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40 風が吹く


 それは、ライナス大帝が玉座について少し経った頃だった。


『―――……これは?』


 差し出された古びた本を見て、アレットは微笑む王を見上げる。


 城の内部に造られた、小さな庭。

 咲き誇る花々、質素な噴水、自由に舞う蝶―――ライナス大帝はいたくこの庭園を気に入り、執務の合間によく入り浸っていた。

 掴みどころのない性格をした彼は、側近であるアレットを呼びつけては、暇つぶしと称して突拍子もない話を繰り返していたものだ。

 たとえば、雪の降る季節になると現れる、白い袋を持った赤い高齢者の話、

 化け物やら空想上やらの生き物を真似て、パレードを行い菓子を強奪していく話、

 他にも道を駆け抜ける馬車よりも早い乗り物や、空飛ぶ鉄の乗り物……まるで子供の考えたような話ばかりを聞かされていた。


 今回もまたそういった話かと、諦め半分に本を受け取ったアレットへ、彼はやはり突拍子もなく言った。

 

『本当の神話だ』

『……おっしゃる意味が』

『読めば分かるさ。大切にしろよ、たった一冊しかないのだからな』

『ではお返しいたします』

『俺は読めと言っている。王の命が聞けないと?』

 

 押し問答の末、分厚い本をすべて暗記し、感想を書面にして提出することとなってしまった。王が変わり多忙である時期に、なんと鬼畜なことか。アレットは溜息を吐きながら、その『世界に一冊しかない真実の本』とやらを部屋に持ち帰って、流し読みでいいかとページを開いた。


 そこに書かれていたのは、幼少から聞かされ続けた神話とは異なるものだった。

 異教の本かと眉を寄せたが、いやに緻密に明記されている内容に、不思議と本に吸い込まれていくかのような錯覚を覚える。

 朝が訪れた頃には、それが『真の神話』だと信じて止まなかった。

 昂る思いを込めた感想を提出すれば、『やはりお前は素晴らしく単純だ』などと腹を抱えて笑われたものの、王はどこか嬉しそうだったのを憶えている。


***


 ―――やはりあの聖書は正しかったのだと、アレットはかろうじて保った意識の中で思った。


 本当の救世主、いや、悪魔メフィストフェレスの告げた神々の正史は、聖書に綴られていたものと合致する。

 ルシファーは『楽園』を追われた堕天使だ。そしてメフィストフェレスは彼に次ぐ力を持つといわれる悪魔。


 似非世界を創り上げた、とはなかなかに信じがたいが、悪魔とフェイの一連のやりとりを聞いて、ようやく悟る。

 ライナス大帝の突拍子もない話は、その世界のことだったのだと。

 ならば、臣下である己がなにを否定することがある。なにに疑いの心を向けるつもりか。



「っ、あああああああぁぁぁぁぁぁあああ―――ッ!」



 フェイの嘆きが、耳につんざく。


 ―――守らねば。


 彼女の御身を、その清い魂を、己の命に代えても守り通さなければ。

 王はこの時を予見されていたのだ。だからこそ、自分に聖書を見せたのだ。

 ならば王の期待に自分が応えなければ―――誰が応えられるという。


 アレットは起き上がろうと、腕に力を込めた。肩から血が溢れだす。地面が血の泥と化し、全身を走る激痛に歯を食いしばって堪える。

 足で踏ん張り、剣を握り締めたアレットは、息つく暇もなく駆け出した。


 地に伏せた彼女へ、リゲルはとどめとばかりに剣を突き刺そうとする。アレットは鬼の形相を宿し、渾身の力を以てして剣を振り被った。

 

「リゲル―――ッ!」

「っ、!」


 咄嗟に受け止めたリゲルは、剣を弾いてアレットから距離を取ろうとする。

 しかし一閃、また一閃と追撃が絶えず、その顔に焦燥の色を浮かばせた。


 薙いだ剣先がリゲルの衣服を破り、その下の肌を赤く染める。


 アレットの出血の量は尋常でなく、動けば動くほど地面に飛び散っている。

 だというのに、一切攻撃の手を緩めることない彼は、鬼気迫るものがあった。それを察知しているからこそ、リゲルは攻撃に転じることができない。がむしゃらのように思える剣も、確実に急所を狙っている上に徐々に速さが増しているのだ。

 それはもう、執念といってもいいほどだった。


「あああ―――ッ!」


 渾身の力で振り下ろされたアレットの剣を、刀身を滑らせ受け流す。

 だがリゲルが構え直すより早く、剣先が突如として持ちあがった。


「な、っ!?」


 声に漏らすは一音だけ。それ以上の猶予はなく、リゲルの剣は宙を舞った。


 離れた地面に突き刺さったそれを目で確認するが、惨めに拾いにいくことはできない。剣が手元から離れること、それすなわち敗北を意味する。敵に負けた以上は、死を覚悟しなければならない。

 それは、彼らの騎士が守るべき扶持でもあった。


「―――やめろッ!」


 故に、リゲルは声を張り上げ『彼』を制しようとする。

 アレットの背後には、剣を携え迫るレオ皇子の姿があった。遅れてアレットも気付いたが、すでに遅い。剣の切っ先は真っ直ぐに身体へと下ろされ、血が上がる瞬間を覚悟した。


 しかし新たに参上した剣が、レオ皇子の剣を跳ね返す。

 身体をのけぞらせた彼へ、容赦せずにもう一撃が振る舞われた。


「っ、ああ……!」


 腕から迸る血に、レオ皇子は傷口を抑えてうずくまる。剣の持ち主は大した傷ではないと、鼻で嗤った。一応は自国の主だ。それなりに手加減はする。


 アレットは守るように背後に立つ人物を見上げると、名を呼ぼうとして、なんだったかと一巡した。

 それを気配で察したのか、未だ薬の効いた重い身体で剣を構えながら、その人物は応える。


「十二勇将オリヴィエだ、無用であるとは思うが手助けさせて欲しい」

「有難い申し出だが、なぜ」

「我が国で起きた過ちは、我が国が正すまで。それこそが十二勇将の在り方だ」


 高らかに告げたオリヴィエは、自らの父であり隊長であるオルヴァドへ目を向ける。

 その凛々しい顔つきは、本来の彼女が持って生まれた才覚。

 なによりも、誰よりも騎士に憧れ、騎士らしく在ることを願い続けた努力の証。


 取り戻した瞳の輝きを以てして、未だ動かぬ父へオリヴィエは声を上げた。

 


「―――真の道理に従い、真に正しきを見極め、このオリヴィエ、皇国へ剣を向けさせて頂く! 敵か否か、お答えを!」


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