまえば、もう終われる。


 それなのに、必死になって手を伸ばす人間から目が離せない。閉じてしまうのが惜しくなるほどに、彼の蒼い瞳はとても綺麗だった。


 フェイと言った。

 フェイって誰のことを言っているんだろう。


 魔力と化していく、ただの伝導回路である己には理解できない。

 自分がなんだったかも、

 彼が何を必死で叫んでいるのかも、

 もうなにもかもがわからなかった。


 視界に映った腕で、かろうじて自分が人間であったことは把握する。でもそれだけだ。


 徐々に失っていく機能。

 声はもうでない。

 筋肉は肉塊と果てた。

 痛覚もない。

 ああ、今聴力も消えてしまった。


 残るは唯一、視界だけだ。もうこれしかない。彼の蒼い瞳をもっと見ていたいと思う。もうすこしだけ、見ていたいとおもう。きれいなあお色。それは、いとしいあのほしのかがやき。はじめてみたときから、ずっとおもってた、おぼえてる、ああなつかしいって―――……。


『―――還りたいか』


 えるのこえがする。えるだ、ああ、える。そこにいてくれてたんだ。

 でもかえってしまったら、あえなくなる。それはきっとさびしい。えるもさびしい。みんなさびしい。


『望むのであれば、我は与えよう』


 のぞむ?

 のぞむことなんて、もうない。

 なにもない。


「……」


 ああ、でも。


 あのきれいなひとみを、もっとみていたい。

 それが、ただひとつのねがい。


『世界が滅べば、あの人間も消える。魂すらも残さず塵と化す。土から生まれた者は、皆等しく脆い』


 みんな、きえる。

 あのひとも、きえてしまう。


『我が創りし人間を間違っていたとは思わぬ。だが、正しかったとも言えぬ。故に消滅するのもまた必定。滅びによって浄化され、我が力と還るのみ』


 みんな、みんなきえる。

 かけらものこさず。

 いきていた意味すらのこさず―――消える。


「―――……」


 この魂をとじこめるためだけの、世界。

 それしか意味はないとでもいうのか。それではここで生きる人間達が、確かに命を紡いでいる人間達が、あまりに滑稽すぎる。


『人は我らの化身。土から生まれし神々の気紛れ。滅ぼすも生かすも、我らの意志』


 勝手だ。

 勝手に生み出して、勝手に不良品だと放り投げるなんて。

 そんなことに納得なんて出来るはずもない。


『ならば抗うか。神の意志を覆すも、神を越えるも、それは人の可能性。人でしか成し得ないこと』


 人を軽々しく扱う神なんて、こっちから願い下げだ。

 抗ってやる。

 足掻いてやる。

 絶対に死なせない。世界を消させやしない。消滅なんてさせない。リゲルだって助けてみせる―――!

 


「望んでやるわ! この世界全部、私に明け渡して!」



 張り叫んだ声に、彼は小さく笑った。


『―――努、忘れるな。この世界はお前と共に在ることを』


 それを最期に声は消え、フェイの五感、人間としての意識が蘇る。

 周囲を見渡せば、尋常ではない魔力の渦中にあった。自身の身体は刻印が光り輝き、すぐさま状況を把握する。


 なんとか収めようとするも、力が制御できない。

 身体を這う刻印は悪魔メフィストフェレスのものだ。彼女が流れを止めない限り、魔力だって止まることはないだろう。



 だったら方法はひとつ。自らの力で捻じ伏せるだけだ。



「―――accompli≪完了≫」


 リゲルから貰った奇宝石を、残らずすべて握り締める。

 全力を出さない限り、際限なく広がった魔力量を超えることなんて出来ない。

 もしかしたら暴走してしまうかもしれない。

 魔力を収められないかもしれない。


(でも微塵たりとも可能性があるというのなら、私はそれに賭ける! お願い力を貸して! 悪魔を捻じ伏せる力を私に―――そのためだったら、私自身どうなったって構わないッ!)


「一に元素、万物の根源」


 大気を流れる風よ、


「万来の元始」


 赤く燃える火よ、


「万象の起源」


 広大にたゆたう水よ、


「万有の開闢」


 命育む大地よ、


「司りし精霊の賜物、恩寵を仰ぎ、我は祈りを捧ぐ―――」


 奇宝石が浮き上がり、フェイの周囲を飛び交う。

 ひとつにかかる負荷は大きく、耐えきれずに石の表面に亀裂が走った。


(―――耐えて!)


 必死に願い、更に力を込める。

 

「liaison≪結合≫、

 ―――circulation≪巡る≫、circulation≪巡る≫、circulation≪巡る≫、circulation≪巡る≫」


 繰り返す。回路を繋げる。広げる。広げる。

 

 動きを止め、フェイを囲むように四つの座に位置した奇宝石が、小刻みに震えだす。

 割れ目が深まり、あと僅かで砕けてしまう。そう察した。


(だめ……っ!)


 甲高い音が響いたと思った瞬間、四隅にあった奇宝石は粉々に砕け散る。


「っ、!」


 降り注ぐ宝石の破片に、フェイは絶望に顔を曇らせた。



 だが―――渦の中から見えた輝きに、括目する。

 現れた『栄誉ある剣』は、まるで意思を持ったようにフェイの前へと向かってきた。魔力に満ちた渦の中を、単身で切り抜けてきたのだ。


 手を伸ばし、剣に触れる。

 幾つもの奇宝石を用いた、騎士最大の誉れである剣。その名の通り『栄誉』を象徴する剣は、闇の中にいても輝きが損なうことはない。


「……リゲル、の」


 力強さを感じる重みに、フェイは破顔した。


 すぐさま剣を両手で握り締め、力を送り込む。リゲルが共にいてくれる。力を貸してくれている。なら自分は限界を越えられる。『最強』すらも飛び越えることができる……!


「―――accompli≪完了≫、


 一に元素、万物の根源。万来の元始。万象の起源。万有の開闢。

 司りし精霊の賜物、恩寵を仰ぎ、我は祈りを捧ぐ。


 liaison≪結合≫―――circulation≪巡る≫、


 素は偉大なる息吹、統べる万物の根源。

 素は破滅の象徴、照らす万来の元始。

 素は命の創造主、清き万象の起源。

 素は恵みの守り手、大いなる万有の開闢。


 万難を排し、求めに応えを。


 四大の精霊よ、ここに来たれ!」


 『栄誉ある剣』が光り輝く。

 今この時、フェイは世界を知った。世界を見た。世界を感じた。世界と化した。

 確かな生命の脈動を感じることが出来る。


 だからこそ分かる。


 『終わり』など、誰も求めていないことを―――!



「侍るは理、我に常世全ての、栄華の導きを―――ッ!」



 渾身の力を込めて、『栄誉ある剣』を大地に突き刺す。

 瞬間、魔力の渦が晴れ、フェイを中心に四大の精霊が影を追いかけ円状に奔った。

 影に呑まれた大地が輝きを取り戻していく。

 際限なく広がった影が消失していく。でもまだ―――まだ足りない。もっと、もっと力が欲しい。この世界中の力を、神に届く力を、もっと貸して―――っ!



「う、あああああああ―――ッ!」



 天も地も、空も海も、あらゆるもの全てから力を引っ張り出し、影を一掃させる。

 人間にかけられていた魅了も、身体に染みついた刻印も祓い落とす。

 悪魔の痕跡を消失し、精霊の恩恵を世界中へ散らしていった。


 それは全知全能の神に届く可能性を、知らしめるものだった。

 ともすれば天の玉座に触れられるほどの力を、かつて楽園を追われた筈の彼女自らが奮ってみせる。


 理性を戻した彼らは剣を下ろし、刻印に絶望していた人間は悲劇の終わりを告げる、澄み渡った青空を見上げた。


「……すごい」


 誰が呟いたのか、それは突然の出来事に狼狽するメフィストフェレスにも聞こえていた。


「こんな、こんなことが……」

「―――終わりよ、メフィストフェレスッ!」


 刀身が砕けた剣を携えたまま、フェイは走りだす。


 迫る脅威に、メフィストフェレスは畏れた。咄嗟に魔力を奮おうとするが、神に対してあまりに矮小な力は最早意味を持たない。

 こんなことが―――こんなことがあってたまるものか。

 メフィストフェレスは、現実をただ否定する。自身は悪魔である。ルシファーの一歩後ろに立つ、悪魔の最上。強者の一角。魔神と呼ばれ、人を貶め、常に畏怖されてきた存在。


 それが、そんな最強の悪魔たる己が、たかだか矮小な人間の器に収まった起源の魂に、負けるというのか。


 許されない。そんなことはあってはならない。

 ルシファーを取り戻すまでは、決して倒れる訳にはいかないのだ。それがメフィストフェレスの務め。絶対にして、揺るぎない忠誠心の現れ。かの王こそが我々には必要なのだ―――!


「貴様如きに―――ッ!」

「でやあああああッ!」


 振り下ろされた剣を、メフィストフェレスは自身の魔力で粉砕する。脆い、なんという脆さだ。

 悪魔は口角を上げた。武器を失い、術を発動する奇宝石も尽きている。三本の爪でフェイの身体を捉えれば、一音呻いた後に顔を歪ませた。

 力を込めれば、剣よりも脆い人間の身体は血を滲ませ、骨の折れる音が聞こえてくる。

 まるで木の枝だ。苦痛に喘ぐ姿すら滑稽に思えてくる。


 やはり、勝つのは何時の世も悪魔、神なのだ。

 人間が勝ち得る道理など、どこにもない。


 かつて一度だけ自分を貶めた人間の存在を忘れ、ただメフィストフェレスは勝利に酔いしれる。


「陳腐な娘如きに、魔神が討ち果たせると思ってか! さあ、今こそ喰らってくれる……っ!」

「……」


 闇に通ずる口を開いたメフィストフェレスは、ちっぽけな存在の手の中にいる人間が、小さく笑っていることに気付く。

 眼球を動かしフェイを注視すれば、掲げられた腕に何かを掴んでいるのが見えた。

 その輝きは、紛れもない己が力。


「まさか―――まさか、」

「開くは七つの門、巡るは因果の業。


 起源の祖よ、混沌の礎を築きし祖よ、

 脈々と胎動せしこの力、この意思を以て、対する者に廃滅を望む」


 戦慄するメフィストフェレスは、フェイを握る力を強める。だが折れぬ身体は、壊れぬ意志は、最早足掻く術もないことを悪魔に教えた。


 奇宝石はすべて使い切った筈。刻印は悪魔でなければ作動できない。

 剣も失い、フェイは術を扱うことが出来ないと―――だが手に握り締めているのは、紛れもなく紅く煌めく宝石だ。


「―――許しを此処に 祖は終焉の兆しにして、理を抱く者」


 だが、唯一フェイの手元から離れていた奇宝石があった。

 世界の真実を語り、世界を拒絶した時に失意に崩れたフェイから零れ落ちた、ひとつの石。

 騒乱の最中、地面に放られたままとなっていた奇宝石が、今は彼女の手の中にある。


 そしてフェイが口にしているのは、魔力を扱うための詠唱だ。

 精霊術を基盤とする人間では、扱うことは不可能の力。


 ああ、そうか―――。

 メフィストフェレスは導いた結論に、身体を震えさせた。


「あたしを、あたしを滅ぼすというのですかあ! ルシファー様あああッ!」


 嘆いたところで、メフィストフェレスの犯した罪は途方も無く重い。

 紅い瞳を煌めかせたフェイは、望みを果たした代償を払って、今ここに悪魔を滅する。


「あんたの力、そっくりそのまんまお返しするわっ!」


 メフィストフェレスの口へと、勢いつけて腕ごと奇宝石を捻じ込む。


「大門よ開け、溢れて満たせ、我に破滅の導きを―――ッ!」


 発動した魔力はメフィストの体内を巡り、硬い皮を突き破って放出した。



「ああぁぁぁぁあぁああああ―――ッ!」



 悪魔の絶叫が轟き、その身が燃え上がり弾け飛び、光の中へ吸い込まれていく。

 唸る風に欠片も残さず、あっけない幕切れと共に悪魔は常世全てから消え失せていった。


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