15 長年の愛、積もり。
宿の外を取り囲む騎士を一掃してみせたリゲルは、自身の愛馬にフェイを抱え乗り上げる。
思わずフェイはリゲルの腕を叩きつつ、声を荒げた。
「ちょっと待って、私は自分の馬があるから―――」
「でもあれ、憲兵のだろ? ちゃんと返さなきゃ」
何を言っているのだ、この男は。
反論するより先に馬の横腹を蹴って走らせたリゲルに、最早抗議の声は届かない。
確かに憲兵の馬だ。馬は高い。奇宝石ほどではないが、結構お高い。
(一応)借りたものではあるので、返すのが筋だ。フェイもそう思う。
―――でもだからって、今ここで置き去りにしなくても。
「……っ」
遠ざかる短い付き合いの馬へ、視線だけで別れの挨拶を告げる。
速度を上げるリゲルの黒馬は、そんなフェイの情感など全く理解してくれないまま、あっという間に町を抜けてしまった。
馬に揺られながら、フェイは固く引き結んでいた唇を動かす。
「……リゲル。なぜ宿屋に火をつけたの……?」
「逃げる確率が上がるからだよ」
平然とした答えに一瞬返す言葉を見失うも、フェイは確固たる決意で告げた。
「もうしないで」
「なんで?」
聞き返すリゲルの声は、本当に理由が分からないといった感じだ。
それは子供みたいに真っ白で、残酷なまでに純粋と思えた。
「―――火は、関係ない人まで殺してしまうからよ。あのまま燃え広がっていたら、小さな町はあっという間に火の海になってしまう」
「お前を守るのが、俺の役目だ。そのためだったら仕方ないよ」
本気か、と背後にいるリゲルを見上げる。
彼の瞳は変わらず綺麗に輝き、澄んだ色を見せていた。
「殺さなければ殺される状況で、迷っては―――」
「話をすり替えないで。私は『関係ない人』を巻き込むなと言ってるのよ……っ!」
『民のために』と行動していた、侯爵令嬢だったときの記憶が蘇ってくる。
レオ皇子が大切にしていた理念。
フェイもまた、それに惹かれた。
その民を、自分が巻き添えにして殺していい道理はどこにもないはずだ。
リゲルの唖然とする瞳に向け、必死に目で訴える。
どうか分かって欲しいと。
「―――……主の御心のままに」
やがて、リゲルは瞳を細めると、仰々しく承諾した。
*
―――……森の中へと進んでいき、やがて見えてきた川の近くで馬の歩みを止める。
「もう夜も更けてるし、ここで野宿するつもりだけど……いい?」
そう尋ねてきたリゲルは、少し心配そうにフェイを見る。
貴族位であったことを考慮してのことだろうが、そんなものは無用であった。
「ご心配はありがたいけれど、私2年間は『死の谷』で隠れて、生活してたのよ。ね、エル」
「そうだな、確かにたくましかった。人が野生へ帰ると、かくもああなるものかと思ったほどだ」
意趣返しのつもりで、少し鼻高々に言ってみせる。
だが思いのほかリゲルは驚いたようで、集めていた薪をガラガラと落としながら呆然とフェイを見た。
「『死の谷』って……」
「ほ、本当よ。数は少ないけれど、谷に生息する動物を狩って―――」
そこまで言うと、リゲルの瞳がまたもや潤み始める。
「だから、なぜ泣く!?」
「……っ、いや、大変だったんだなって」
手で覆ってさめざめと泣き出すリゲルに、最早『泣くな』とは言えなかった。
どうやら彼は大変涙もろいようだ。
出会って既に3回も涙を見せた男に、フェイは呆れたように溜息を吐いた。
『死の谷』は、なにも最初からそんな名前だったのではない。
その名で呼ばれるようになったのは、両国が戦の一時休戦を宣言する少し前。
―――イヴァール皇国の皇国軍8万と、アダン帝国の帝国軍7万が衝突した場所なのだ。
地形の悪さ、深い霧、そして底なしとも思われる谷。
両国の境にあるその場所は、多くの戦死者を出した。
その骸の多さから呼ばれ始めた名が、『死の谷』である。
「戦に巻き込まれなかったか? 怪我とかしてないか?」
「……してないって」
心の底から心配そうに見つめる彼の視線から、逃れるように顔を逸らした。
だが逸らした先にエルがいたことを、うっかり失念していた。
「どうした、フェイ。顔が赤いぞ」
「うう、うるさい! エルのばかっ!」
指摘しなくともいいことをわざわざ口にするお節介に、フェイは思わず抗議の声をあげる。
気恥ずかしさを隠すようにリゲルの落とした薪を拾いはじめれば、リゲルも涙を拭いて膝を折り、薪を腕に抱え直す。
その時、ふとリゲルの腰にある剣が目に入った。
たった十二人だけが持つことを許された、『栄誉ある剣』だ。
「……」
「どうした? フェイ」
あまりに熱い視線を送っていたからだろうか。怪訝に思ったリゲルが声をかけるが、フェイの視線は剣から外れることはない。
「ねえ、さっき精霊術をまとってたでしょう? 奇宝石を埋め込んであるの?」
「え? ああ、これ?」
リゲルは剣を抜き、フェイが見やすいように横向きに差し出す。
柄の材質は銀……だろうか。
白くも見える装飾に美しさを感じるが、奇宝石は見当たらない。
レオ皇子の剣には奇宝石が埋め込まれてあり、取り外し可能の便利なものだったが、それとは違うようだ。
ならばリゲルの身体のどこかに奇宝石があり、そこから精霊術を発動したのだろうか。
だが『手に握っていなければ発動はしない』のだが、あの時リゲルが握っていた様子もない。
うんうん唸りながら考察するフェイに、リゲルは惜しむことなくさらり、と答えを告げた。
「これ奇宝石で出来てるんだ」
―――はい?
「はい?」
口に出てた。
理解するのにもう少し噛み砕いた説明が必要だと察したリゲルは、刀身部分を指差し、軽くつつく。
「ここ。この刀身、大量の奇宝石を混ぜて打ってあるんだよ。奇宝石は硬度もあるからな」
「え、大量って……どれくらい」
「正確な数は分からないけど、何十個単位ってのは聞いたことがある」
ぐらり、と眩暈を覚えたフェイは、地面に手をつき、なんとか倒れることだけは阻止した。
(……なんてこと……っ! 高価な奇宝石を、数十個も……っ!)
「……さすが皇国」
顔を引きつかせながら、絞り出した言葉にリゲルは首を傾げている。
「フェイ、どうしたんだ?」
「ああ……ちょっと前に奇宝石を使い切ってな。以前まで入手するのに苦労したので、宝と財力を前に項垂れているのだ」
「奇宝石無くなったってこと?」
「……まだあと1個あるわよ」
あと2回限りだが。
今後は奇宝石の入手、確保を中心に行動を考えねば。
最初の入手は、『死の谷』での戦死者から―――だが正直、もう勘弁だ。死体漁りをすればするだけ、吐き気と鬱蒼とした気持ちに襲われる。
次の入手経路は、南の町で行われた武闘大会だ。
賞金と奇宝石数個が優勝者に贈与される、ということで優勝してみた。
しかし、目立つのはあまり得策ではない。それに南の町から出るまで、挑戦者やら憲兵やらに執拗に狙われたし。
あとは盗賊から頂戴した。
襲ってきた上に、女だと分かると『手荒いことするぞ、しちゃうぞ』なんて言って、卑猥な言葉を次々に叫んでたから伸してやった。
今にして思うと、あれが一番効率が良かったな。
うん、よし。
次からは海賊も視野に入れて、奇宝石集めをしていこう。
そんなことを思案していたとき、フェイの目の前に小袋がとん、と置かれた。
「……なに? これ」
「え、奇宝石」
あっけらかんとしたリゲルの返答に、目を丸くさせる。
「えっ、えっ」と小袋とリゲルを交互に見れば、開けていいと了解してくれた。
「っ……!?」
そっと中を見れば、奇宝石が大量に小袋の中に押し込まれている。
数は一、二、三……じゅ、十個だ! 十個ある!
「それ、あげるよ」
「えええ!」
驚きながらも歓喜に打ち震えるフェイは、微笑むリゲルに「いいの!?」「ほんとに!?」と何度も意思確認をする。
その都度頷くリゲルは、惜しむことなく全部をくれると約束してくれた。
「十二勇将だと、任務の前によく支給されるんだよ。でも俺、あんまり精霊術って使わないから溜まってたんだよね」
「……支給」
皇子の職務補佐をやっていたから分かるが、奇宝石を任務ごとに十二人に支給できるほど、予算があっただろうか。
いや、今の政情は分からないが、少なくとも軍資金で相当痛手を負ってるはず。
しかしそんな不安は、リゲルの言葉で彼方遠くに消えてしまった。
「だから、それ全部あげる」
「―――っ、!」
彼の太っ腹な発言に、思わず口を覆い隠すほど感激に見舞われる。
これぞまさしく善の所業……!
聖者か、いや天使の生まれ変わりか!
「ああ、あり、ありがとう……っ!」
「いいよ、代わりに今晩抱かせてくれれば」
―――……ん?
「さっきは雰囲気も良かったし、いけると思ったんだけど。オリヴィエの邪魔が入っちゃったからな」
「……」
「でもここなら、ゆっくり……」
肩に手を置かれ、引き寄せられる。
「俺の長年抱き続けてきた愛を、伝えられる」




