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パールのネックレス(掌編・旧作)

「あら、まぁ。どういう風の吹き回しなの?」


白髪ばかりの頭、皺だらけの小さな顔に手をやりながら母はそう呟いた。

座卓に置いた青い細長いフェルトのような布が貼ってある箱を見つめながら。


「どういうって…。手土産だよ。いつも佃煮じゃアレだろう?」


母はじっとその箱を見たまま手をつけず、俺もかける言葉を見つけられずにいた。

気まずくなってポロシャツの胸ポケットから煙草を取り出し咥えた。

一本咥えライターも取り出すとシュボっと空気を燃やして火をつける。

煙草は先端がぼぉっとオレンジ色に光った。

母が顔を上げて戸棚の前の畳においてあった昔からのガラスの灰皿を座卓に置く。

木とガラスがぶつかり、ゴトンという音がした。

庭では娘二人がキャッキャ、キャッキャと楽しそうにはしゃぎながら遊んでいる。

目を二人に向けてしばらく見入る。

庭の池には近づくなよ、と、声をかけようと思ったがやめて、母をまた見た。


「気に入らない?別に高価な物でもないんだけどさ」


トン、トン、と二度三度、挟んだ煙草の灰を灰皿に落とす。

ころん、と、灰は煙草からすんなり離れて灰皿に転がった。


「お前、そうは言うけどね。だって真珠だろう?」


ようやく母はその小さな細長い青い箱を手に取り斜め上へスライドさせるようにして開けた。

中にはひよこ豆ほどのパールがつやつやとあの独特の乳白色の輝きを帯びて鎮座していた。


「こんなに立派な…」


母の目が細くなる。

けれど口元は嬉しそうに形を変える。


「良いんだって。もう誰もくれないだろ?明子に内緒ってわけじゃないんだからさ」


明子というのは俺の妻で、今回は小学校の委員だかなんだかの事情で一緒にこれなかったのだ。



本当のことを言えば、母にパールを贈る事を言い出したのも明子で、それはずいぶん前から考えていたらしかった。

「喜ぶと思うよ、お義母さん。もうお義父さんが亡くなってずいぶん経つんだし。…あのね、違うのよ。冠婚葬祭につけるような立派な物を買っていけって言ってるんじゃないの。ちょっとした仲間内の旅行なんかの時に付けられる小さな…あまり値段も張らないものが良いと思うの。だめかしら」

野球中継を見ながら話半分に聞いていた俺に明子は楽しそうに次から次へと話した。

結局のところ、こういう時に俺に決定権は無く、明子のだめかしらはただの確認でしかない。


その証拠に翌日家に帰れば、テーブルの上に、それは鎮座していた。

手に取って見ていると味噌汁を温めなおしていた明子は得意げに振り返り、

「3万だったのよ。ね。最近は高くないって言ったでしょう」

と言った。

その3万がどこから出たのかなんてことは聞かなくても大方の予想がついた。

タンス貯金という名のへそくりがあるのだろう。

ただそれを自分の母親のためにつかってくれている事が、なんというか、ほっとした。



「つけてみなよ」


煙草を口元に持って行き、煙を吐き出してから母に向かって言う。

そう、と、母がためらいがちにネックレスに指をかける。

皺だらけの荒れた手。

指先がパールを撫でていた。

何となく見ていたくなくてもう一度煙を吐き出す。

室内を舞う煙を目で追うと母と父が並んで写る写真が目に入った。

母も今より若く、父は亡くなる少し前だったと思う。

二人ともはにかんだ笑みを浮かべ、写真の中では冬らしく雪が写っていた。


「あんな写真あったっけ」

母はちょうどネックレスを箱の止め具から取った所でそれはジャラリと音を立てて母の手を滑った。

「あんなって。お前、あれは父さんの遺影にした写真だよ。お前が撮ったんじゃないか」

母は目を丸くして言った。

「そうだったっけ」

「そうだよ。…本当に、そういう所父さんにそっくりね。父さんもそういう大事な事すぐ忘れちゃって、いっつも母さんが思い出してはこうやって教えてあげたわ」

俯いて笑う。

母の首元から細い歳をとった鎖骨が見えて、胸が苦しくなった。

かさついた指でゆっくりとネックレスの留め具をはずす。


「ねぇ、つけてちょうだい」

突然、思いついたように母はネックレスを俺に向けた。

「えぇ!」

母から目を離し、煙草を灰皿に押し付けていた。

「いいじゃない。こういうのはそういう物なのよ」

ね、と、母は俺の手にネックレスを渡す。

渋々受け取り、母の後ろに回った。


手の中のネックレスが少し、重かった。


「いい?つけるよ」


母のうなじ。

肩を叩いたのはいったい何歳までだっただろう、と、ノスタルジックな思いに駆られる。

細く白くなった肩。

皺のある首。

白髪のうなじ。

じっとそれらを見ながらパールのネックレスをつけた。

留め具が上手くはまらなく、手間取った。

こんな事をしたのもずいぶんと久しぶりだった。

気がつけば手に汗をかいていた。


「ついたよ」


声をかけると母は若い子のように嬉しそうに振り返った。


「ねぇ、似合う?」

右手をネックレスに掛け、自分に合った位置に調節しながら訪ねてくる。


「うん、似合うよ」


本当は何ていうか複雑だった。

母は別にとんでもなく美人でもなく、皺だらけの老人でパールのネックレスが引き立つわけではなかった。


だけれど、なんというか。

そのネックレスはもともと母のものだったかのように、ぴったりと収まっていたのだ。


「本当?…ありがとうね。こんな物くれて」


母の目にうっすらと光る物が見えた。

俺はわざと見ないふりをして、庭にいる娘に声をかけた。


「おーい、池には近づくなよっ!」

と。

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