表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/50

9 片鱗


「な……」


 驚愕の声を上げたのは、男の腹目掛けて蹴り上げたフェイだった。自身の持つ素早さと、ブーツの底に仕込んだ鉄の重みで、大抵の境地は切り抜けてきた。だというのに―――。


 腹へ到達するより先に、男は両手でフェイの足を掴んだのだ。

 慌てて引けば、なんなく手は離れる。それに屈辱を覚え、再び踏ん張りを効かせながら蹴りつけようとするも、結果は同じだった。


「っ……!」

「あれ? もういいの?」


 男の挑発に、思わず感情が先に出てしまう。

 掴まれたままの左足を支えに飛び上がり、男の顔面めがけて踵を振り下ろした。だがそれすらも掴まれ、両足を捻り、急いで男から距離を取る。


 睨み上げれば、男は余裕の笑みで近づいてきた。

 その笑みに恐ろしさを抱いたフェイは、今度は男と偽ることなく声を荒げる。


「来ないで! なに、なんなの!? なんで私につきまとうのよ!」


 だが意外にも、男はフェイの口調に違和感を抱いていない様子だ。

 最初っから女と分かっていたのだろう。そう思うと、更に屈辱は増すばかりだった。


「なんでって……」


 フェイの叩きつけるような問いにきょとんとする男は、至極当たり前だと言わんばかりに、高らかに言い放った。


「君と俺との出逢いが、運命だったからッ!」

「エルっ! エル出てきて、いますぐに!」


 必死に助力を叫んだフェイの言葉に応えるように、ベッドがもぞもぞと動き出す。

 ぴょこん、と飛び出たエルだったが、何かをする様子はない。ただ状況を見守っているだけだ。

 『人間相手なんぞに我が関与するか。大体貴様さっき我にしたことを思い出してみろ』みたいな目を送ってくる。傍観すると徹した姿勢に、心の中で泣き叫び、助けを請うが届かない。


 そうしている内に男の顔はフェイの目前にまで迫る。滲み寄られる距離があまりに近いことに、顔が青ざめていく。

 息遣いの荒さに全身が鳥肌立った。


「フェイ……俺は、ずっと君に、」

「やめて、やめてそれ以上近づかないで……っ!」


 情けない声を出すフェイは、両肩を掴まれ身体を固定される。一体何をされるのか―――いや、なんとなく想像はできるが受け入れ難い。考えたくない。しかし、徐々に狭まる顔の距離と、男の息遣いに、フェイの頭の中はかつてないほどに混乱を極めた。


 だが、唐突に男の動きが止まる。


 ぎゅっと目を瞑っていたフェイは、訪れた静寂に怪訝に思いながら、恐る恐る目を開けた。

 男は自身の右手を広げ、じっと何かを凝視している。強張った顔から、なにかに焦る顔へと移り変わり、フェイをまじまじと見つめてくる。


「……怪我を」

「え?」

「怪我を、してるのか?」


 呆然と、男の言葉を心の中で復唱する。とりあえず頷いた。

 見れば、彼の手にはフェイの血がついている。いや、怪我をしているからなんだと言うのか。関係ない。そう口に出そうとした時だった。


「え、ちょっ!? なに、なに!?」


 がばり、と突然に担ぎ上げられ、近くのベッドへ下ろされる。そして乱雑に巻いた肩口の包帯を見ると、男は険しい顔でフェイを怒鳴った。


「阿呆っ! こんな適当な処置で、痕が残ったらどうするんだ!」

「……」


 男の叱咤に、目を丸くして身を固くする。

 なぜに突然怒ったのか、その理由に至るまでまったく理解できなかったのだ。


「ああ……俺のものに、なんてことを……」


 ―――なにも聞こえない。


 血だらけの包帯を解き、男は近場にあった薬と、自分の荷物の中から液体薬を取り出す。

 それを見てフェイははっと我に返り、男の手を払い除けた。


「勝手に身体に触らないで!」

「治療をするだけだ」


 子供をあやすような口調で諭しながら、男はフェイの左腕を握る。左腕の刻印が、男の目に晒されている。


「っ、!」


 腕を払い除け、慌ててベッドから降り立つ。

 しかしそれより早く男の腕が伸び、再びフェイの左腕に触れた。


「やめてッ! 腕に触らないでッ!」


 刻印が見られている。刻印を刻まれた腕が触れられている。

 それは、フェイが最も耐え難い苦痛だった。


 ―――逃げなければ。


 次に思ったのは、男の視界から消えることだ。そうでなければ、油断した隙に捕らわれてしまうかもしれない。殺されるかもしれない。あの液体だって、本当は毒かもしれない。そうだ、そうに違いない。

 『他人』がフェイに優しく接することはない。同じ人として扱うわけがない。

 いつだってそうだった。

 気を許せば、殺される恐怖が常にあったのだ。この男だけが例外なんて、そんな都合の良いことはない。


「待って、血が出てる」

「やめて……!」


 言って、変わらず男は腕を握り続けている。

 今度は簡単に振りほどけない力を込められ、フェイは縋るようにエルを見た。


「エル……っ! 奇宝石を、早く……!」


 語りかけるフェイに、しかしエルは応えない。じっと事の成り行きを見守るつもりだ。

 男はエルをようやくその目に映すと、驚きで目を見開いた。


「この、生き物は……?」


 エルは、フェイの姿をただ丸い瞳に映すだけだ。この状況下でエルが助けをしないことは、フェイにとって絶望的だった。

 奇宝石は脱ぎ捨てた上着の中。味方はいない。男に取り押さえられ、どうすることもできない。そのことに恐怖を抱いたフェイは、震えだす身体を止めることもできずに、頭を振った。


「や、やだ! お願い離して、やめて!」

「何言ってるんだ、フェイ? 俺はただ怪我の治療を―――」

「腕に、刻印に触らないでッ!」


 動かされた肩は血を流し、白いシーツを徐々に赤で染めていく。それを見た男は焦りの色を浮かべ、声を荒げた。


「動くなっ! いいか、無理に矢を抜いたせいで傷口が広がってるんだ! 決して浅くない傷だ! 早く止血しなきゃ―――」

「はなして―――ッ!」


 男の言葉を頑なに聞き入れないフェイは、悲鳴混じりの声を上げ、力の限り暴れる。


「っ、!」


 男は再び自身の荷物から別の薬を取り出すと、フェイの顎を抑え口を開かせた。

 抵抗空しく、男の力に抗いきれないフェイは怯えた表情で男を見上げる。


「な……にを、」

「大丈夫、殺さない。俺はあんたを守るために追いかけてきたんだ。ちょっと眠るだけだ、怖い事はない」


 まじないのように呟きながら、液体をフェイの口へ流し込む。

 決して飲み込まんと堪えていたフェイは、口の端から薬を零す。それを見た男は、躊躇いなくフェイの口を塞いだ―――己の、唇で。


 驚愕の色を目に浮かばせたフェイは、押し込まれた薬をこくん、と喉を鳴らして飲み込んでしまう。

 押し倒す男の腕を引っ掻いていた指が力を失くし、ぱたん、とベッドの上へ落ちた。

 身体の筋肉が、徐々に弛緩していくのが分かる。


 ―――ああ、しぬのか。


 それだけを思い、フェイは、強制的に暗闇へと引きずり込まれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ