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11 騎士の誓い


 ゆるり、と目を開けると、木目調の天井が目に映り込んだ。

 なぜ寝ているのだろう。ひどく、頭がぼんやりとしていて思い出せない。身体も気だるい。フェイは起き上がることを早々に諦め、ベッドの柔らかさに身を委ねた。


「―――……つまりお前は、風の精霊様ってことだな」


 不意に、衝立の向こうから人の話し声が聞こえてくる。

 その声を聞いたフェイは、自分に何があったのか、緩やかに思い出し始めた。


 そうだ、彼に薬を盛られて―――……。


 意識が定まり、慌てて起きようと腕に力を込める。だが筋肉は正常に動かず、踏ん張っていた息は諦めの息へと変わって吐き出された。

 肩を見れば、綺麗に包帯が巻かれている。血が滲んだ後もない。どうやら治療するという言葉は本当だったようだ。


「正確には、『発動された力』が元となり、現象するに至った存在だ。精霊が持つ神秘の理、記憶、この世界の成り立ち。それらを内包しているというだけだ」


(……エル?)


 もうひとつの声に、フェイは訝しげに衝立の方を見る。

 エルは自分以外の人間と、あまり話すことはない。一方的に『化け物』と畏れられるために、話をする前から拒絶されてしまうのだ。それなのに会話が成立している。

 思わずフェイは息を顰めて、じっと二人の会話を盗み聞いた。


「へえ。じゃあさ、すっごい精霊術とか使えたりするのか?」

「術を扱えるわけではない。言っただろう、我は既に発動された力を元にしていると。出来ることといえば、我は大きさの概念から外れている故、その変化と、こうして話すことだな」

「すっげえ! でかくなれるってことか!」


 弾んだ声が、部屋に響く。その後すぐにべしん、と何かを叩く音が聞こえ、男が「悪い」と謝った。


「声を出すでない。まったく騒がしい」

「いや、男心をくすぐられて、つい……。あ、でもその羽は? 飛ぶためについてんだろ?」

「疲れるから飛ばぬ」

「……」


(……なんで二人とも仲良くなってるの?)


 ゆらゆらと揺らめく灯火が、二人の影を映し出している。

 不安気に見つめていたフェイの耳に、ふと低いエルの声が聞こえてきた。


「貴様は、フェリ……フェイをどうするつもりだ」


 エルの問いに、フェイもまた身を固くする。


「あれ、さっきは助け船出さなかったのに、そこ気にするんだ?」

「我は基本的に人の諍いに対し、手も口も出さん。それに『あれ』は少し臆病すぎるところがある故な、観察していた。なに、下手な真似をしようとすれば噛み殺すだけよ」

「……そうか、理性が勝ってよかった」


 男の返答に、フェイは布団の中で身を抱いた。服はきちんと着ている。一体なにをしようとしたのか。


「まあ、ああなるのも道理だ。人間は『刻印』に対し恐怖と憎悪を抱いているのだろう? それなのに、貴様は刻印を見ても取り乱さず、治療を優先した」

「……」

「貴様はなんだ。なんの目的があってフェイへ近づく」


 鋭いエルの言葉に、男は沈黙する。

 フェイもまた、固唾を飲んで答えを待った。


 揺らめく灯り。

 1階にある酒場の談笑が聞こえるほどに場は静まり、長い沈黙を用いた後、ようやく男が呟いた。


「―――……俺の運命だから」


 昼間に告げたことと同じことを口にした男に、フェイは眉を顰める。

 だが男の口調は真剣で、どこか懐かしむような色を含んでいることに、黙して耳を傾けた。


「城で、会ったことがあるんだ。たった一度だけ」

「……」

「その頃は自分の道に迷っていて、この国のために自分の剣を捧げるべきか悩んでたんだ。お前、騎士道って分かるか? 俺そういうのにすごい憧れてて、自分だけの主をずっと探してた。そんな時に出逢ったんだ。彼女は俺に、こう言ってくれた」


『その曇りなき瞳で真実を探しなさい。その信念を以て、迷う人を救いなさい。貴方はその勇猛さで多くの人を助けることができる。従う者よりも真に弱き人のため、力を使えばいい』


「とても綺麗な、翠の髪を覚えている。その時に誓ったんだ。俺の剣を、俺の信条を―――彼女のために捧げようって」

「それだけでか」

「それだけだ」


 その後、彼は語った。

 あの事件の時、遠征で助けられなかったことを悔やみ続けていたこと。

 ずっと捜していて、見つけることができなかったこと。そして今回、城が襲撃されたことに合わせ、『フェリス=ブランシャール』という名を聞いた彼は、任務を放り捨てて追いかけてきたこと。


 ベッドの中で、フェイは驚きで目を丸くしていた。


 憶えている。


 確かに、憶えている。


 あれは確か、救世主が召喚された後のことだ。

 皇子に取り次ぎを願っても全く相手にされず、会うことのできない日々に、城内の聖堂で人から隠れ悲しみに暮れていた。

 そんなとき、柱の影から無礼な男が声をかけてきたのだ。


『神に救いを求めても応えてはくれないよ。俺の方があんたを慰められる。どうかな、今晩』


 きっと皇子の婚約者、フェリス=ブランシャール侯爵令嬢だと気づかずに言ったのだろう。でなければ、恐れの知らぬ蛮勇者か、ただの無礼者かどちらかだ。

 フェリスは踵を返して出て行こうとしたとき、彼は引き留めることもせずに見送ろうとした。

 柱から覗いた、装飾の剣。

 彼が騎士団のひとりなのだと気づいて、ちょっとした嫌味のひとつでも言い返してやろうかという気になった。


『貴方の騎士道には、神の信仰も、誠実という言葉もないのでしょうね。この国の騎士道はとても素晴らしい戒律を設けているのに、理解できないとは嘆かわしいことです』

『……』


 もしこれで逆上して襲いかかってきたら、精霊術で叩きのめしてやる。

 そんなことを考えながら男の出方を探っていたとき、意外にも冷静に、淡々とした口調で応えてきた。


『今の国に騎士道は必要ない。あるべきはただ戦に打ち勝つ力と、敵を欺く知略だけだ。本当に理解してないのは、この国の方だ。弱いものを断ち、邪魔者を排除し、ただ強く在る―――そんな国など、滅んでしまえばいい』

『……』

『皇帝はおろか、皇子すら変わり果ててしまった。その上、この国には病とも言える刻印が増え続けている。彼らは果たして本当に悪なのか、それとも悪を行う前に排除する側が悪なのか。本当に弱き者は誰なのか。神は善悪を作ったが、なにが善でなにが悪なのか、応えてはくれない。あそこにあるのは、ただの石の塊だ』


 聖堂にある神を模した像に向かって、男は悪態を吐く。

 誰しもが語らないその言葉を、なんの戸惑いもなく吐き出す男に、フェリスは固まった。


 けれど『不敬』と思えないのは、フェリスもまた同じ想いを抱えていたからだろう。

 男はひとしきり語ると、我に返ったように言葉を切った。

 そしてわざとらしいまでに軽い口調で言う。


『おっと、高貴な方に言ってはまずかったな。罰せられる前に退散しなくては』

『……貴方は、この国の行く末を案じているのですね』

『―――』

『神に対し、その心を曇らせるというのならば……。この国に対し、疑いを抱くのであれば―――』


 フェリスの言葉に、男はじっと聞き入っていた。

 ともあれば、『騎士団から抜けろ』と『この国には不要の存在』だと、そう言われるのであろうと予想しながら。


 だが続いた言葉は、男の予想を裏切った。


『その曇りなき瞳で真実を探しなさい。その信念を以て、迷う人を救いなさい。貴方はその勇猛さで多くの人を助けることができる。従う者よりも真に弱き人のため、力を使えばいい』


 男は、何も言わなかった。

 フェリスは今度こそ踵を返し、聖堂を後にする。


 男とは、それっきり会うことはなかった。

 なぜならば、それから数日後―――フェリスは糾弾されたからだ。

 


「―――っと、長話過ぎた。フェイの様子を見てくる」

「っ、!」


 カタリ、と椅子から立ち上がる音が、フェイの耳に飛び込んでくる。

 狸寝入りするべきか、それとも開き直って聞いていました、と白状しようか悩んでみるも、衝立から顔を覗かせた男と目が合ってしまい、途端、気恥ずかしさで顔面を赤く染め上げる。


「あれ、起きてたんだ」

「き、っ……聞こえ、」

「怪我、どう? 痛みは?」


 優しく問いかける男に、フェイは思わず顔を背けた。

 盗み聞きがばれてしまったことで、罪悪感と恥ずかしさで脳内が混乱に陥る。だがそんなことなど露知らず、男はフェイのベッドへ近づくと、「悪いな」と謝った。


「まだ力入らないだろ。あの薬、即効性なんだけど強力すぎて、身体から抜けるのに時間かかるんだよね」

「……一体なに飲ませたの」

「え?」


 わざとらしく聞き返す彼は、にっこりと微笑む。

 答えるつもりはないようだ。一体なんだというのだろう、あの液体薬は。


 男はフェイの左腕に触れると、肩口の様子を見る。

 跳ね返そうとしたが力が入らず、結局は成されるがまま、フェイは刻印を男の目へと晒した。


「……うん、無事止血してあるな。無理に動かさなきゃ、あとは大丈夫だ。腹減っただろ? なんか持ってこようか?」

「―――……いらない」

「でも栄養とらないと。結構血でてたし、食うもん食った方が、」

「私は貴方を必要としていない」

「……」

「勝手に誓いを立てたからと言って、私に構わないで。私はエル以外、誰かを信用したりしない」

 

 男の顔を見ることができず、フェイは目を逸らしながら冷たい言葉を浴びせた。

 彼が騎士道を重んじた騎士であることは理解した。


 ならば、仕えるべきは断罪の対象である『刻印の者』などではない。あの日、あの時、フェイは彼の力を救いを求める人の為に使え、と告げたのだ。それは決して、フェイのことではない。


 国が過ちを犯したとき、それを正す力として。

 民衆を導く、誠正しき騎士と成れと―――そう告げたのだ。


「貴方を必要とする人は、きっと他にいるんでしょう。私を放っておかなければ、皇国の騎士道に反する行為とみなされる。だから―――」

「つまり、フェリス=ブランシャールで合ってると認めたってこと?」


 要点のずれた男の回答に、フェイは口を閉ざした。

 しかしなんとか、再度口を開く。


「……フェリスはもういないわ」

「じゃあ、フェイって呼ぶけどそれでいい?」

「……」


 噛み合わない会話に、苛立ちが込み上げる。

 フェイは「だからっ!」と声を上げながら勢いで起き上がると、男を真正面に捉えた。 


「貴方は騎士道を大切にしたいんでしょう!? だったら私に構わないでっ!」


 声を荒げただけで、相当な体力を使ってしまった。

 息を切らせながら男を睨むが、彼は唐突に自分の帯刀していた剣を鞘ごと引き抜き、目の前でゆっくりと抜刀する。


 なにをするつもりなのか、フェイは想像して、硬直した。


 『フェリス=ブランシャール』と確認をとってから、剣を抜く。それはすなわち、断罪に処するつもりなのではないか、と。

 何て自分は浅はかだろう、と悔いながら、徐々に抜かれていく白く、輝きを放つ刀身を見つめる。


 逃げるほどの力は、ない。


 フェイは固く目を瞑り、その時を待った。だが聞こえてきたのは―――。



「貴女の剣となり、盾となり、この魂眠るときまで主君に捧ぐ」



「……」


 謳うようなその文句に、フェイは目を見開いて男を見た。

 床に片膝をつけ、鞘から抜き放たれた剣を垂直に構えている。



「騎士リゲル・ローラン。誓いを結び、気高き貴女に忠誠を―――」



 仰々しいそれは、皇国の『騎士の誓い』だ。


 眉を寄せ、リゲルと名乗った男を見下ろす。

 本当に―――本当に、『刻印の者』であるフェイに、ひざまづくというのだろうか。忠誠を誓うというのだろうか。この男は。


 フェイは、疑いを向けるような眼差しでリゲルを見つめるが、彼は真っ直ぐに視線を返すだけだ。


「……っ」


 やがて長い沈黙の中で、何かを言おうとした口を閉じ、フェイは瞳を細めて首を振る。

 しかしリゲルの誓いは崩れない。ここまでフェイを追いかけた彼のことだ。きっと容易には諦めてはくれないだろう。

 フェイは唇を噛み締め、観念したように口を開いた。



「―――……忠義に、信実もって応えます」


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