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38 世界の真実


「……なんで、ここ……に、」


 ぎこちなく言葉を発すれば、悪魔は嘲笑しながら答える。


「貴女の魂を、美味しく頂こうと思って。もういいわよね? 私、十分待ったでしょ? 魂ってある程度穢れてないと口にできないのよ」


 恐怖が、フェイを襲う。城で見た異形の化け物が脳裏によぎる。歯の奥がカチカチと音を鳴らし、震える指が奇宝石を掴めず取りこぼしそうになる。


 ―――その反応は、人間として正しかった。


 彼女は『捕食者』だ。そしてフェイは『ただの食物』。その関係は覆らない。古来からの絶対的な法則にして、自然の摂理だ。

 故に、本能から恐怖し、畏怖し、委縮し、死を意識してしまう。


「ねーえ、どうしたの? 貴女以前、『神を殺す』って息巻いてたじゃない。忘れちゃった?」

「……っ、」

「ほらほら、殺してみなさいよ。ほーら、私はここよ。紛れもない本物よ。ほら、今すぐ精霊術を使ってみなさいよ」


 おどけて両手を掲げるメフィストフェレスは、動けないフェイを嗤う。

 彼女の背後に控える十二勇将、そしてレオ皇子は、無表情で事の成り行きを静観していた。


 暗に『無関係』だと告げる彼らに、フェイはただ一人で向き合い、立ち尽くす。

 ああ、なんて惨めなのだろうと、なんて矮小な存在だろうと思い知らされるようだ。


「フェイ、なにをしている。今の状況では不利だ、早く逃げ―――」

「―――フェイっ!」


 エルを遮り、リゲルの呼び声がフェイの顔を上げさせた。

 彼は当然のようにフェイを背に庇い、メフィストフェレスを睨みつける。


 それを目にした悪魔は含み笑いを零した後に、わざとらしく周囲を見渡した。

 かろうじて意識を保ったままのアレット、エリック、オリヴィエ―――そして焼け野原と視界に収める。


「ひっどい有様ねえ。彼が貴女を守った結果でしょ、これ? 十二勇将、リゲル=ローレン。知ってるわ。おお怖い」

「……フェイに指一本触れさせるものか、この悪魔が……!」


 怒気を孕んだ口調に、フェイは茫然とリゲルの背を見つめる。

 雨風が身体を打ち付け、撫で上げ、彼方へ去っていくのを、ただ華奢な身体で感じ取っていた。


「リゲル……」

「安心しろ、フェイ。お前のことは俺が守る。そのために俺がいるんだから」


 メフィストフェレスの言葉と、リゲルの弱々しい殺気に―――理解する。事実を突き付けられる。

 その『茶番』は残酷なまでに分かりやすく、それなのに今まで疑念を抱かなかった自分に悔しさが込み上げるようだった。



「―――……いつから、『魅了』されてたの」


 

 静かに問いを口にすれば、リゲルの殺気が消える。

 構えを解いたリゲルはゆっくりと振り返り、フェイを視界に入れた。


 その瞳の無感情さに、心が穿たれる。

 思わず悲しげに瞳を揺らせば、メフィストフェレスのけたたましい笑い声が木霊した。


「あは、あはは、やだ、ふふ、ははは……っ! 気付いてたのお? 駄目じゃない、もっとちゃんと信じさせてあげなきゃ!」

「申し訳ありません」


 淡々としたリゲルの謝罪は、悪魔へ告げたものだ。

 『本当』の彼はこういった誠実な一面を持つ人物だったのかと、打ちひしがれる。


「『いつから』って言ったあ? 教えてあげる、最初っからよ! 城から逃げ出した貴女を、すぐに追わせたの! 本当はそっちのエリックにしようかなって思ってたんだけど、その子が庇っちゃって。貴女の好みはどっちだった? やっぱエリック? エリックだったらちゃんと信じてあげれた?」

「……」


 身体から、ふっと力が抜ける。

 崩れ落ちたフェイは、ぬかるみに膝をつけた。腕が、ひどく痛い。刻印が疼いている。駄目だ、保たないと―――呑まれる。


「あら、なあに? 意外に精神的ダメージ大きかった? いいことだわ、もっともっと心を壊して魂を穢して! あはははは!」

「耳を貸すな、フェイ! あやつは貴様をいたぶりたいだけだ!」

「……私を、いたぶりたいだけ?」


 小さな呟きが、フェイの口から零れ落ちる。


 ―――国から追い出し、レオ皇子を奪い、刻印を植え付け、それでもまだ足りないと。まだいたぶり足りないと。


 あまりに一方的な、身勝手な行為に怒りが湧いてくる。押し殺せないほど滾るそれを、フェイは堪えきれずに吐き出した。


「……なんで、……なんでこんなことするのよ。なんで私ばっかり、こんな……ッ! あんたに一体何したっていうのよ! もういい加減にしてよ……っ!」

「―――」


 それは理不尽に対する、至極当然の怒りだった。

 すべてを奪われた者の、正当性ある嘆きだった。


 理由も分からずに振り回された哀れな道化は、惨めに叫ぶ。


「もうやめて……ッ! 解放して……っ、……返して、私の人生を返してよ―――……ッ!」


 涙が止めどなく溢れてくる。あんまりだ。こんなのあんまりだ。まるで子供のように、半狂乱になって泣き喚く。

 だがそれを聞き届けてくれる者など、この場に居はしなかった。


「……」


 他人事のように見つめてくるリゲルの視線から、逃げたかった。

 

 ルシファーなど知らない。メフィストフェレスなど知ったことではない。どこかで好きにやっていればいい。なぜ私が選ばれたのか。あの時、『救世主』という存在に疑惑を抱いたからといって、なぜここまでの仕打ちを受けなければならない。



「あんたが元凶だからに決まってるでしょ。リリスの魂を持つあんたが」

「え……?」

「メフィスト……っ! それ以上言うな!」



 知らない単語を言われ、フェイは緩やかな動作で顔を上げる。

 彼女の口を閉ざそうと、エルは血相を変えて叫びをあげた。


「人間は知らなくていいことだッ! それ以上口にするな!」

「……やだ、なに? もしかして教えてあげてないの? 貴女って、どこまでもかわいそうなピエロなのね。私も面白おかしくするのに下手な芝居を打ってきたけど、貴女の役どころははまりすぎだわ」


 ―――知らなくていいことだと。エルは声を大にして叫んだ。


 まだ知らないなにかがあるということか?

 教えてもらえてないないかがあると。それはフェイには知る必要のないことだと。


 かわいそう、と告げるメフィストフェレスの言葉に、胸が血を流す。だらだらと血を流す。

 そうか、エルでさえも自分に隠し事があるのか。


 腕の刻印が身体を蝕む。身体を浸食していく刻印は、半身を埋めていく。


「ねえ、不思議に思わなかったの? 人間風情が精霊を扱い、魔力を有することができるのかって。ああ、それが『当然』だったものねえ。でもね、『本来の世界』にいる人間は使うことができないのよ? 貴方達だけなの。ねえ、それがどういうことだか分かる?」

「やめろ、やめるんだッ! メフィストッ!」


 メフィストは理解できないことを口にしていた。

 こことは違う次元にある、正しい神話が受け継がれる『本来の世界』の話だ。

 

 そこは『機械』が発達し、奇宝石が無くとも、いつでも自由自在に火を出すことができるのだという。水を使うことができるのだという。土を支配し、風の流れを読み予測することだってできるのだと。

 遥か彼方にいる人物と話をすることだって、暗闇を煌々と照らすことだって、正確な時の流れを知ることだって、温度を変えてしまうことだって、なんだって出来ると―――。


 まるで、魔法のような国だ。けれどそれは魔法ではない。

 人の、知恵と努力が積み重なって出来上がった世界。


 同じくらいの歴史があるにも関わらず、あまりに違う世界は、まるでお伽噺のように聞こえた。


「貴方達が『力』を使えるのは、文明を発展させないためよ。ルシファー様は、貴方達に便利な力を与えた代わりに『知恵』を授けなかった」

「メフィスト、やめるんだ……!」

「いいえ、やめないわ。神の人形に成り果てた木偶の坊風情に何を伝えたって、変わることはないわよ。ルシファー様は『本来の世界』の人間に、かつて知恵を授けた。創造神は恐れをなしたわ。知恵をつけた人間は、いつか神に届く可能性を秘めてしまったから。でもルシファー様はその可能性を愛した。それによって楽園を追われ、美しい羽を穢され、今ではとても後悔なさってる」


 ―――人に知恵を与えなければ、楽園にいられた。神の恩寵を受け続けられた。傲慢によって仲間を失うこともなかった。飛べなくなった羽を抱き、彼は悲観に暮れた。


「楽園を追われたルシファー様は、ひとつの魂を持ちだしてこの世界を創造されたわ。その魂を閉じ込める檻の役割として、あの方自らを礎として世界を創ったの。いい? 貴方達が使う精霊術、そして魔力は、すべてルシファー様の御力であって、ルシファー様そのもの」

「……っ、」


 エルは、歯を食いしばって顔を俯かせた。

 知られてはならない、知ってはならないことだと―――その盟約を果たせないことを、嘆くように。


 術を放つために必要な奇宝石が少なくなったのも、力が薄れてるせいだとメフィストフェレスは言う。


「そして、この世界を創るに至った理由―――ルシファー様が最も愛した人間の魂。すべてのはじまり。それが貴方の持つ魂なのよ、フェリス」


 最初に神が創りし人間、アダムの妻とするべく女を象って生み出されたリリス。

 だが心奪われてしまったのは、天使であったルシファーだった。

 アダムから奪い取り、彼女を娶ったルシファーは、人間の中で最も愛するようになる。


「精霊の加護ですって? この世界の力を操れるですって? ほんっと精霊に言い様に丸め込まれちゃって。そんなの、ルシファー様が貴女の魂を愛してるからってだけじゃない。リリスの魂があるから、ルシファー様はこの世界を続けようとなさってる。だったら貴女の魂を喰らうしかないでしょ?」


 しかし悪魔は、清廉な魂を喰らうことはできない。

 だからこそ貶め、裏切り、憎悪に塗れさせて魂を喰らうのだ。それが、フェイに対する数々の行為の理由だった。


「私はね、こんな檻どうなったっていいの。ルシファー様の御力が失ってしまう前に、あの方を蘇らせたいだけなのよ。人間に『知恵』を授け、神から離したご決断は決して間違いではなかったと知ってほしいの。だって、そのおかげで私は生まれたのだから。人の浅ましい欲望、悪意、憎悪―――それが私を悪魔に創りかえた。天の戦いで消滅しそうだった私を、生き永らえさせたの」


 だからこそ、戦争をはじめたのだと彼女は言った。争い合うことは、人間としての本分であると。

 それによって満ちる『悪』は、彼女の力となりルシファーの力となる。


 けれど、それを『世界』は拒んだ。精霊達はリリスの魂を守るために、そして世界を守るために、フェイに接触を果たしたのだ。それが『エル』だという。ルシフェルがルシファーとなった際に切り捨てた力、『L』。


 エルは確かに、真実の神話を話した。フェイの信用を得て、明確な敵意を抱かせるために。

 だがしかし、本当の真実は話すことはしなかった。そうすることを、ルシファーは望んでいなかったからだ。

 『善悪の勝敗を知りたかっただけ』と偽り、ただ悪を成すメフィストフェレスを倒すのだと伝えた。


 フェイはリリスの魂を持つ者。故に、精霊の恩寵を一身に受ける彼女であれば、悪魔を退けることができる。仮にフェイが死んだとしても、その魂は巡り、またこの世界で人間として生まれ落ちる。

 

 終わらない輪廻の檻。

 終わらせるために『救世主』として召喚に応じた、悪魔。

 フェイが抱える絶望も、貶められた悪意も、『偶然』現世でリリスの魂を持っていた所為。


 その事実を前にして、虚ろな瞳が静かに涙を零す。


「これがこの世界の理。出来損ないの人間が出来上がってしまった真実。その無知で哀れな頭で理解できたのなら、あとはどうすればいいのか分かるでしょう?」


 手を掲げて嗤うメフィストフェレスに、茫然自失となっていたフェイは瞳を揺らめかせた。


 ―――間違った世界。あるべき姿から外れた人形。その世界は、たったひとつの魂を差し出せば終わりを迎える脆い存在。


 徐々に浸食する刻印は、フェイの泥に塗れた身体を這いずっていく。


 ああ、そうかと納得した。

 だから悪魔メフィストフェレスは、フェイに刻印を刻んだのだ。

 それによって迫害され、人間の不条理さ、理不尽さを痛感し、悪意を抱いて魂を穢すために。


 この刻印が全身を覆ったとき、そのときが『食べ頃』なのだろう。


 絶望せよ、と。

 なにもかもに失望しろ、と悪魔は囁いているのだ。


 満たせ、満たせ、満たせ。負の感情に堕ちろ。浸れ。染め上げろ。

 そして終わらせるのだ。


 この間違った世界を。


 刻印が浸食していく痛みを、フェイはついに『受け入れた』。


次話も深夜ぐらいにアップしたいと思います。がんばります。

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