20 食い逃げ泥棒 2
「……フェイ、怒ってんのかなー」
右を見ても左を見ても、溢れかえらんばかりの人の群れに、リゲルは困ったように頭を掻いた。
すぐに追いかけてはみたものの、これだけの人だ。
大通りは市場がずらりと並んでいるために、他の通りよりも活気づいている。その中から一人を、それも気配を押し殺して潜むようなフェイを探し出すことは、あまりに難しかった。
「まあ。別の女性の名を口にするなんて無粋なお方」
そんなリゲルの様子に、カトリーヌは頬を膨らませている。
「お気になさるなら、宿屋で落ち合えばよろしいではありませんか」
「ごめんごめん。今は、君の方が気になって仕方ないんだ」
「……まあ!」
ぽっと頬を赤めるカトリーヌの肩を掴み、ぐっと引き寄せる。
リゲルはじっと彼女の瞳を見つめると、少しずつ顔を近づけ―――。
「そろそろ本当のこと、教えてくれない?」
―――そう、耳元で囁いた。
顔を離せば、驚きに目を見開くカトリーヌの目とぶつかる。
「……なにをおっしゃっているのか、」
呆然とした面持ちでしらを切ろうとする彼女へ、リゲルは微笑んだ。
「君、食い逃げ泥棒捜してたわけじゃないでしょ?」
「―――!」
「ここの商人達の包囲網は完璧だ。なにせ、以前『刻印の者』を町民だけで捕えたっていう話もあるし」
リゲルの言葉に、カトリーヌは徐々に顔色を変えていく。
この町モンゼリエは、大規模な商会の下で様々な商品を扱っている、いわば商人の町だ。
国内の流通地点であり、市場や流行のものなど多くが手に入る。
だが最近になって、この町は別名で呼ばれるようになった。
そのきっかけともいえる事件が、『刻印の者』が現れたことだ。
逃げ足の速さに、憲兵も援軍を要請したようだが間に合わず。
町を出てしまうその時に、商人達が一丸となって刻印の者を捕え『その場で処刑した』。
商人達の結束の強さ、そして血塗られた大通りからついた名は『断罪の町モンゼリエ』―――。
故に、たかだか食い逃げ泥棒で手こずる彼らではないのだ。
それなのに、カトリーヌは『独自で』捜していたという。いいや、リゲルの目にはそうは映らなかった。
まるで、誰にも見つからないように『何か』を追っているようだと感じたのだ。
「……、わたくしは……」
リゲルの鋭い視線から逃れるように顔を逸らしたカトリーヌは、震える唇を開く。
だがその時―――。
「食い逃げ野郎だー!」
不意に聞こえてきた男の怒声が、リゲルの気を一瞬逸らした。
群衆のざわめきも増し、市場の賑わいは剣呑とした空気に包まれる。
その瞬間、カトリーヌは勢いよくリゲルの手を振り払うと、そのまま人の群れに紛れるようにして逃げ出してしまった。
「あっ―――ちょ、待って!」
慌てて追いかけようとしたリゲルの頭上を、見慣れた何かが通り過ぎる。
それを視界に収めたリゲルは、驚愕に目を丸くさせた。
「フェイ!?」
見慣れた姿に、声を張り上げる。
だがその声は「待て、食い逃げ野郎ーッ!」「しばくぞ、てめえ!」「果物返せやごらぁッ!」等と口走る男達に掻き消されてしまい、フェイには届かなかった。
反対方向に逃げてしまったカトリーヌ。
そしてなぜか食い逃げ泥棒として追いかけられている、フェイ。
さてはて、どちらを追うべきか―――悩むも数秒。リゲルは苦笑と共に、自らの主の窮地を救うべく駆け出した。
*
「てめえ、自分のしたこと分かってんのかあッ!?」
「罪を償え!」
追われてどれほど経つだろうか。
手を緩めるどころか、殺気増して彼らはどこまでも追いかけてくる。その姿に恐怖心を抱きつつも、フェイは屋根の上を走り続けていた。
「ああ、もうっ! 食い逃げ泥棒なんかじゃないってば!」
フェイの訴えなど、誰も聞いてはくれない。
そればかりか、逃げ始めたときよりも追手の数が増している。『本業』そっちのけで、これだけの人員を割くほどの罪とも思えないが―――悲しき哉。彼らの商人魂が突き動かされている結果なのだろう。
「フェイ、前方から来るぞ」
フェイの視線が、2軒先の屋根へと移る。
そこには地上からはしごがかけられ、男達が登ろうとしているのが見て分かった。
「っ、!」
はしごを蹴飛ばそうと思ったが、彼らが怪我をしてしまう―――そう踏みとどまり、フェイは奇宝石を取り出して念じた。
その場から跳び上がったフェイは、通りを挟んだ屋根へと移る。瞬間、使用回数が限界まで達した奇宝石は、手の上で粉と化した。
「ああ……大事に残しておいたのに……」
「悔やむのは後だ。早く逃げるぞ」
エルに促され、フェイは深い溜息を零しながら再び駆け出す。
だがふと横目を走らせたとき、町の中で一番の高さを持つ鐘楼に、何やら動く黒いものが見えた。目を凝らし注目する。人影だ。
「……!」
直後、フェイの足もとめがけて、複数の縄が飛ばされた。素早いフェイの動きを封じるためだろう。
リゲルからもらった新しい奇宝石を取り出すと、鐘楼目掛けて、先程よりも一層高く跳び上がった。
風を身に纏いながら、空を渡っていく。
落ちる寸前、フェイは再度奇宝石に念じ、またも空高く飛び跳ねた。
「―――よっと」
塔の一番上へ着地したフェイは、屋根から地上を見下ろす。
跳んだ地点よりも大分距離があるため、追手が来るには時間もかかるだろう。見失ってくれていれば助かるのだが。
「さて……」
声に、明確な殺気が籠る。フェイは自分の真下へと視線を移した。
そこには大きな鐘が吊るされている。その部分へ降り立つと、柱に身を潜める人物へ目を向けた。
「……」
突如として現れたフェイへ、その人物は驚きを露わに固まってしまっている。
それもそうだろう。何かが飛んできたかと思えば、黒いローブ姿の怪しげな人間だったのだから、そりゃびっくり仰天するだろう。
だが怪しい点においては、男も同じと言えた。
上質な布で作られたローブを身に纏い、腰には装飾が施された剣が収められている。
しかしフェイはそんなことよりも、男の手に残る『証拠』に目を止めた。途端、その目に宿った殺気が色濃いものとなる。
そして指先を向け、怒号を上げた。
「見つけたわよ、この『食い逃げ泥棒』っ!」
―――食べ終わった果物の芯が、男の手から床へと落ちた。




