22 面倒事は降って湧いてくる。
―――町の東門。それを前にして、十二勇将ザドーとシェルは並び立った。
「本当にこの町にいやがるのかぁ? リゲルがよぉ」
好戦的な目を光らせながら、ザドーは舌なめずりで問いかける。
対するシェルは利発的な顔を歪ませると、隣にいるザドーを汚らわしいと言わんばかりに睨みつけた。
「やめてくれませんか、その品格も何も感じない物言いは。聞いていて不愉快だ」
「あぁ? んだよ、貴族出身はお堅いねぇ。いいか、騎士っつーのは品格じゃねぇ。力だ。力こそが全てなんだよ!」
「……もう結構、おだまりください」
シェルは冷たく言い放つと、黒馬を進ませ門を潜る。
いやに警備が多いな、と周囲を観察すれば、そのほとんどが町民であることに、なにやら不穏な空気を察知した。
通り過ぎる者達は、ザドーとシェルが皇国騎士だと分かると深く頭を下げてくる。
だがその血走る瞳は、まるで戦争中の兵士のそれだ。
シェルはふと、思い出した。
去年だっただろうか―――この町で『刻印の者』が現れ、町民が処刑したという話を。
なんともおかしな話だ。
確かに救世主から、刻印の者についての処罰方策が民衆に伝えられた。
だがただの町民風情に、そこまでの勇断が出来るであろうか。今まで人を殺すことに慣れてきた兵士でなければ、必ずそこに躊躇いが生じる筈なのに。
いくら悪に魅入られた者だと、危険な存在だと言われたからと言って、昨日今日を平穏に過ごしてきたであろう一般人に、残虐し殺すことが出来るものだろうか。
シェルはふと目が合ったひとりの町民の前で、馬を止めた。
「そこの貴方。この町で、なにか変わったことはありませんか」
「変わったこと……ですか。騎士様のお手を煩わせるようなことは、何も」
「気にせず話しなさい。些細なことでもいいのです」
「……はあ」
町民はへりくだった様子で、口を開いた。
「実は、食い逃げ泥棒が現れまして……」
***
アレットに救世主と受け入れられてから、フェイは戦争を止めたいということ、そしてそのために帝国の力を借りたい旨を話した。
黙したまま聞いていたアレットは、大方の話が終わると「なるほど」と神妙な顔で頷く。
「事情は察しました。……貴方の話は、まるで英雄の戦記物を読んでいるようだ」
さすがに突拍子すぎたか―――そう思ったとき、アレットは姿勢を正して言った。
「救世主様の御力になれるのであれば、このアレット、我が身を挺して助力致しましょう」
「……信じるの?」
「信じるもなにも、私はこの目で見たのです。この国の王の、あの虚ろな瞳を……。あれは、最早生者のものとは思えぬものでした。我が大帝を守るため、我が国を守るため、そしてこの世界を守るため―――大帝に取り次ぐことを約束致します」
深々と頭を下げたアレットを前に、思わず歓喜の表情でエルに笑いかける。
これほど上手くいくとは正直思っていなかった。
アレットとは道中共に行動すること、そして帝国にて大帝へ取り次ぐことをお願いしたのだ。
突然『私、救世主なんです』なんて女が現れても、まともに話を聞いてくれる可能性なんて限りなく低い。
だが実際に皇国へ来て、皇帝の様子を見た彼が共についてきてくれるのであれば、これほど心強いことはない。
良かった良かった、と手放しで喜ぶも束の間。
「フェイ……」
ふと、エルから低い声で呼ばれた。
「なに?」
「後ろに悪鬼の類いがいるぞ」
言われ、はっと我に返る。
失念していたが、食い逃げ泥棒として殺気立った商人達に追われていたのだ。
そろそろフェイ達のいる鐘楼に辿り着いても、おかしくはない。
「っ、」
早く逃げなければ―――。
そう思って慌てて振り返ったその先には―――リゲルがいた。
「あ……なんだ、リゲルか。カトリーヌは一緒じゃないの?」
安堵しつつも少し嫌味を含めて問うが、リゲルは顔を俯かせるだけで何かを言う気配はない。
何か様子が変だ。
妙な胸騒ぎを覚え、フェイは「リゲル?」と名を呼んでみる。少し遅れて、ゆるりと反応を示した。
「……誰? その男」
淡々とした口調で問われ、訝しげに思いながらも答える。
「この人は帝国騎士アレット・スウィストよ。あのね、なんと帝国への取り次ぎを―――」
「救世主様、っ!」
アレットの焦燥した声が、言葉を掻き消す。
咄嗟に剣を拾い上げた彼が何をするかと思いきや、いつの間にか振り下ろされたリゲルの剣をその剣で受け止めていた。
剣と剣がぶつかり合う、甲高い音が鐘楼に響く。
―――なにが起きたか、把握するのに数秒を要した。それほどまでに目前の光景が信じ難かったのだ。
だが唖然とするフェイを置いて、帝国騎士アレットと皇国騎士リゲルは両者互いに譲らず、緊迫した鍔迫り合いを続けている。
「……貴様、『あの時』あの場にいた騎士か……っ!」
「そういうお前こそ、お仲間置いてトンズラこいた情けない騎士じゃないか……!」
宿るは、互いに敵意。
目に映る相手を殺さんと、その刃をすり合わせ打ち付けている。この場に満ちる空気は、すでに戦場のものだ。肌を焦がすような緊張感に、フェイは近づくこともできず声をあげるしかなかった。
「ちょ、ちょっと待ってリゲル」
帝国騎士、と最初に紹介してしまった迂闊さもあるが、最後まで聞かずに剣を抜いたリゲルの早計さに驚く。
彼は敵ではない。むしろこれから重要な役どころを抱える協力者にして、味方でもある。
戦いは止めるように進言するつもりだったが、それよりも早くリゲルの怒声がフェイの言葉を遮った。
「フェイ、なんでこんな奴と一緒にいるんだ! お前は俺のものだろ!? 他の男といるなんて許さないっ!」
―――ん?
「貴様、救世主様に向かってなんという戯言をッ!」
「戯言だと? 俺がふざけて言っているように見えるのか!?」
「……」
―――いや、何を言っているか分からない。帝国だからと剣を抜いたのではないのか。
唖然とするフェイを置き去りに、狭い鐘楼で激しく剣の打ち合いがはじまる。
「救世主様は、すべての人間に対し等しく御心を砕いているッ! 断じて貴様だけのものではない!」
「何を言ってる? 何を言ってるんだ? 俺とフェイは運命で繋がってるんだ。俺だけのものだ!」
薙いだ剣戟をアレットは受け止め、リゲルの剣を弾く。
だが弱まることのない猛攻に、アレットは防ぐことで手一杯のようだ。
「ふざけたことを……っ! 救世主様を皇国のみに縛り付けておく気か! 神の恩恵は等しく、帝国にもあるべきだッ!」
「いや、あの……ちょっと二人とも待って」
どうやら、話が大変ややこしくなっている。
訂正し、誤解を解いておきたいのは山々なのだが、どちらも聞く耳を持たないのがそれを困難としている。
どうしたものか―――助けを求めるようにエルを見るが、我関せずの態度を当然のように貫いていた。
出来ることならば、同じ態度を貫きたい。そう切に願うほど、二人の勢いは背筋を凍らせるものがあった。
特に、リゲルの言っていることが支離滅裂で恐ろしいものがある。
「ね、ねえリゲル。皇国と帝国の戦争を止めるって言ったでしょ? その協力をね、アレットにもお願いしたんだけど……」
「なんで?」
「ほら、アレットは帝国騎士だから、大帝にだって取り次いでもらえるし、まずは話を聞いてもらわない限りは成功する確率だって―――、」
一際大きな音が、フェイの言葉を途切れさせた。
アレットが吹き飛ばされ、鐘にぶつかったのだ。
普段であればきっと綺麗で澄み渡った音を鳴らすそれは、低く重い音だけを響かせ、ぐわん、と揺れた。
その衝撃で、なにやら小さな粉末が、鐘の中から零れ落ちる。
(……?)
微かな花の匂い。
なんだ、と気が逸れていたフェイの耳に、憤怒の声が届いた。
「貴様……ッ、!」
地に倒れたアレットは、口を切ってしまったのだろう。滲む血を手の甲で拭いながら、近づくリゲルを睨み上げる。
一方、リゲルはアレットなど見てはいない。
ただまっすぐ―――そう、瞬きすらせずに、じっとフェイを見つめている。
怖い。
「なんで他の男に協力なんてお願いするんだ? 俺がいるだろ? 俺だけで充分だろ? なあ、フェイ」
「……」
幽玄に佇むリゲルに対し、顔をこわばらせ全力で引いてしまう。
重い。そして全身から汗が噴き出すほどの不気味さに、身が固まる。
「あの、リゲル。ちょっと待って、よく考えてみて? 私、リゲルとどうにかなった記憶がまったくないんだけど」
その言葉に、かっとリゲルの瞳が見開かれた。
まずい、失言した。いや間違ったことは言っていないのだけど、ここで言うのはまずかった。
「―――俺とした騎士の誓いを、忘れたのか?」
リゲルの纏う空気が一変する。
殺伐とした空気だ。耐えきれず、鳥肌立つほどに。
というか、騎士の誓いってそんな意味合いが込められていただろうか。
「救世主様、お逃げ下さいっ!」
リゲルとフェイとの間に、アレットが入り込む。
その行動が、リゲルの琴線に触れてしまったようだ。嫉妬に狂った表情を浮かべると、剣先を上げて詠唱を紡ぎだした。
「liaison≪結合≫―――circulation≪巡る≫」
「……嘘でしょっ!?」
それはあまりにもやりすぎだ。
咄嗟にフェイは奇宝石を取り出し、思念を込めると宙へ投げた。
すると唸りを上げる風が巻き起こり、凄まじい風量を以てしてリゲルの詠唱を止める。それだけでは収まらず、耐えきれないほどの暴風が吹き荒れ、三人の身体を鐘楼から放り出した。
「なにを―――っ!?」
「フェイ!?」
驚きの声が、二人の口から飛び出す。
逆さまに落ちていく中、フェイは空中で離れていたエルを掴むと、おもむろにその身体を地へ投げた。
「エル、頼んだ!」
「貴様、懲りずにまたしても―――ッ!」
声が小さくなり、最後は何を言っているのか聞き取れなかった。すぐ後に空気が破裂した音が周囲に響き、巨大化したエルが落ちてくる三人の身体を腹で受け止める。
ぼよん、とした感触に心地よさを感じるが、ものの一瞬でエルは元に戻ってしまった。
「貴様っ、貴様許さぬぞ! 我は精霊の化身であり、崇高たる、」
「ごめんごめん、またよろしく」
適当に流すフェイに、エルの怒りは収まらない。
「……い、今なにが……」
偶然近くにいただろう町民はアレットと同じように呆然としている者、悲鳴を上げる者、逃げる者と分かれ、混乱状態に陥っている。最早、こうなる展開も慣れたものだ。混乱の渦中にいるフェイはすぐに逃げようと、呆けたままのアレットへ近づいていった。
だがその行動を、リゲルの手が制する。
「なんでそいつのところへ行くんだ、フェイ」
「……リ、リゲル」
腕を掴まれ、強い力で引かれてしまう。振りほどこうとすればするほど強まる力に、フェイは為す術もなく、ただリゲルの無表情を見つめた。
肩に乗るエルからは、叱咤の声。
リゲルの拘束、そして「俺は今、奇跡を目にした……っ!」なんて感激するアレット。
三種三様の状況が変わっていないことに、いいや、更に悪化したと思わざる負えない現状に辟易してしまう。ああ、もう誰か助けて―――と心で念じたときだ。
「リゲルー!、逢いたかったぜぇ!」
「ッ!」
どこかからか降って湧いた声が、リゲルの拘束の手を緩めた。突然の攻撃を防ぐためだ。
頭上に振り上げられた剣を真下から受け止めたリゲルは、対する男を視界に入れて憎らしげに目を細める。
一方、現れた男は好戦的な瞳孔をただリゲルだけに向け、狂気的なまでに嬉々とした笑顔を浮かべていた。
唐突な人物の登場に目を丸くしたフェイは、もう一人、別の人物が自分達に歩み寄ってくる気配を察し、慌てて振り返る。
「……食い逃げ泥棒なんて目立つことを、手配されているというのによくできたものですね。浅はか……ええ、実に浅はかです。貴方はもっと賢い人物かと思っていましたよ、フェリス=ブランシャール」
名を呼ばれ、フェイは薄ら笑いを浮かべる男相手に身構えた。
断じて食い逃げ泥棒ではないが、否定してどうにかなる状況ではない。
二人の持つ剣に、さっと目を走らせ確信する。彼らの持つ剣は間違いなくリゲルと同じもの―――『栄誉ある剣』だ。
とすれば、答えはひとつしかない。
「十二勇将……!」
―――事態は収束するどころか、更に転じて最悪の方へと落ちてしまったらしい。フェイは目前の男を睨みながら、新たに奇宝石へと手を伸ばした。
次回、混戦戦闘回です。




