仕事の内容にもよりますね
結局、私の名前は島崎ゆま改め、ユマリア=カムイソルナということになった。
この世界で『マリア』と言うのは『聖女』の意味を持つそうで、アルクさんは三日三晩の苦悩の末に決めたのに、と半ばキレ気味に説明してきた。知らんがな。
後日、『ユマリア』にも『傾国の魔女』という意味があったと知って、今度は私が半ギレすることになる。
仮にも自分の作った最高傑作の名前が、そんな縁起の悪い意味を持ってて良いのだろうか?とも思ったが、アルクさん曰く『かっこ良ければそれでいい』そうだ。
その意見だけは判るけど、異世界人のセンスが判らない…縁起悪くてもいいの?
「で、アルクさん」
「アルクでいい」
あー。アルクさんは“さん付け呼称”はお嫌いか。権威とか持っていそうな人なのに、意外と気さくな関係を求めるタイプなのかな。
「そうですか? ではアルク。迷宮管理人の仕事とは、具体的に何すればいいですか? ひよこ柄のエプロンつけて、そのへん箒で掃除すればいい?」
「そうだな。具体的には…って、引き受けてくれるのか?」
「どの道しばらくは帰れないですしね。五百年先まで続けるかは考え中ですが、一応は、やるつもりですよ。とはいえ仕事の内容にもよりますね」
むしろ『夕飯までに世界を救ってきなさい』と言われずに済んで、ホッとしている。
ただの管理業務ならファンタジーな世界においては、比較的危険度の少ない、安定した職種といえるのではないだろうか。ただの管理業務なら、ですけどね。
「よし、ではちょっと移動するぞ」
アルクさんがパチンと指を鳴らした瞬間、景色がブレたように感じた。先ほどまでの部屋とは違う、別の場所に瞬間移動したらしい。
呪文も使わずに、こんなことが出来るのか。元の世界の上司も、部下の肩を叩くだけで、遠くの支社に転勤させる力を持っていたが、新しい上司はそれ以上の能力を持っていた。
ここには業務内容の説明のために、移動したのかな?何か、左側の壁から何やら熱気が出てるせいか、妙に暑い。
私はアルクさんの後を、親鳥を追うヒヨコのように付いて行った。但し、ペンギンの真似をしながら歩いた。
鱗の意匠が施された左の壁に沿うようにして、アルクさんは進む。
どこまで行くのかなー?左の壁が妙に暑いんですけど。
そう思い歩きながら、壁の上を見ると、トカゲのようなデザインの大きな首が見えた。
「う、うっそ!」
壁だと思っていたそれは、横たわっているにも関わらず、日本の2階建て家屋ほどの高さを持つ巨大なドラゴンだった。私たちが歩いていたのは、ドラゴンの後ろにある尻尾の方から、頭のある正面の方へ移動していただけらしい。
ドラゴンはチラリとこちらを一瞥した後、鼻からプシューと蒸気を出した。
「仕事の殆どは軽作業の類だ、安心するといい。では最初にやるべき仕事を説明しよう。まずこの眼の前に居る紅玉龍と戦って勝ち、調教する。それに成功したら、同じ手順でその上の階へ
「ストップ」
「ん。どうした?」
「ストップです。どうしてドラゴンを調教する必要があるんでしょうか?」
「それは私以外の者には、全力で襲いかかるように命令してあるからだな」
「それなら、お手数ですがアルクがこの龍に“こいつは管理人だから手を出すな”と言い含めて頂ければ、それで済む話と思うんですが」
「それは無理だ、こいつはプライドが高いからな。私と一緒の時はそれでもいいが、君一人の時には遠慮無く襲いかかってくるだろう。自分より弱いと思った者には従わない、勝って体に判らせてやるしかない」
『紅玉龍』という響きから察するに、下級龍とはとても思えない。仮に倒せても、そのまま最上階まで戦わされ続け、クライマックスには迷宮の外で勇者という名のラスボスが待ち構えていそうだ。
それでは軽作業ではなく重労働だ。この世界には、厚労省はあるのだろうか?労働基準監督官は居るのだろうか?無さそうだよね。やっぱり管理人の仕事はお断りしよう。
「もしかしてユマリアは、戦っても勝てないと思っていないか?」
「普通にそう思いますね、力及ばず申し訳ないと思っています」
チラリとドラゴンを見た後、首を振り正直に答える。涼子ちゃんみたいに学生時代に武道を嗜んでいれば話は違うかもしれないけど、私は漫画を読んで研究する部活でした。ちょっとドラゴンさん、私を睨むなよ。この上司を睨めよ。
「心配するな、その体は私の最高傑作だと言っただろう。君は挨拶の時に、世界を救うだの神と戦うだの、頼もしい話をしてたではないか。それに比べれば紅玉龍の相手など朝飯前の雑事に過ぎん。別に無理して肉弾戦で戦う必要はない、魔法でちゃちゃっと片付けてくれればいい」
チャチャッとって言われてもな。ドラゴンと私、どれだけウエイト差があると思ってるんだろう?戦い出せば、この体が自動で何かしてくれるのだろうか。
私は試しに両手を揃え、手のひらの先へ力を込めてみる。『たー!』と叫んでドラゴンに手を向ける、とアルクさんに『お前、何やってんの?』とでも言いたげな顔で心配された。おい、ドラゴンさん。あんた今、鼻で笑ったね?
「アルク。お仕事を引き受ける前に、お願いがあります」
「何だ?」
「研修期間を下さい。この体の能力も分かりませんし、魔法の使い方も知りません」
「あっ…」
“あっ”って何ですか“あっ”って、何で青い顔してるんですか。
「すまない…最初はそこから教えるべきだったな」
忘れてただけか…それなら良かった。戦っているうちに力は目覚める!だの、実践で覚えろ!だの言われるより幾分マシだ。仕事に必要な技術なら、頑張って学びとりますよ。今ちょっと学ぶ意欲も湧いたしね。
但しお勉強は安全な、さっきの場所でやりましょう、横で炎を吐かれると集中できないしね。
「ではご指南のほど、ひとつ宜しくお願い申し上げます」
私が深々と頭を下げると、アルクさんは満足気に『うむ』と一言頷いた。
そして私が召喚された当日の夕方、アルク先生の魔法講座(基礎編)が始まった。
「そして更に───三年の月日が過ぎたのでした。」
「いや、まだ二日目の昼だ。ときどき君は、妙な独り言を呟くね?」
「そういう時はだいたい現実逃避してるの!まさか魔法の基礎を教わる過程で、『やっぱりドラゴン倒せ』と言われるとは思わなかった!」
「実践は大切だぞ?それに実学が一番、身に付き易い」
「神話の時代から、この迷宮に引き篭もってた人に言われましても…」
昨日の講義中に『そもそもどうして異世界から召喚したんですか?』という私の疑問をぶつけてみた。管理人やらせたいだけなら、この世界の人でも構わないよね?と思っていたからだ。
その質問に答える代わりに、アルクさんは昔話を語りだした。
しかし話が壮大過ぎてリアリティが無さすぎて、私は寝落ちしかけて怒られた。
何せ、話の始まりが『私が生まれたのは今から八千年前の事で…』だったから。
いくらなんでも長生きしすぎでしょ…。
話は朝まで続いたので、昼まで寝てから再び紅玉龍の部屋まで移動し、現在に至る。
半分寝てたのでよく憶えていないが、要約するとアルクさんは八千歳。
神に仕えていた古代人の一人で、この世界における魔法の発明者。
今の人間たちにも魔法を教えたが、色々騙された挙句に人間嫌いとなり、この迷宮に引き篭もった。
で、引き篭もったのは今から三千年前のこと。
『私はこの世界の神も<人間>も全く信じていない。<人間>とは、いまの人族だけでなく人型種族の総称なのだが…彼等には幾度となく裏切られ、酷い目にあったからな。私は神を含め、この世界に生まれた全ての者に遺産を譲る気はない、そして奪われたくもない。だから異世界から君を召喚したのだ』
酷い目にあったのは分かったけれど、それは三千年も前の出来事だよね?
流石に今は、人間も真っ当にやってるんじゃないのかな。
そう思ったが、口は挟まなかった。
彼は三千年前からずっと、人間の愚かさに絶望し、引き篭もったままだった。
そんな彼に、憶測で変な希望をチラつかせたくはない。
実際に人間の街に行って、見極めよう。今度、実地調査してくるよ!
「さあ───そんな訳で紅玉龍さん!ここはひとつ、胸を貸すつもりで練習台になって下さい。あ、踏み台になってくれてもいいんですよ?」
「何が『そんな訳で』だ、巫山戯るな! この痴れ者め!」
「おおふ!」
その日、私は怒りに任せて吐き出された、龍の息に包まれた。
怒りのドラゴンですよ。