13 オリヴィエ
「え……?」
フェイの迷いない言葉に、リゲルは唖然としている。
やがて理解した瞳が揺らめくと、ゆるゆると首を横に振った。
「なにを……」
「それが貴方と行動を共にする条件。無理だっていうなら、ここでお別れ」
「―――」
たぶん、きっと、酷なことを言っているんだろう。
フェイは声に出すことなく「……ごめんね」と呟く。
もし悪魔メフィストフェレスを倒すより早く、刻印が全身に伸びるのであれば、自害することを決めていた。
エルにもそう話したこともあるし、そのための協力は惜しまないと約束だって交わしていた。
けれど、もし『囁き』に負けてしまったら―――そんな不安が、いつも付き纏っていたのだ。
でもリゲルがついてきてくれるというのであれば、その不安からは解き放たれる。
『刻印』が魔力を発動する前に殺してくれれば、フェイは心から安心できる。
それに、城に仕える騎士が『刻印の者』についたとあれば、リゲルだって同じように命を狙われるのだ。けれど自身を殺せば、それは免罪符にだってなるかもしれない。
リゲルの安全と、自身の保険―――それを合わせた策だったが、それでも殺しをさせるのは躊躇われた。
「……俺に、主殺しを約束させるつもりか……?」
「……主が間違えば、それを正すのは立派な騎士の役目よ。それに『約束』なんかじゃない。これは私が貴方にする『命令』」
強い口調で告げれば、リゲルは縋るような瞳を床に向け、固く瞳を閉じてしまう。
―――それから、長い沈黙が訪れた。どれだけ待とうとも、リゲルから応えは提示されない。
フェイは薬の副作用が薄まってきた身体を動かし、ベッドからそっと立ち上がった。
近場にあった上着を羽織り、ボロボロのローブを指先で撫でる。
「貴方は、心優しい騎士だわ」
「……」
「―――やっぱり、私にはついてこないで」
断定的に冷たく突き放すと、はっとリゲルの顔が上がる。
そしてようやく覚悟したのか、凛とした声で告げた。
「俺は、主を殺さない。何があったって守り通す」
―――それが彼の答えだった。
「そう……」と相槌を打ち、フェイは微笑む。
彼の騎士道精神は、本当に立派だと感激すらした。絶対なる服従心。覆らない忠誠―――リゲル=ローランという名は、いつかきっと、栄誉あるものとして世に広まっていくだろう。
彼の前から立ち去ろうと、踵を返した。
「―――だが、あんたが主じゃなくなった時……俺はこの剣を以て止める」
思わず振り返れば、リゲルの決した、真っ直ぐな瞳とぶつかる。
蒼の瞳は月の光を浴びて、綺麗に輝いていた。
「その命、心して受ける。俺はあんたと一緒にいたいんだ……!」
*
―――……場所変わり、酒場として賑わう宿の前。
そこに、甲冑に身を包んだ複数の男達が現れる。
そして彼らを先導する、凛とした佇まいをした女性は、周辺の者へ命じて宿前にある黒馬を確認させた。
「間違いありません。……リゲル=ローラン殿の馬です」
若き女へ膝をついたひとりは、苦々しげにそう報告する。
「城の襲撃に際し、メシア様を守れという任を放って……あいつは一体なにをしているんだ……っ!」
対する彼女は、怒りを露わに手綱を握り締めた。
リゲルと同じ黒馬が、ふんっと鼻を鳴らす。
「いかがなさいますか」
「お前たちは宿を囲めろ。私が行く」
馬から降り立ち、女は甲冑を鳴らして入口へと向かっていく。
―――宿に入ると、そこは熱気あふれ、酒の匂いで充満していた。
こういった匂いがあまり好きではない彼女は、顔を歪ませつつも高らかに声を張り上げる。
「フェリス=ブランシャール! リゲル=ローラン! 貴様たちに逃げ場はないッ! 降伏し、姿を見せろ!」
酒場が、しんと静まり返る。
男達は突如現れた仁王立ちの彼女を見て、次に互いにきょとんとしている顔を見て―――盛大に、その場を沸かせた。
「え、フェリスって……あの手配書のか!?」
「刻印の者がこの町に来てんのかよ!」
「あの嬢ちゃん何者だ!? 見たとこ騎士様のようだが……」
「それに、リゲルって名前……」
雑音ざわめく酒場で、彼女は苛立ちを露わに再度口を開く。
「―――しかと聞くが良いッ! この町に、現在刻印の者が潜んでいる! このまま出てこないようであれば、騎士団の勢力を以てしてこの町を制圧するぞ!」
その怒号は、賑やかだった酒場に静けさをもたらした。
町の制圧―――それはつまり、武力行使によって刻印の者を探し出すということだ。
町に住まう者にとって、その宣言は恐ろしさを抱く以外に他なかった。
―――やがて、叫びすら上がらない静かな混乱の場に、男の声が響き渡る。
「やれやれ、物騒だな。誰かと思ったらオリヴィエじゃないか。メシア様の護衛はしてなくていいのか?」
階段からゆっくりと降りてきた男に、オリヴィエと呼ばれた女騎士は憎悪を孕んだ目を向けた。
「姿を見せたな、リゲル……っ!」
余裕の笑みを携えるリゲルの傍に、フェイの姿はどこにも見当たらなかった。
オリヴィエはそのことに気付きながらも、リゲルから目を外すことはしない。なぜなら彼女にとって一番の目的は、『リゲルを連れ戻す』ことだからだ。
リゲル=ローラン。
かの騎士に関する此度の命は、以下の通り。
『―――刻印の者を捕縛するために行動しているのであれば、救世主様の護衛を怠ったことに関しては鞭打ちの刑に留める。だがもし、刻印の者を手引きしているのであれば、命の是非は問わぬ。
「あれ」は敵にまわせば厄介な相手だ。故に、構わぬ。―――事実の確認が取れ次第、殺せ』
(……簡単に言ってくれる。それがどれだけ難しいか、分かりもしないで……)
睨むオリヴィエは、悟られぬよう小さく息を吐いた。それは、決して怒りを発散させるためでも、命に対する諦めでもない。
対峙する男から放たれる、緊張感。
それを堪えるために、息を整える。
彼の強さを知る者は、騎士団に多くいる。だが真の恐ろしさを理解しているのは、きっとオリヴィエだけだろう。
リゲルが騎士を拝命する以前より、付き合いのある彼女だからこそ分かる。
―――彼は、化物だと。




