25 思わぬ救いの手
「奴を追いこめーッ! 逃がすな、殺せーッ!」
「石を投げろ! 屋根から引き摺り下ろすんだ!」
「くっ……!」
飛び交う大小様々な石を避け、時に当たりながらどこへともなく走る。
逃げ場所などない―――そう言わんばかりに追手の数は増え、また囲まれつつある。幸いにして奇宝石の数はあるが、一介の町民を傷つける訳にはいかない。
「どうしよう、どうしたら……!」
「奴らの攻撃性は異常だ。意識を奪わなければ追われたままだぞ!」
「分かってるッ! でも、彼らは力のない人間じゃない! 憲兵ならまだしも―――」
「そんな甘い事を言っているからこうなるのだ! 現状を見ろ! たとえ力など無くとも、束になれば人間は最凶の生き物なのだぞ!?」
常は冷静であるエルが取り乱すほど、状況は最悪に等しい。
彼らの狂暴さは恐れすら抱くほどで、確実にフェイを追い詰めはじめているのだ。
この状況を打開するには、最強の精霊術師と謳われた力を彼らに向けなくてはならない。だが、それをフェイは否定し続けていた。
力の無い、守る側にいる人間を傷つける―――それはまるで『自分を貶めた悪魔』と同じ事ではないか。嫌だ、自分はそうはならない。この力を弱き者に向けたくはない。
それはフェイの最後の扶持でもあり、守るべき境界線だった。
「嫌……っ、私は絶対に傷つけたくない!」
「死んでもいいのか!」
説得にあたるエルの言葉に、息を呑む。
―――死ぬ?
今までその言葉を脳裏に浮かばせなかったのが不思議なほど、エルの示した最悪の結果に心臓を弾ませた。
違う。考えずにいたのだ。
人の持つ狂気。目の当たりにする凶暴。追われる自身、追う彼らの殺意。『それ』を認識すれば、恐怖に支配されると分かっていたから。フェイ自身の立ち位置を、孤立無援である己が立場を、理解してしまうから。
死の恐怖がどれほど怖いものか、この身体が憶えている。
まるで纏わりつくように、底から這い上がって来るかのように、手招きする死の権化がフェイの胸を鷲掴みにする。
「あ……」
震えはじめた身体が重く感じる。もたついてしまった足に、されど彼らは待ってはくれない。
「フェイッ!」
エルのつんざくような叫び声。
気付けば大きめな石が自身に迫っている。それを視認した瞬間―――衝撃がフェイの視界を暗転させた。
身体がよろけ、屋根から落ちる。
かろうじて意識は残っているが、頭が揺れて現状を把握できない。
落ちている―――そう、自分は落ちている。
ようやくそれが把握できたとき、既に地面は目前だった。
痛みに備えようとするが、受け身すら満足に取れない。奇宝石を使ったとしても間に合わないだろう。せめて、と目を瞑ったフェイは、突如として上から引っ張られる感覚に視線を動かした。
「―――ッ、」
そこには、フェイの衣服を強く噛み締め、小さな羽をばたつかせるエルがいた。
息を荒くつきながら、地面に下ろしたフェイの無事を確認する。
「身体は動くか!? 意識はあるな!?」
「だい、じょうぶ……頭をちょっと、打っただけ」
足をふらつかせながらも、なんとか起き上がる。しかし地面に落ちた赤い液体に、遅れて自分の血だと気が付いた。
頭部に手を当てれば、ぬるりとした感触と頬を流れる感覚に息を止める。
道理で、思考が不明瞭のはずだ。靄がかかったように、うまく考えがまとまらない。
「いたぞ、こっちだ!」
耳が男の声を拾い、早く逃げなければと重い身体を引きずる―――だが唐突に細い腕が視界の端に映ったかと思えば、強い力で路地へと引っ張られた。
「っ、!?」
抵抗する力すらない。咄嗟に奇宝石を取り出そうとするが、フェイの腕を引き先導する姿が女のものであったことに、精霊術を使うことを躊躇ってしまう。
そうこうしている内に景色は変わり、一軒の商家に辿り着いた。『薬』と書かれた看板が見えるが、中は薄暗く、扉には閉店を示す立札が取り付けられている。
「―――入って」
店の窓を開けた彼女は、そこへフェイを押し込む。店内に入ると同時に通りから町民の怒号が聞こえ、思わず肩を寄せ息を顰めた。
「……大丈夫、ここにいれば絶対に見つかりませんわ」
怯えるフェイの背を撫でながら、女は優しく告げる。戸惑いがちにエルを見れば、疲労に耐えかねたのか、四肢を伸ばし床へ張り付いてしまっていた。無防備なエルの姿を見て、ようやくフェイも一息つく。
そして薄暗い中にいる女を見上げ、おずおずと問いを投げかけた。
「……なんで、私を助けたの?」
「あら。ふふ、やっぱり『あの口調』はわざとでしたのね。粗野な女性なのかと思ってましたわ」
そこには少し意地悪気に笑う、カトリーヌがいた。




