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43 世界を呑み込む混沌

 

 ―――フェイは虚ろな意識の中、無数に鳴り響く剣戟の音で瞳を開けた。


 あちらこちらで、精霊術や魔術が展開されている音が聞こえてくる。


 火の燃え盛りを感じる。

 大地の雄叫びが聞こえる。

 大気の流れが分かる。

 水の行き交う先が見える。


 自分の身体に刻まれた印が、胎動している。


 右腕を見れば、手の甲にまで浸食した刻印が見えた。

 ああ、そうかと諦めの色を瞳に宿す。


 どうやらこの身は、既に自分のものではなくなってしまったらしい。

 悪意に満ちた刻印は肌に焼き付き、脈々と力を蓄えているのを感じ取る。


 ―――悪魔の思い通りとなってしまった。刻印は完璧な伝導回路となったのだ。


「……」


 もう、いいか。


 抗うのも疲れた。

 エルはいない。

 世界は終わる。


 ルシファーだのリリスの魂だの、悪魔だの、もうどうだっていい。お伽噺めいたファンタジーは、これで終いにしよう。

 終幕だ。悲劇ばかりで、役者は足踏み揃わず、観客は脚本書いた悪魔ひとりだけ。なんともお粗末な劇だと呆れかえる。


 フェイは緩やかに瞳を閉じ、力の流れに身を任せた。


 伝導回路と変わりゆくのが分かる。

 ただの無機質なひとつとなっていくのを感じる。

 薄れていく個の人格、

 忘れていく数多の悲しい記憶、

 壊れていく人間としての機能、


 ―――最期に『フェイだったもの』は、誰かの悲痛な叫び声を耳に入れた。



「……っ、!?」


 突如として溢れだした尋常ではない魔力量に、その場に居た者は戦いを止めてフェイを見た。

 這うように地面を浸食していく闇は、すべてを飲み込まんと規模を広げていく。

 際限ない広がりに、遂には境界が把握できなくなるほどだ。


「あは……あははははッ!」


 悪魔のけたたましい笑い声が、その闇を迎え入れていた。オルヴァドは己が剣の勢いを止め、悪魔からフェイへと視線を移す。

 大地が色を変え闇に沈み、次いでフェイを中心として巨大な渦が巻き起こる。生温い突風に、各々風を受けながら渦中を見つめた。

 何が起こっているのか、何が起きるのか―――誰も分からない中、唯一その答えを知る悪魔は腹を抱えて笑っている。


「……フェイ?」


 茫然としながらも無意識に歩み寄ったリゲルは、しかし渦巻く魔力に肌を焼かれる。

 膨大な、それでいて高密度の魔力だ。まるで世界中から寄せ集めたかのような脅威を前に、リゲルの脳裏にひとつの『命令』がよぎった。



『―――いずれその時が来たら』。



「……まさか、」


 彼女の言葉を思い出したリゲルは、すぐさま悪魔へ視線を向ける。高笑いするメフィストフェレスの反応を見たリゲルは、その仮定に確信を抱いた。


 刻印は、悪魔が人間を思い通りに動かすために、自らの魔力を元として身体に刻み込む術だと言っていた。

 通常であれば『囁き』が起こり、錯乱してしまうとも。だがフェイには精霊の加護がある。それによって『囁き』に耐えられる代わりに、刻印が浸食し身体を覆えば、単体で作動する伝導回路として―――。


「溜めこんだ魔力を……放出する」


 口にすれば、傍で聞いていたアレットが血相変えてリゲルの肩を掴んだ。


「おい、貴様。何か知ってるのか!? 一体何が起きている」

「フェイは……これほどの悪意を、ずっと溜めこんでいたのか……?」


 愕然とする目前の光景に、リゲルは彼女の悲愴な背景を想像した。

 あの時、泣くのを堪えるような淡い微笑みで言っていたのを思い出す。



『私を殺して止めてほしいの』。



 巻き起こる魔力の隙間から見えるフェイは、変わらぬ姿勢で横たわっている。自身がつけた背中の傷に、意識を奪われているのだ。血に濡れた地面を視界に入れて、リゲルは震える口を動かした。


「……俺が、決定打になったのか?」


 応えは返ってこない。でもそうだと、現実の光景が訴えかけてくる。


「そんな……こんな、こんなのって」


 あまりに残酷な現実に、リゲルは胸を掻き毟った。

 風が舞い上がり、木々の葉が不吉な音を奏でる。野生の動物らは逃げ惑うが、こうなった以上逃げ場などどこにもないだろう。溜めこんだ憎しみはとっくに境目なぞ見えず、脅威の範囲を広めるばかりだ。


「さあ―――さあ、さあ! ご注目あーれーっ!」


 メフィストフェレスのおどけた口調が、場に響く。

 見れば、人間の皮を脱ぎ捨てた化け物が大きく醜い口を開き、ひしゃげた身体を精一杯に伸ばして、いつの間にそこに移ったのか大木の高みから嗤っていた。


「なんだ、あれは……あれが、奴の正体か……!?」


 顔を蒼ざめたアレットの呟きが聞こえてくる。リゲルは奥底で震える恐怖を噛み締め、悪魔を見上げた。

 堪らずに上がる悲鳴と、戦慄に絶句する人間らを見下ろしながら、悪魔は奇妙な形の眼を歪める。


「まさか人間がここまで悪意を溜めこめるなんて! ああ、なんて素晴らしい可能性っ! 素敵よ、本当に貴女って素敵!」

「フェイに……なにをするつもりだ」


 リゲルの問いに応えず、悪魔メフィストフェレスは三本のみの手を掲げると、昂る思いと共に言い放つ。


「―――七つの悪はいま此処に満ちたッ! さあ開け、開け、開け!

 その身を混沌に染め、今こそ扉を開くがいい!」


 フェイの周囲に渦巻いていた魔力が、より一層強く放出される。

 見ればフェイの身体に刻まれた印が妖しげに光り、魔力が回路を伝っているのが見て取れた。


「……やめろ」


 これ以上は、駄目だ。駄目だフェイが『保たない』。


「リゲル!」


 誰かが発した制止の言葉に振り返ることもせず、リゲルは一心不乱に渦中へと飛び込んでいく。

 だがあまりに高密度のそれは、異物と認識した瞬間にリゲルを跳ね返し、皮膚を焦がしてみせた。


 そうしている間にも、メフィストフェレスの言葉は狂ったような音で紡がれていく。


「我はファウストの魔神、メフィストフェレス!

 さあ飢えた我が力よ、紛い物を存分に喰らうがいい―――ッ!」


「やめろおおぉぉぉ―――ッ!」

「駄目だ、行くなリゲル!」


 瞬間、フェイの身体が眩いほどの光に包まれる。

 駆け出したリゲルはアレットの腕を振り切り、今にも解放されんとする魔力の渦へ、剣先を突き刺した。

 闇に飲み込まれていく剣と共に、身体も飲み込まれていく。

 皮膚が焼け、肉が焦げる。だがそんなこと構うものか。


「フェイ、フェイ―――ッ!」


 力の限り叫び、命ある限り名前を叫ぶ。


(お前が言ったんだ、『関係ない人間は巻き込むな』と。なのにお前がそうするのか。だめだ、そんなこと絶対だめだ。生きていてくれなきゃだめだ)


 ―――それはほんの一瞬のことだった。


 渦中に横たわっていたフェイの瞳が緩く開き、リゲルの姿を映す。

 見つめ合ったのは、ほんの僅かな間だった。


 フェイの伝導回路が力を通し、闇に浸食された大地から強大な力が放たれる。

 リゲルは最後に、彼女の名を呼んだ。


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