26 カトリーヌの真意
『食い逃げ泥棒』を捕まえるのだと息巻いていた、商人の娘が何故―――。
そんな疑問に答える前に、カトリーヌは店内の棚を漁ると一通りの手当て道具を持ってくる。
「少し痛みますわよ?」
「―――やめ、」
そして薬品を染み込ませた布を傷口に当てようとしたが、畏れに身を引いて拒絶した。だがそんなフェイに対し、カトリーヌはただ優しく微笑みかける。
「大丈夫、これはただの薬ですわ。信じるのは難しいでしょうけれど、私はただ貴女を助けたいだけなの」
「……」
「わたくしの父は『刻印の者』でした。父は目の前で……処刑されてしまったんですの」
悲しそうに顔を曇らせたカトリーヌに、フェイの警戒心が少しだけ薄れる。最悪の状況に陥るきっかけとなった、十二勇将のひとりが言っていた言葉を思い出したのだ。
『刻印の者』がこの町に現れ、町民達によって惨殺されたと―――。
言葉を失うフェイへ、元の愛らしい笑みを浮かべたカトリーヌはそっと頭部の傷へ指を伸ばした。
恐怖感が鼓動を早める。
彼女の手を跳ね除けたい気持ちを、フェイは拳をぎゅっと握って耐えた。
額の髪が退けられ、ひんやりとした感覚が襲ってくる。
薬を塗っているのだろう。大丈夫だ、大丈夫。毒などではない。彼女は自分を害する存在などではない。今だって泣きそうに瞳をうるませ、「大丈夫」と繰り返し囁いている。フェイは幾度も波のように押し寄せる恐怖と不安にひたすら耐え、震える身体を黙らせようと力を込める。
―――そうして、包帯まで巻き終えたカトリーヌは、汗だくとなったフェイに哀愁ただよう笑みを向けた。
「『あの子』もそうだった。貴女と同じように、周囲にいる人を怖がっていましたわ」
「……あの子?」
「わたくしの本当の……捜し人です。少し長いのですけど、わたくしのお話を聞いてもらえますか?」
そう言ったカトリーヌは、衣服から紙切れを差し出す。
「―――1年前ですわ。薬の研究を行っていた父は、『すごいものを見つけた』と王都で発表をしたんですの。けれど町に帰ってきた父は、その研究は危険だと資料を全て燃やしてしまった。様子が変だと気づいたのは、それから一月くらい経ったころです。破棄した研究内容を、昼夜問わず復元し始めたんですわ」
カトリーヌは徐々に理性を失っていく父を、恐れたのだという。
そしてある日のこと、父の背に刻印が浮かび上がっていることに気付いた。
「わたくしの父は、とても温厚で……信仰心の厚い人でした。母が死んで、わたくしを育てるために一生懸命働き続けておりましたの。そんな父が『罪人の証』を背負うなど、なにかの間違いだって神に必死に祈りましたわ」
『刻印を消してください』『父は全うに生きてきました。悪に染まるなど、ありえません』―――そう無実の訴えをし続けたカトリーヌの言葉は、ついぞ聞き届けられることはなかった。
父はみるみる性格も変わり、カトリーヌに話しかけることすらなくなったのだという。
「そしてある日、憲兵が家に来て……父は逃げ出しました。わたくしに良くして下さった方も、父の友人も、商人の方々も、みな人が変わったみたいに狂暴になって父を追いかけましたわ。みなを止めようとしましたが、抵抗も空しく父は殺されました。殴られ、八つ裂きにされ、踏み躙られ、最期は燃やされましたわ」
「―――……」
記憶をなぞるように語る彼女は、辛そうに息を吐き出し眉を顰めた。
「わたくしも『刻印』の娘ということで、殺されそうになったんですの。でもそこを、ある騎士様が助けてくださって……。わたくしは普通に生活していくことができました。騎士様は父の研究資料が危険だから、と持っていかれ……それからしばらく経った頃ですわ」
一度言葉を切ったカトリーヌは瞳を細め、手元の手紙を慈愛こめた眼差しで見つめる。
「―――ひとりの小さな女の子が、町で行き倒れていたんですの。少女の手には刻印がありました」
「……」
「身体中あちらこちらに傷や痣が見えて、わたくし考えるより先に連れ帰ってしまったんですの。ここの町の人に見つかったら、きっとこの子は殺されてしまうから。最初は怖がってしまって話もまともにできなかったんですけど、次第に心を開いてくれて、自分のことを話してくれるようになりましたわ。少女は王都から来たのだと言っておりました。『自分が刻印を刻まれたのは、救世主に石を投げたからだ』……とも。本当かどうかは分かりませんが……」
フェイは、思わずエルと目を合わせる。驚きに口が開き、されど声を漏らすことはなかった。
戸惑いがちに、唯一ひとつの疑問を投げかける。
「なぜ……救世主にそんなことを?」
「―――『雨の日に、この国の魔法使いを追い出したから』としか」
「……」
雨の日。魔法使い。まさか、とフェイは自分の考えを否定する。
誰からも疎まれ、誰からも見捨てられたあの雨の日、町を彷徨っていたフェイ―――いや、フェリスに投げかけられたのは冷たい視線と畏怖の目だけだ。
それに、それだけではフェリスのことだと断定できない。違う、誰か別の人物だろう。そう思っても、フェイの胸になぜかじんわりと広がるものがあった。
「その子は今、どこに?」
フェイの言葉に、カトリーヌは首を振る。
「……昨日になって突然、いなくなってしまったんですの。この手紙だけを残して……」
そう言ったカトリーヌは悲痛の面持ちで、手に握ったままの手紙をフェイへと差し出す。
中を開けば、そこにはつたない文字でたった一文だけが記されていた。
『いままで ありがとう』、と。
「町中探しましたわ。でも見つけられなくて……そうしたら『食い逃げ泥棒』が出たと……大騒ぎに」
「それで捕まえるフリをして、誰よりも先にその子を見つけようとしてたのね?」
「はい、その通りですわ。でも暴漢に絡まれてしまったんですの。そこを助けてくれたのが、リゲル様でした。彼、『刻印の娘が』って吐き捨てた彼らに向かって、こう言ったんですの」
『刻印がなんだ。そんなもので人の何が分かるという』。
「はじめてでしたわ。そんなことを言う方がいらっしゃるなんて、わたくし感激してしまって」
「―――」
頬を染めるカトリーヌの表情は、恋に落ちたそれだ。
彼女にとって、はじめての救いだったのだろう。ようやく訪れた理想の人間だったのだろう。
―――その気持ちが痛いほどまでに分かるフェイは、まるで鏡を見ているようだと自嘲した。




