42 騒乱
「貴方達を呼んだのは一緒に始末してあげるためよ! 滑稽な人形達が影でこそこそと……ええ、とっても目障りだったッ!」
「―――ぬかせっ!」
オルヴァドの剣戟に合わせ、メフィストフェレスの影が躍る。
二人の激闘にレジスも加わろうとしたが、目の前に現れた人物がそれを阻んだ。
「っ、おっと」
向かってきた剣先に、レジスは咄嗟に身を捻って避ける。しかし続け様に奮われた一閃に、レジスの頬が赤い血を流した。
地に手をついて二転し、レジスは対峙する人物を見ておどけた笑いを零す。
「おいおい、ガヌロン……お前まだ魅了されてるのかい? なっさけないねえ、全く」
「勘違いしてもらっちゃあ困るぜ、レジス」
ガヌロンは剣を構え直しながら、不敵に笑む。
「いつ、誰が悪魔の虜になってるって言ったよ? 俺は面白い方についただけだっつーの」
「奴らの話聞いててそれ言っちゃう?」
「元から気に食わなかったんだよ、お前らが十二勇将を牛耳ってることに―――なあッ!」
地面を蹴ったガヌロンは、一気に距離を詰め剣を薙ぐ。
レジスが豪胆な剣を受けきるには、腕力が足りない。故に避けようとした瞬間、ガヌロンの薙いだ剣がすぐさま振り上げられ、頭上へと落ちる。
「―――」
しかし確実に叩き切っていただろうその攻撃は、横槍を入れたガーランドによって防がれた。
打ち合った剣は拮抗し、小刻みに震えだす。ガヌロンは好戦的な瞳を歪め、がたいの良い男へ向けた。
「……っ、こっの野郎……!」
「貴様の相手はこのガーランドが請け合おう。騎士道を忘れ、己が欲に溺れた者がどういった末路を辿るか……しかと知るがいい!」
「てめえの……そういう堅っ苦しくて小奇麗なところが、苦手だっつってんだよッ!」
打ち合う剣は周囲に響き渡り、それが死闘であることを知らしめていた。
*
一方、リゲルを仕留めようとしたアレットは、突如として襲いかかってきた氷の精霊術によって食い止められてしまう。
己が魔力でオリヴィエ共々防いだアレットは、目前から素早い動きで駆けてくる小柄な女性を視界に収めた。
「ノア……っ!」
名を口にしたのはオリヴィエだ。すぐさま大地を盛り上げ、ノアの行く手を阻もうとしたオリヴィエだったが、流れるように剣を引き抜いたノアは、勢いよく跳躍してみせた。
そして迷いなくアレットへ剣を振り被り、刀身を打ち鳴らす。
女性だというのに、その威力はさすが十二勇将と唸る程だ。対峙する無表情の瞳に、アレットの焦燥した顔が映り込んだ。
肩口の傷から血が溢れていることに気付き、オリヴィエは大地を割ってノアを引き離す。
「大丈夫か……っ」
「……悪い」
本調子でないアレットも、まだ薬の効果が残っているオリヴィエも、互いに協力体制をとるべく無言で背中を預けあう。
そんな二人に向かって、ノアの背後から氷の刃が迫ってきた。
アレットは影を繰り出し再び防ごうとするも、別方向から飛んできた刃に一拍遅れて気づく。
「く、ああッ!」
「アレット!」
氷の刃が身体に突き刺さり、勢いよく吹き飛ばされるアレット。そしてオリヴィエもまた、目前に迫ってきた氷の結晶に目を見開いた。
ノアの隣に位置するミラルドは、感情宿らぬ瞳で残酷にオリヴィエへ氷の雨を降らせる。
「―――ッ!」
悲鳴すら許さぬ猛攻の中を、ノアは再び駆け出した。
途端、氷の雨は止み、代わりに死神が顔を覗かせる。ノアは長い髪を広げ、剣の切っ先をオリヴィエへ奔らせた。
だが突如として現れた石つぶてが、ノアの剣先を弾く。
「……」
勢いを殺し立ち止まったノアが向いた先には、血だらけながらも剣を構えるエリックがいた。
荒い息をつきながらも、その瞳には明確な敵意が浮かんでいる。
「……オリヴィエに、手をだすな……っ!」
「エリック……!」
鬼気迫る気迫に、ノアは剣を一度払うと後方のオリヴィエを視界に収めた。エリックの風の術で護られたようで、オリヴィエは無傷で佇んでいる。
「ミラルド」
「分かってる、ノア」
淡々とした女性らしい高い声に、中性的なミラルドの声が応える。
二人は同時に剣を構えると、エリックとオリヴィエへそれぞれ駆けた。
*
「……っ、かは、」
腹に突き刺さった氷の刃を抜いたアレットは、起き上がろうと力を込めるも、すぐに断念する。
肩口の傷に加え、新たに負ってしまった傷も深い。大量の出血でいよいよ眩暈すら起き始め、ここが自分の墓場となるのだろうか、と弱気に思ったときだ。
騒乱の中を悠然と歩く男の姿が、視界に入った。
「……」
手に握るのは殺意の無い一本の剣。
リゲルは倒れるアレットの前で立ち止まると、蒼く澄み渡った瞳を細めた。
「俺を殺すか」
厳かに問いかけるが、応えは返ってこない。
リゲルは虚ろに顔を伏せると、広げた左手へと視線を落とした。
「俺が、やった……」
何を言い出すのかと、アレットは様子のおかしいリゲルを仰ぎ見る。
「お前の傷も、フェイも、この惨状も、俺が……俺がやった」
「……貴様、まさか」
蒼い瞳から溢れた涙に、アレットは息を呑んだ。
魅了から解放されたのだろうか、そう注意深く見る。
「どこから俺でなくなったのか分からない……っ、俺は確かに、フェイを……守ろうとしていたのに……!」
「何を言っている? 貴様は最初から、」
「違う、違うんだ。全部が嘘なんかじゃない」
首を振るリゲルは、嘘を吐いているようには見えなかった。もちろん、悪魔の魅了にかかっているとも思えない。
「フェイと騎士の誓いをした、確かにしたんだ。オルヴァドと反乱の機を伺っていたのに……俺はいつから悪魔に心奪われていたんだ。自分のことが分からない、俺は……っ!」
「―――だからと言って、貴様があの方を傷つけたことに代わりはない」
断言すれば、リゲルの言葉が途切れる。
緩やかに顔を上げ自嘲したリゲルは、「そうだ」とアレットに肯定した。
「……俺が、傷つけた」
虚しい一言に、騒乱の音が一層大きく響いてくる。
ともすれば自害すら厭わないであろうリゲルに、アレットは渾身の力を振り絞って剣を差しだす。
「ならば、その心が真のものであるのなら……もう一度示せばいい」
「……」
告げられた言葉に、リゲルは目を見開いた。綺麗な蒼い瞳をしている。そう思った。
―――隙を狙う、くすんだ青色の瞳とは全く別のものだ。アレットは一瞬でその目に剣呑さを宿すと、自身の剣をまるで投槍のように飛ばした。
頬を掠め投げられた剣に、リゲルはすぐさま振り返る。
「―――な、」
立ち上がる煙に乗じて現れたアルスに、リゲルは反射的に剣を構えた。鋭い刀身同士が合わさり、押される。
弾いたリゲルから距離をとったアルスは、肩をすくめながら軽快に言った。
「あーあ、ばれちゃいましたか」
「背後を狙うとは、見上げた騎士道だ」
「アルス……っ」
にこやかな笑みを浮かべたアルスは、重傷を負っているアレット、続けて茫然としているリゲルへ視線を移すと、くすんだ青色の瞳を細めた。
「嫌だな、リゲルさん。その『なんでお前までが』って顔するのやめてくれません? 言っておきますけど、僕はあの人の術にかかってませんよ。心に隙なんてありませんから」
「―――なら、何故だ」
「決まってるじゃないですか。僕にとって、あの人は紛れもない救世主なんです。こんな世界、早く無くなっちゃえばいいのにってずっとずっと思ってたんですよ」
アルスの楽しげな声に、リゲルは動けないアレットを庇うように移動した。
それを見たアルスは年相応の笑みを消すと、苛立ちに堪らないといった表情で二人を見る。
「―――ああ、だからそういうの。そういう人の情とか、助け合いっていうんですか? 本当見てて苛立つんですよねえ」
「ならなんで騎士になった」
リゲルの問いは、至極もっともだった。
騎士道にあるように、弱きを助け強きを挫く。正しきものを信じ、間違いは正す。皇国は騎士の掟を築き、その掟を最も重んじる者として十二勇将という精鋭部隊を結成した。そして彼は十二勇将、最年少の騎士だ。常に穏やかなアルスだが、騎士として成熟しているものと思っていた。
だがアルスは、リゲルの問いかけに心底嬉しそうな顔で応える。
「いっぱい人を殺せるからですよ」
その答えに、リゲルもアレットもただ唖然とした。
「この世界で一番いらないのって、人間だと思うんです。ほら、さっきもあの人が言ってたでしょう? 僕らは未完成品だって。必要ないんですよ、僕ら人間は」
「なにを……っ!」
吐き出したアレットに、アルスは小首を傾げる。
「貴方達も同じじゃありませんか。騎士道だなんて妄想抱いて、大量に人を殺しまくっている。同じですよ」
「騎士を愚弄するかっ、貴様あ!」
「アレット!」
血を吐きながら起き上がろうとしたアレットを制し、リゲルはアルスを見据えた。
しかし、怒り治まらないようでアレットはリゲルを支えにして、ゆっくりと立ち上がる。
「……それでも俺は、お前をずっと仲間だと思っていた」
「まだ甘いこと言うんですね。そういうの本当いいですから。あ、そうだ。いいこと教えてあげます。モンゼリエの町、立ち寄ったでしょう?」
突然言われたことに、二人は眉を寄せ、アルスの二の句を待った。
ザドー、シェルと対峙した場所だ。かつて刻印の者が断罪されたという商人の町である。
「ある刻印の人から、『精神錯乱、興奮状態』に陥る香油を紹介してもらったんです。それがあれば楽しい殺し合いが起こせるじゃないですか。でもどれくらい効果があるのか分からなかったので、あの町と城下町にばらまいてみたんです。そうしたら本当に効果が現れて」
「……」
「あ、でも今は消えちゃってますよ? フェリスさんが効果を打ち消す薬を町中に分布しちゃったので。でもとても面白い実験結果が出ました。よってたかって一人をなぶり殺しにする町の人達……あれこそが、人間の浅ましさだって思いましたよ。ちなみにリゲルさんも香油の効果が現れているはずですよ。ザドーさん達が出発する前に、仕込んでおきましたから」
遠くに倒れたままのフェイへ、視線を注ぐ。彼女はあの時、いやに町民達から襲われていた。
それが、アルスの撒いた香油のせいだと。
そしてザドーとシェル、あの二人の好戦的な態度は香油の効果によるものだと。
確かに、普段よりも加減を忘れていると感じていた。それはリゲルもまた同じだ。理性忘れるほどに、嫉妬に身を焦がした。思えば、あの時から様子がおかしくなったのだ。
フェイばかりを心に留め、フェイに執着し、アレットを排除しようとした。
―――いいや、それだけではない。
フェイと出逢ったばかりのときは、まだ理性を保っていた。悪魔の囁き通りに行動していても、自身で思考していたような不思議な感覚だったが、いつの間にか思考すらもはぎ取られていたのだ。
「なぜ、そんなことを……」
「面白いからです。たぶん、僕の感覚とあの人の感覚って同じなんですよ。なんだろう、生まれついての悪魔っていうのかな。なんでか昔から、人ってくだらない生き物だなあって感じてたんです」
一点の穢れもない純粋さを感じさせる笑みで、アルスは言った。
怒りに震えるアレットは傷口に構うこともなく掴みかかろうとしている。それを引きとめるリゲルは、彼へ憐み込めた視線を送った。
「……その目。だから本当苛立つんです、貴方って。騎士だ騎士だって馬鹿みたいにあの二人とはしゃいで。ずっと胸糞悪かったんですよ、僕。だから、貴方が敬愛していたものを壊しちゃいました。皇帝陛下は死にましたよ。貴方の強さを褒めていた皇帝陛下は、最期まで悪魔の術にかかったままでした」
「―――……」
アルスの言葉に、リゲルは目を丸くする。
以前は穏やかな顔ばかりをしていた皇帝陛下は、リゲルの強さを『お前は化け物だな』と笑って褒め、十二勇将に推薦してくれたのだ。故に変わり果てた皇帝陛下がいつか戻ってくれるのではと願っていた。しかし悪魔の仕業とも思っていなかったために、同時に落胆もしていた。あまりに早計な戦も、迎え入れた救世主も、皇帝陛下が気を病んだせいとばかりに思い、悔やんでいた。
―――ああ、とリゲルは胸に鉛を落としたような感覚を抱く。
「……」
押し黙るリゲルから溢れる殺意は、徐々に膨らみを帯びていく。それは奇しき巡り合わせで、隣のアレットも同じように殺意を膨らませていた。
この時、この場において、二人は同じ人物を『敵』と認識する。
「よかった、僕とやり合ってくれるんですね。剣お返ししますよ、二人一緒で構いません―――僕はとても強いですから」
アルスは地面に突き刺さったままの剣を手に取ると、アレットへと投げ寄越す。
「最上の侮辱だ……っ!」
憤るアレットは、されど剣を受け取り構えた。リゲルもまた、アレットと対になるように構える。
二人を嬉しそうに、心から胸躍るような表情で、アルスもまた剣を構えた。
「お前、傷は平気か」
「貴様が負わせたものだ。平気な訳があるか。だが、この戦いにおいて心配は無用」
「……感謝する。終わったら好きなだけ仕返しするといい」
「ああ、そうさせてもらう。覚悟しておけよ」
短いやり取りを交わすと、二人は互いの頼もしさに一瞬口角を上げ―――そして雄々しく開戦の一撃を放った。




