わたしは昔、あなただった
音楽に興味をもったとき、はじめに聞いていたのは歌でした。
ギターとベースの違いもわからず、後者は聞こえにくい音域で歌とおんなじような旋律をなぞっている楽器、くらいの認識しかなく、今とはずいぶん異なります。
今はできるだけ、全パート同時に聞くように心がけています。
音楽は歌じゃない、と気づいたのは、洋楽を聞いたときでした。
というのも、歌っている言葉が聞きとれなかったからです。
ついでに言えば、英語の歌は国内のものよりメロディーが曖昧で、
すぐ覚えられるほど際立っていなかったのも要因でした。
なのでしかたなしに、歌の後ろで鳴っている演奏を聞きました。
それでようやく、音楽はぜんぶで音楽なんだ、とぼんやり感じたわけです。
でもしばらくは、日本語の歌を聞くとどうしても声に意識がいってしまって、
演奏はあまり気にしなかったので、自分にとって洋楽こそが、ちゃんと聞ける音楽でした。
言葉が通じないから、伝わったのです。
これは文章では起こりえない現象で、しいていえば、
文章から受ける印象についてが、共有できるものと言えましょう。
歌を聞いているとき、自分のことを歌っているのだ、と思ったことはなく、
しかし、どうしてこの人はこんなに的確に気持ちを言葉にできるのだろう、
と思いました。
鼻歌を歌っているとき、少なくともわたしは歌手本人であり、歌の登場人物です。
それなのに、歌の余韻に浸っているのは、まぎれもなく自分自身です。
小説を読み終えたときと似てますね。
音楽は染みわたるように自分と一体化していきます。
小説は、あまりそういった感じはしません。
でも、意識しているかいないかだけで、どちらもゆっくりと自分の一部になり、
やがて手放していくのです。
手放して、必要なくなったときに、わたしは昔、あなただった頃があったと、なつかしく思い出す。
作品が作者の一部だったように。
今日も、そのサイクルの中にいます。
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