表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/50

26 カトリーヌの真意


 『食い逃げ泥棒』を捕まえるのだと息巻いていた、商人の娘が何故―――。

 そんな疑問に答える前に、カトリーヌは店内の棚を漁ると一通りの手当て道具を持ってくる。


「少し痛みますわよ?」

「―――やめ、」


 そして薬品を染み込ませた布を傷口に当てようとしたが、畏れに身を引いて拒絶した。だがそんなフェイに対し、カトリーヌはただ優しく微笑みかける。


「大丈夫、これはただの薬ですわ。信じるのは難しいでしょうけれど、私はただ貴女を助けたいだけなの」

「……」

「わたくしの父は『刻印の者』でした。父は目の前で……処刑されてしまったんですの」


 悲しそうに顔を曇らせたカトリーヌに、フェイの警戒心が少しだけ薄れる。最悪の状況に陥るきっかけとなった、十二勇将のひとりが言っていた言葉を思い出したのだ。

 『刻印の者』がこの町に現れ、町民達によって惨殺されたと―――。


 言葉を失うフェイへ、元の愛らしい笑みを浮かべたカトリーヌはそっと頭部の傷へ指を伸ばした。

 恐怖感が鼓動を早める。

 彼女の手を跳ね除けたい気持ちを、フェイは拳をぎゅっと握って耐えた。


 額の髪が退けられ、ひんやりとした感覚が襲ってくる。

 薬を塗っているのだろう。大丈夫だ、大丈夫。毒などではない。彼女は自分を害する存在などではない。今だって泣きそうに瞳をうるませ、「大丈夫」と繰り返し囁いている。フェイは幾度も波のように押し寄せる恐怖と不安にひたすら耐え、震える身体を黙らせようと力を込める。


 ―――そうして、包帯まで巻き終えたカトリーヌは、汗だくとなったフェイに哀愁ただよう笑みを向けた。


「『あの子』もそうだった。貴女と同じように、周囲にいる人を怖がっていましたわ」

「……あの子?」

「わたくしの本当の……捜し人です。少し長いのですけど、わたくしのお話を聞いてもらえますか?」


 そう言ったカトリーヌは、衣服から紙切れを差し出す。


「―――1年前ですわ。薬の研究を行っていた父は、『すごいものを見つけた』と王都で発表をしたんですの。けれど町に帰ってきた父は、その研究は危険だと資料を全て燃やしてしまった。様子が変だと気づいたのは、それから一月くらい経ったころです。破棄した研究内容を、昼夜問わず復元し始めたんですわ」


 カトリーヌは徐々に理性を失っていく父を、恐れたのだという。

 そしてある日のこと、父の背に刻印が浮かび上がっていることに気付いた。


「わたくしの父は、とても温厚で……信仰心の厚い人でした。母が死んで、わたくしを育てるために一生懸命働き続けておりましたの。そんな父が『罪人の証』を背負うなど、なにかの間違いだって神に必死に祈りましたわ」


 『刻印を消してください』『父は全うに生きてきました。悪に染まるなど、ありえません』―――そう無実の訴えをし続けたカトリーヌの言葉は、ついぞ聞き届けられることはなかった。

 父はみるみる性格も変わり、カトリーヌに話しかけることすらなくなったのだという。


「そしてある日、憲兵が家に来て……父は逃げ出しました。わたくしに良くして下さった方も、父の友人も、商人の方々も、みな人が変わったみたいに狂暴になって父を追いかけましたわ。みなを止めようとしましたが、抵抗も空しく父は殺されました。殴られ、八つ裂きにされ、踏み躙られ、最期は燃やされましたわ」

「―――……」


 記憶をなぞるように語る彼女は、辛そうに息を吐き出し眉を顰めた。


「わたくしも『刻印』の娘ということで、殺されそうになったんですの。でもそこを、ある騎士様が助けてくださって……。わたくしは普通に生活していくことができました。騎士様は父の研究資料が危険だから、と持っていかれ……それからしばらく経った頃ですわ」


 一度言葉を切ったカトリーヌは瞳を細め、手元の手紙を慈愛こめた眼差しで見つめる。


「―――ひとりの小さな女の子が、町で行き倒れていたんですの。少女の手には刻印がありました」

「……」

「身体中あちらこちらに傷や痣が見えて、わたくし考えるより先に連れ帰ってしまったんですの。ここの町の人に見つかったら、きっとこの子は殺されてしまうから。最初は怖がってしまって話もまともにできなかったんですけど、次第に心を開いてくれて、自分のことを話してくれるようになりましたわ。少女は王都から来たのだと言っておりました。『自分が刻印を刻まれたのは、救世主に石を投げたからだ』……とも。本当かどうかは分かりませんが……」


 フェイは、思わずエルと目を合わせる。驚きに口が開き、されど声を漏らすことはなかった。

 戸惑いがちに、唯一ひとつの疑問を投げかける。


「なぜ……救世主にそんなことを?」

「―――『雨の日に、この国の魔法使いを追い出したから』としか」

「……」


 雨の日。魔法使い。まさか、とフェイは自分の考えを否定する。

 誰からも疎まれ、誰からも見捨てられたあの雨の日、町を彷徨っていたフェイ―――いや、フェリスに投げかけられたのは冷たい視線と畏怖の目だけだ。

 それに、それだけではフェリスのことだと断定できない。違う、誰か別の人物だろう。そう思っても、フェイの胸になぜかじんわりと広がるものがあった。


「その子は今、どこに?」


 フェイの言葉に、カトリーヌは首を振る。


「……昨日になって突然、いなくなってしまったんですの。この手紙だけを残して……」


 そう言ったカトリーヌは悲痛の面持ちで、手に握ったままの手紙をフェイへと差し出す。

 中を開けば、そこにはつたない文字でたった一文だけが記されていた。


 『いままで ありがとう』、と。


「町中探しましたわ。でも見つけられなくて……そうしたら『食い逃げ泥棒』が出たと……大騒ぎに」

「それで捕まえるフリをして、誰よりも先にその子を見つけようとしてたのね?」

「はい、その通りですわ。でも暴漢に絡まれてしまったんですの。そこを助けてくれたのが、リゲル様でした。彼、『刻印の娘が』って吐き捨てた彼らに向かって、こう言ったんですの」


 『刻印がなんだ。そんなもので人の何が分かるという』。


「はじめてでしたわ。そんなことを言う方がいらっしゃるなんて、わたくし感激してしまって」

「―――」


 頬を染めるカトリーヌの表情は、恋に落ちたそれだ。

 彼女にとって、はじめての救いだったのだろう。ようやく訪れた理想の人間だったのだろう。


 ―――その気持ちが痛いほどまでに分かるフェイは、まるで鏡を見ているようだと自嘲した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ