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37 不信感


 轟々と燃え盛る炎は天へ伸び、雨を受けていても弱まる兆しは全く感じられない。

 熱気だけでも、相当な威力だと察することができる。

 これほどの炎を放てば、人間など跡形もなく焼失してしまうだろう。


 しかしそうはさせまいと、アレットの影がリゲルの腕から炎へと蛇のようにとぐろを巻き、その動きを制していた。

 術を展開したまま睨み合いを続ける二人へ、堪らず声を荒げる。


「ちょ、一体なにがあったの!?」

「近づくな、フェイッ!」


 リゲルの怒鳴り声と、アレットの眼力によってフェイの足が止まる。

 それによって視界の端に見えた影に、フェイは驚きを露わにした。大岩にもたれかかるようにして座り込んでいるエリックに、慌てて駆け寄る。


「ね、ねえ、大丈夫!?」

「っ……」


 身体を揺り動かそうと伸ばした手は、されど宙で動きを止める。岩に付着している赤黒い液体は、紛れもなく血だ。

 見れば片手で押さえられている腹部と背中に、斬られた傷がある。


「ま、待ってて、まだ薬残ってるから……」

「フェリス、殿……ッ、」


 手当てした残りの薬を取りに戻るべく立ち上がったフェイの腕を、血だらけのエリックの手が掴む。

 意識があることに安堵するも、その力はひどく弱々しい。エリックは苦しげに口から血を吐きだし、掠れた息を繰り返しながらフェイへ告げた。


「奴から、離れて……」

「……奴って」


 何かを伝えようとするエリックだが、腹に負った傷のせいでうまく言葉を発せられないのだろう。

 それでも唇の動きから必死に読み取ろうとしたフェイの耳に、リゲルの大きな声が聞こえてきた。


「ここから離れるんだ、フェイ! アレットはお前を殺そうとしている!」

「え―――?」


 振り返ろうとしたフェイに、エリックは手の力をわずか強めて、弱々しく首を横に振る。

 それが見えたのか、リゲルは更に言葉を重ねた。


「エリックはお前を追いかけて、ここまで来たんだ! アレットと二人でお前を殺そうとしているんだよッ!」

「何を言っている!」


 業火がうねりを上げ、それを影が抑え込む。拮抗する二人はどちらも譲らず、互いに罵りあいを始めた。


「最初っから怪しいと思ってたんだ! フェイに近づいて隙みて殺すつもりだったんだろ!? ええ!?」

「ぬかせ! それは貴様の方だろう―――ッ!」


 二人のやりとりに耳を傾けていたフェイは、その内容に目を見開く。

 

「え……なに? 殺すって……」

「ち、が……」


 振り絞った声に、エリックへ視線を戻す―――だがその色は疑念に満ちていた。悲痛に眉を寄せたエリックは、か細い声で何かを呟くも、その声はリゲルとアレットの声に掻き消されてしまう。


 混乱に陥りながらも、思考する。

 エリックは、確かリゲルの説得に来たと言っていた。けれどそれとは別に目的があった?

 リゲルの言葉を否定するアレット。アレットが殺そうとしていると言うリゲル。


 なにが、誰が正しいことを言っているか分からない。


「救世主様、こいつの言葉を鵜呑みにしてはなりません!」

「騙されるな、フェイ! こいつら突然斬りかかってきたんだ! 早くエリックから離れろ!」

「……っ」


 二人とエリックを交互に見ては、戸惑いの色を深くしていく。

 一歩、二歩と後退するフェイの腕から、エリックの手がすり抜けていった。


「……だめ……だ、……」

「ち、違う……薬を、取りにいくだけ……」


 言い訳を呟きながらエリックと距離を取るフェイは、横目でリゲルを見た。その縋るような視線を受け、彼は口角を上げる。


「俺だけを信じればいい。俺はお前の騎士だ、誓いを違えることはしない」

「……リゲ、ル」


 ―――優しげに、愛おしげに、慈しむように、諭すように、彼は微笑みを携えて言った。


 不意に、オリヴィエが倒れたときに浮かべていた彼の表情を思い出す。

 フェイ以外まるで興味がないとでも言う顔。フェイのみに執着する行動。

 振り返れば、出逢いのときから妙だったのだ。彼の行動はすべて『フェイ』個人に集約している。いくらフェイの言葉に感銘を受けたからといって、手配されている者にこれほど執着するものだろうか。


「救世主様、俺は貴方を信じている。だからどうか、俺を信じてほしい」


 そう言ったアレットは、縋るような瞳を向けてくる。

 だが彼はもう知っているはずだ。自分が救世主ではないと。それなのに、ここまで共に行動した。


 もし裏に別の目論みがあったとするならば。

 いや、そもそも立ち寄った町で偶然出逢い、フェイの突拍子もない話を信じるなど―――あまりに出来すぎた話ではないか。


 どちらかが、明白な嘘を吐いている。

 どちらかは、きっと正しいことを言っている。本当に信じてほしいと訴えかけている。そんなことは理解している。けれどどちらを信じて、どちらを疑えばいい。


「だから言ったのだ、他人に気を許しすぎるなと」


 エルが叱咤の声を上げる。

 「でも、」と震えた声を出したフェイは、固く瞳を瞑って首を振った。


 リゲルは、誰もが敵であった状況下で、『刻印の者』だと詰ることなく怪我の手当てをしてくれたのだ。国を追い出されたフェイに、心を砕いてくれたのだ。騎士の誓いを立ててくれたのだ。

 アレットだって、皇国の騎士によって仲間を殺された。きっと憎しみは大きいはずなのに、『戦争を止めたい』と言った言葉を、『皇国は悪魔の手に堕ちた』なんていう話を聞いてくれた。


 ―――信じてという彼らの言葉を、信じてもらえなかった哀しみを知るフェイが否定できるはずもない。


「フェイ、以前俺に言ってくれた言葉を憶えてるか?」

「―――、」


 苦悩するフェイに、リゲルの優しげな声がかかる。

 以前、とは出逢った当初のことだろうか。フェイはまだ侯爵令嬢の身分についていて、リゲルは十二勇将であった、あの頃。


 『その曇りなき瞳で真実を探しなさい。その信念を以て、迷う人を救いなさい。貴方はその勇猛さで多くの人を助けることができる。従う者よりも真に弱き人のため、力を使えばいい』


「フェイの言葉を、俺はずっと心に持ち続けてきた。俺の力はフェイの為だ。フェイを守るために使う」

「……」


 はっきりと告げるリゲルは、嘘を言っているようには見えなかった。

 強張らせていた表情が緩まる。



「好きだよ、愛してる、フェイ」



 恥ずかしげもなく言い放ったリゲルの告白に、アレットは狂気の沙汰を見たとばかりに顔を歪めた。


「リゲル……私は、」

「騙るな、惑わせるなッ! 救世主様、こいつの言葉を聞いては―――っ!?」


 アレットがフェイへ叫んだ瞬間、魔力がわずか弱まり、その隙を狙っていたとばかりに炎が威力を高めた。

 空から落ちる雫すら蒸発させる高熱に、魔力が喰われる。


 アレットの紅い瞳に、迫る業火が映し出されその色を濃くしていった。咄嗟に奇宝石へと手を伸ばそうとするが、躊躇いが生まれる。それが、アレットの命運を左右する決定打となった。

 炎が立ち上がり、瑞々しい草原が灰と化す。瞬間、彼らの足もとの土が動き出した。


「―――!」


 すべてを滅却する炎は、されど唯一土に阻まれその威力を殺された。

 リゲルとアレットの間に隔てるようにして盛り上がった土壁は、リゲルの振り下ろした剣を食い止める。


「……、」


 目前に突如として現れた壁に、炎が霧散した剣を握りながら、ただ驚いていた。


 盛り上がった土を辿っていけば、そこには大木に寄り掛かったまま白い刀身を向けるオリヴィエがいる。苦しげな息をこぼしながら、彼女は険しい視線を一同に送っていた。


「あ、ぐ……」


 しかし、彼女の体力は戻っていない。ましてや薬の効果もあるのだ。案の定傷口の痛みに耐えきれず、彼女の手から剣が滑り落ちる。同時に、アレットを守るようにして盛り上がっていた土が崩壊していった。

 唖然とするアレットと、固唾を飲んで見守っていたフェイの視線が、隔たりが無くなったために合わさる。

 アレットはその瞳にフェイを映すと、悲痛に歪めた。


 気づいたのだろう、フェイの手が奇宝石を握っていないことに。


「……救世主、様……どうか、」

「オリヴィエ、邪魔するなよ。―――殺せないだろ」


 腕を伸ばすアレットをひどく冷徹な瞳で見下ろし、リゲルは自由となった剣で躊躇なく彼の肩口を突き刺した。


「う、あああああぁぁぁッ!」


 アレットの絶叫が響き渡る。

 倒れ込んだアレットの身体を踏みつけ、リゲルは恍惚に嗤った。


 その瞬間―――間違えたと悟った。


「ああああぁぁ―――ッ!」


 アレットの絶叫が、フェイの耳を襲う。なぶるように、弄ぶように、リゲルが彼の突き刺した箇所を剣で抉ったのだ。


「フェイ……逃げろ、」


 エルの焦燥の声など聞こえるはずも無い。蹂躙される彼を助けなければ、と心が焦る。身体が震える。リゲルが、リゲルの空気が、変わったことに―――いいや、違う、変わってなどいない。彼は最初からそうだった。フェイと再会したときから、彼の性格は出逢った当初のものとは違っていたではないか。


「フェイ、近くに『奴』がいるッ! 早く逃げるんだ!」


 エルの叫びと、『その声』はほぼ同時だった。



「あーらら、もう山場じゃない。もっと早く来ればよかった」



 愉しげな声に、フェイの身体が固まる。―――嘘だ。すぐに否定しようとするも、その声を拾ってしまった身体は汗を吹きだし、強張らせ、震え上がる。自分のものではないような感覚を抱いたまま、フェイはぎこちなく声の方へと頭を向けた。


 ―――そこには。


「……メフィスト、フェレス……十二勇将に……レオ、皇子」


 まるで観客のように眺める悪魔と、彼女に侍る七名の騎士、そして一国の皇子が、小高い丘の上から見下ろしていた。


夜また投稿します。

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