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19 食い逃げ泥棒


「……『僕』を放って、女遊びとはな」

「『僕』?」


 ローブで顔を隠し、なるべく低い声で口を開く。

 リゲルはきょとんと目を瞬かせた後、「ああ!」と手を打った。


「そういや、そんな設定だったな」


 さも難解な謎を解いてみせたような顔で、リゲルは人差し指を向けてくる。


 初対面の人間には、手配中のフェリス=ブランシャールだと分からぬように男のフリをする。リゲルは出逢ったときのことを思い出し、納得したように頷いた。


「でもぶっちゃけそれ無理があると思うよ? フェイって可愛いし―――っ、!?」


 なんとも軽い口を封じようと、勢いをつけて踵でリゲルの足の甲を踏みつける。

 鉄入りの靴だ。

 限界を超えた痛みを顔で表現してみせた彼は、蹲ってしばらく人語が話せないほどに悶えはじめた。


「リゲル様……っ!」


 するとフェイの横をすり抜けて、女性がリゲルへと駆け寄っていく。

 横目で追えば、リゲルの肩に手を置いて「大丈夫ですか?」なんて心配顔で覗き込んでいた。


 その距離、思わず眉を寄せてしまうほどに近い。


 リゲルが顔を上げれば、至近距離から見つめ合う格好になるぐらいだ。


「あの、暴力はいけませんわ!」

「……誰だ、お前」

「私は商人の娘、カトリーヌと申します。暴漢に襲われていたところを、リゲル様に助けて頂いたんですわ」


 事情を話したカトリーヌは、変わらぬ姿勢でリゲルを見つめる。

 その視線に熱いものを感じたフェイは、顔を背けて二人を視界から消した。


「だからって、なんで一緒にいるんだ」

「それは、」

「この子がさ、危ない場所ばっかり行こうとしてるもんで」


 カトリーヌの代わりに、リゲルが答える。


「ええ、わたくし『食い逃げ泥棒』を捜しているんですの!」

「……食い、逃げ」


 彼女の口から飛び出た単語に厄介な空気を察したフェイは、思わずリゲルへ冷ややかな視線を送った。



 ―――話はこうだ。


 使者の首を持った騎士団が通らなかったか、と聞き込みを続けていたリゲルは、身なりの良い女性がやたらと路地裏や貧民層が集う危険地帯に向かっているのを目撃する。

 気になって後を追えば、案の定暴漢に絡まれており、それを助けたところ協力を仰がれたという訳だ。


 聞けば食い逃げ泥棒は昨日の夜頃、この町に現れたらしい。

 王都の方から来たという男は、市場に並べてあった果物2個ほど奪い、現在逃走中。


 商人が多くいるこの町では、たとえ1個だろうと泥棒を許すことはない。

 商人同士の結束により町の門は固く包囲され、男を捕えようと躍起になっているのだとか―――。



「……事情は分かったけど、なぜリゲルに協力を仰ぐんだ」

「泥棒は、憲兵も顔負けと言われる商人達の包囲網を出しぬき、今も逃亡しているのです。尋常ではありませんわ!」


 尋常なのは、果物2個でそこまでする商人達の方ではなかろうか―――と、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「わたくし、商人の娘として許せませんの! 微力ながら皆様を手伝おうと、独自に捜しておりましたのよ。そうしたら、やんごとなき方々に絡まれてしまって。颯爽と助けに舞い降りてきてくれたのがリゲル様ですの。とてもお強くて、凛々しいお姿にわたくし、胸が高鳴って……。この方ならきっと泥棒を捕まえてくれるのでは、と協力をお願いしたんですの!」


 熱弁する彼女は、頬を染めながらリゲルを見る。

 つられるようにしてフェイも目を向ければ、彼はとりあえず口角を上げただけの笑顔を浮かべ、一言補足した。


「いやあ、断ったんだけどさ。泥棒捕まえたらお礼弾んでくれるって言うから」

「……」


 ローブの中から、溜息が聞こえてくる。

 エルに同調したフェイもまた、深々と息を吐いた。


 商品を奪われたことに関して、それを生業とする者が怒る道理は理解できる。

 だが果物2個とは、その泥棒も小さいものだな、とか。

 よっぽど腹が減っていたのだろうな、とか。

 だからといって町を包囲するほどのことか、とか。

 このお嬢様の正義感は素晴らしいことだが、危ない場所へ行けば絡まれることくらい想定内だろ、とか。


 色々浮かんでは口にすることさえ億劫になり、フェイは関わり合いになることは避けようと速攻で決断を下した。


「……悪いけど、僕達急いでるんだ。だから―――」

「構いませんわ!」


 カトリーヌは満面の笑みで頷くと、リゲルの腕に身を寄せた。

 豊満な胸が当たって、リゲルの顔が締まりないものに変わる。


「リゲル様さえいてくだされば!」

「えー? いやあ、困ったなー」

「……」


 見上げるカトリーヌの、乙女全開の顔。

 鼻の下を伸ばすリゲル。


 そして―――。



「―――勝手にすれば」



 舌打ち交じりに言い放ったフェイは、とてつもなく歪な顔をしていた。



 先に宿へ向かう、とだけ告げてその場を後にしたフェイは、人混みの中を怒りを踏みしめるように歩いていた。

 

「なにあれ、なにあれなにあれ!」


 胸がむかついて仕方がない。

 自分達は急いでいるのではなかったか。使者の首を奪えなかったら戦がはじまってしまうというのに、首を突っ込んでいる余裕があると思っているのか。

 いいや、ない。時間を割いている暇はこれっぽちも、アリの糞ほども無いのだ……!


 騎士として守るだのなんだの言っていたのは、一体何だったのだ。

 昨晩の真面目さは、どこに消えたというのだ。

 

 リゲルの変態偏執狂という評価に、新たに『女好き』を追加したところで怒りは収まらなかった。


「やきもちか?」

「違うっ!」


 エルの言葉に、すかさず否定する。

 ちなみに、去り際にリゲルからも同じ言葉をかけられた。輝いた瞳で、ものすごく嬉しそうな顔で―――。


『えっ!? フェイやきもち妬いてる!? ねえ、俺にやきもち妬いてくれてんの!?』


 ―――なんてのたまわったので、膝蹴りで口をふさいでやったばかりだ。


「ではなぜそんなに怒っている」

「こんな事件に関わってる暇なんて無いのに、女に鼻の下伸ばしてほいほい協力したことについてよ!」

「やきもちか」

「だから違うっ!」


 立ち止まって大声を張り上げたところで、ふっとフェイは周囲の困惑する視線に気付いた。

 傍から見れば、独り言を繰り返す怪しい人物だ。しかもローブで顔を隠しているというおまけつき。


「……っ、!」


 目立つことに慣れていないせいか、途端にフェイは恥ずかしさに耐えきれなくなる。

 町民の視線から避けるために、慌てて近くの路地に入り込み、小声でエルを責めた。


「もうっ、もう! エルのばか! エルのばか!」

「我の所為にするでない、そして我を馬鹿呼ばわりするでない」


 色々と泣きたくなる気持ちを堪えたフェイの耳に、男達の荒々しい声がふと聞こえてくる。

 距離があるために少々聞こえづらいが、なにやら『殺してやる』だの、『舐めやがって』だの、『八つ裂きにしてやる』だのと物騒な言葉が飛び交っているようだ。


 路地の方から顔を覗かせれば、いかつい数人の男が、それぞれクワやらナワやらを持って通り過ぎていくのが見えた。


 ―――様子から察するに、食い逃げ泥棒を追いかけている人達なのだろう。


(……食い逃げって、果物2個だったよね)


 なんとも泥棒には厳しい町だな、と率直な感想を零さざる負えない。


「フェイ。時に人は感情で動き、思考を放棄することがある」

「……どういうこと?」

「つまり、頭から布を被る貴様はとても怪しく見えるということだ」


 エルの言葉に、うっと喉を詰まらせる。

 ローブで全身覆っている自分は、傍から見れば怪しいと思われるくらい分かっている。

 世の旅をする者の中にはこうした格好をする者もいるが、顔を隠すほど被っていることは滅多やたらといないだろう。


 けれど仕方ないではないか。

 翠の髪は人目を引いてしまうのだから。


「このまま目立たずに動くのが得策だな」

「でも、目立たずって……」


 フェイは家屋の影に身を潜めながら、路地の奥へと視線を向ける。

 そこにはカトリーヌの言う『やんごとなき方々』の姿や、食い逃げ泥棒を追いかけているらしき男達がちらほらと見え、どこか殺気立った目を周囲に走らせていた。


 なんと治安の悪いことか。


 どうやら泥棒が潜むにはうってつけの場所を、しらみつぶしに捜しているようだ。

 これではかえって路地裏の方が危険かもしれない。


(……なんとはた迷惑な奴)


 そんなことを胸中で呟いた矢先、奥にいた男のひとりが、ふと隠れていたフェイに気付いた。

 鋭い視線に、フェイは肩を揺らして男を注視する。


 じっと見つめる男は、一度近くに居た別の男を呼び寄せ、『あれ、どう思う?』『え、どれどれ?』『怪しくねえ?』『めっちゃ怪しいじゃん』なんて会話が聞こえてきそうな身振りを見せると、大きな身体を揺らしてフェイの方へと歩いてきた。


「来てる、ねえこっち来てる! 絶対食い逃げ泥棒だって思われてるよ!」

「だから目立たずに動けと言ったのだ」

「理不尽っ!」


 焦る態度すら、男には不審に映るのだろう。

 手にあるこん棒を握り締めながら、いかつい顔を更にいかつくして近づいている。


 これは、弁明も許さない構えと見た。


「……おい」

「……っ、!」


 どすの効いた声がかかった瞬間、弾かれたようにフェイは駆け出した。


「っ、逃げたぞ! 食い逃げ泥棒だーッ!」

「ちっ、ちがうーっ!」


 不名誉極まりない単語に全力で否定するも、背後からわらわらと手に武器を携えた男達が現れ、逃げるフェイを追いかけはじめる。


 その目、正に獣を追う狩人の如く。


 今更引き返して『違います』と説明しても、聞き入れられないだろう。

 そもそも捕まってしまえば、身の危険が増すばかりだ。なにせ泥棒以上に危険な存在とみなされているのだから。


 ―――つまりは、逃げるしか道はない。


 そうして、真っ赤に染まった空の下、フェイの大脱走がはじまった。


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