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16 思惑


「でも、ここならゆっくり……俺の長年抱き続けてきた愛を、伝えられる」


 頬を指先がなぞり、そのまま顎を持ち上げられる。

 手慣れた仕草に思えた。


 感触を楽しむように顎の裏側を人差し指でくすぐられ、びくりと肩が揺れる。


「可愛い。敏感だね……フェイは」


 甘い声が、徐々に近づいてくる。

 蒼い瞳に囚われたまま、近づく彼の唇が重なろうとした瞬間―――。


「ぐ……っ!?」


 垂直に飛んできた太い薪が、彼の頭に直撃した。

 スコーンと、とてつもなく軽快な音に反して、男は地に伏せ痙攣するほどの大ダメージを負ってしまったようだ。


 少しの罪悪感と大きな爽快感に、胸がすっとする。


「私、無詠唱で術を行えるの。下手なことしたら、次は血を見るわよ」


 そんな男に、とどめとばかりに冷淡な口調で告げた。

 

 こんなことで貴重な奇宝石を使うとは思わなかったが、牽制のひとつになるのなら、まあいいだろう。


「良かったな、フェイ」

「うん」


 リゲルの屍を踏み越え、駆け寄ってきたエルに笑顔で応える。


「これで再び、メフィストフェレスに挑める」


 だがその言葉に、フェイは笑顔を貼りつけたまま凍り付いた。

 脳裏によぎったのは、ひび割れた殻から覗いた―――あの蛇のような眼。この世のものではない異様な姿。


「―――……うん、次こそ頑張る」


 乾いた喉を震わせ、なんとか答える。


『たっぷり絶望と恐怖を味わわせて、たっぷり悪意を染み込ませてあげる。そういう魂って、たまらなく美味しいの』


 別れ際、告げられた言葉がフェイの脳裏を掠めた。


 そうだ。

 逃げられない。彼女の檻から、彼女の悲劇の舞台から、己は逃げる事ができない。絶望と恐怖を味わうだけなのだ。


「フェイ」


 肩に手を置かれ、はっと我に返る。


「とりあえず、もう暗いからさ。まずは火を起こしてから考えよう」


 穏やかなリゲルの言葉に、フェイは頷いた。



 ―――……。


 パチパチ、と小気味いい音を鳴らし、温かな火が辺りを照らす。

 膝の上で眠ってしまったエルは、気持ちよさそうに吐息を立てて丸まっていた。

 その背を撫でながら、フェイは落ち付かない気持ちを持て余す。


「……メシアは、なんでお前を狙うんだ」


 火をまたいで、向かい合わせに座るリゲルは問いを口にした。

 きっとその疑問が出てくるだろうと予測していたフェイは、特に驚く素振りもなく、自嘲するような笑みを浮かべる。


 この世界で唯一正体を明かし、刻印を刻み―――そして今朝だって、わざと見逃がしたに違いない。


 なにをしたいのか、全く分からない行動ばかりだ。

 けれどフェイは理解できる。彼女と実際に対面し、対峙したフェイだからこそ、悪魔メフィストフェレスが何を求めているのかを。


「……最高の悲劇を、見るためよ」

「悲劇?」

「言ったでしょう? 私は精霊の加護を受けているから、そう簡単に『囁き』に負けないと。……でもだからこそ、あいつはそこを狙った。私という人間が、絶望と恐怖に堕ちて、苦しむ様をただ見たいだけ。終盤に差し掛かった物語を、すこし盛り上げたいだけだって」


 悪魔からすれば、人は駒。

 ―――いいや、駒にすらならない。ただの肉と魂を持つ存在。そんな認識でしかないと、以前エルが言っていたことを思い出す。


 フェイという人間の役割は、悪魔にとって退屈しのぎでしかないのだろう。


「ひどい話だ」


 リゲルは呟きながら、静かに憤慨していた。


「でも『救世主』として召喚に応じたのは、なんでだ? メシアはこの世界で、何をしようとしているんだ」

「ただの退屈しのぎよ」

「……」


 一言で済んでしまうような、あっけない動機に言葉を失っているようだ。

 だが言ってしまえば、それだけ。

 神にとってすればこの世界に住む、幾億の人間などどうだっていいのだ。


「エルは言ってた。この世界で神とされるルシファーは、『本来の世界』とやらを真似て、そこで自分が理解できなかった人間を観察することにしたんだって。人が、人だけが持つ『善』と『悪』。果たしてどちらが勝り、どちらが負けるのか」


 ―――昔、アダムとイヴという人間がいた。

 蛇に唆され、知恵の実を食べてしまった二人は、楽園を追い出され地上で暮らし始めたという。


 そんな話が、『本来の世界』にはあるそうだ。

 『こっちの世界』にも、似たような創世記はある。


 最初につくりあげた人間をふたつに分け、魔力をもつ『アダム』と、精霊を扱える『イヴ』をつくったのだという。


 その名残だろう。

 アダン帝国、イヴァール皇国―――敵対する両国それぞれから、アダムとイヴの名前が浮かび上がる。


 きっとこれは『本来の世界』から派生した、『裏側の世界』の話なのだろう。

 自分たちは神たる力を持つ者の戯れで、気まぐれで、暇つぶしの存在でしかないのだ。


「……でも、長い間『善』と『悪』は共存し続けた。神の望むような争いはなく、たったふたつの国は平穏を保ち続けてた。よく考えると不思議よね。創世記からずっと、戦なんて起きなかったんだから」


 ―――たぶん、本能的にふたつはひとつであると、分かっていたのだと思う。


 それはエルの見解だ。

 真実は分からないが、賛同したい気持ちは強かった。


「神は戦をけしかけ、争いを巻き起こした。今は休戦しているけど、この戦いで人は滅びの運命を辿ると……エルは言ってたわ。メフィストフェレスは、不利である方について、面白おかしく引っ掻き回したいがために、召喚に応じただけだとも言っていた」


 戦争は負の感情を引き寄せ、『悪』の力である魔力を増大させる。

 救世主は『善』側に立ち、『悪』の力で支配した。

 刻印を埋め込み、人に恐怖を。

 周囲の人間を『魅了』し、思いのままに。意のままに。


 滅びゆく世界という舞台。

 そこで踊るは刻印の者。役者は人間。観客は神。


 ―――それは、まさしく悲劇を語るに相応しい。


「……はやく倒さないと、この世界は悪意に満たされてしまう」


 言い聞かせるように、エルを撫でていた手を握り締めながら、ゆっくり宣言した。

 何にも代えがたい、自分の役割であると言わんばかりに。


「―――なら、時間がない」

「え?」

「俺が皇国を出る直前、皇帝は帝国の使者を殺してしまった」


 リゲルの真剣みを帯びた言葉に、思考が止まる。


「なん、で……そんな……」


 それは。それをする意味は、唯一つしかない。


「事実上の、休戦の破棄だ」


 ―――ドクン、と心臓が大きく跳ねる。


 フェイの耳に、メフィストフェレスの声が響いてくるような。

 破滅を呼び込む声が、すぐそばで囁いている気がした。


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