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勝って負けた日

作者: 橘つかさ

 授業開始のチャイムと同時に静まり返った二年三組の教室。


 教室前方のドアから颯爽と現れた担任の女性教師の姿に教室中の視線が集まる。


 ドン、と音を立てながら彼女が教壇の机の上に置いた紙の束にアタシ――樋口晶(ひぐちあきら)は思わず唾を呑む。


 緊張から今のアタシはヒドい顔をしているに違いない。


 女子生徒にしては高い百七十二センチの身長と目つきが悪いと友人の間で評判の三白眼。ついでに髪質が硬いので女の子らしい髪型をした記憶もほとんどない。


 職員室に呼び出した先生が、アタシの顔を見るなり謝ったこともあるくらいだ。


 乙女の顔を見た瞬間、泣きそうな顔で謝るってヒドい話だ。


「――それでは英語の期末試験の答案を返却します」


 聞こえてきた担任教師の声にアタシは頭を振って、湧いてきた余計な思考を頭の片隅に追いやる。


 そして、改めて教壇の机の上にある紙の束を睨む。


(大丈夫、大丈夫。これは最後の砦。得意なはずでしょう。だから自信を持つべきなのよ)


 アタシは自分に言い聞かせるように何度も何度も心の中で念じるように繰り返す。気がつけばアタシは胸の前で手を合わせ、祈るような格好をしていた。


「まずは青柳くん」


(はじまった!)


 名前を呼ばれた男子生徒、青柳くんが神妙な顔で立ち上がると教壇に歩み寄る。


 無造作に手渡された紙――英語の答案用紙をゆっくりと覗き込んだ瞬間、青柳くんは複雑な表情で肩を落とす。そして哀愁漂う足取りで自分の席に力なく座り込んだ。


(やっぱり難しかったから……。でも予想の範疇……。落ち着くのよ、アタシ。アタシは負けるはずない。クールに)


 アタシは自己暗示を繰り返す。


 速まった動悸を落ち着かせるために深呼吸も忘れない。


 その間も次々と名前を読み上げられた生徒が担任から受け取った答案用紙を覗いてはトボトボと自席へと戻っていく。


 生徒の間で今回の英語のテストは難しかったため平均点は七十点以下と噂されている。


 今まで受け取った生徒の反応を見る限り、噂は限りなく真実に近そうだ。


「菅原さん」


 その言葉にピクリと反応してしまう。


 頭を動かさずに視線だけを左に動かして声の主を確認する。


 アタシの視界が捉えたのは、廊下側の前から三番目の席に座っている女子生徒、菅原麗子(すがわられいこ


 彼女は、ただ椅子に座っているだけなのに、どこか気品が漂っている。そして今の教室には似合わない自信に満ちたオーラを感じさせる。


 麗子は微笑を崩さず、落ち着いた顔で口を開く。


「はい」


 教室に響く麗子の上品な声。彼女は静かな動きで椅子から立ち上がると一瞬、アタシの方を一瞥する。


 親の仇を見るような鋭い視線でアタシを射抜いたことに気づいた生徒が教室にいるだろうか。


 彼女は何事もなかったかのように、しずしずと教壇の方へ歩み寄る。


 麗子について説明するならばアタシの天敵といったところだろうか。


 見た目は良家のお嬢様。


 身長は百六十センチで同性でも見とれてしまうようなプロポーション。


 腰の下まで伸ばした緩やかなウェーブがかかった亜麻色の髪。


 慎み深く、頭脳明晰、容姿端麗、運動神経も抜群。


 弱点といえば料理、裁縫などの家庭科全般が不得意だということと、爬虫類が苦手というぐらいだろうか。


 麗子は髪を優雅になびかせながら教壇に歩み寄っていく。


 その華のある姿に男子生徒だけでなく、女生徒までもがうっとりとしている。


 理解できない点は、アタシを何故か目の仇にしていること。原因がさっぱりわからないので対処方法がない。


 容姿に共通点があって因縁を付けられている、ってのもあり得ないはず何だけどな。


 クラスメートになるまでは彼女の評価は見た目どおりのお嬢様だったのだけど、今では二重人格か瓜二つの姉妹がいるんじゃないのかとアタシは疑っていたりする。


 彼女は受け取った答案用紙に目を落とすとアタシに向けて勝ち誇ったような笑みをみせる。



 ――貴女に後悔を味あわせてあげますわ。



 微かに動いた彼女の口からそんな言葉が聞こえて気がした。


 教室の窓際最後尾から教壇までの距離を考えれば麗子の声が聞こえてくるはずはない。


 だが麗子がそう呟いたのは確かだろうという確信がアタシにはあった。


 アタシに向けられた一瞬の蔑む笑みを見逃さずに目視したのはアタシだけだろう。なんともいえない感情が心の底からあふれ出てくる。


(麗子なんかに負けているはずない。あとで屈辱をお見舞いしてやるわ)


 優雅な足取りで席に戻る彼女を睨みつける。


 アタシの視線に気づいていないのかそれとも気にしていないのかこちらの方を一度も見なった。


 勝ち誇った彼女の横顔が非常に癪に触った。


 ジッと彼女の横顔にガンを飛ばし続けてみるが涼しげな笑みを浮かべるだけで気にも留めない。


 腹がたってくる。


「――口さん、樋口さん。ボーっとしていないで早く取りに来てください」


 担任のあきれた声に慌てて視線を前に戻す。


 急いで立ち上がろうとしたためか膝を机にぶつけてしまい思わず顔をしかめる。


「他の人たちは自分の名前が呼ばれるまでは緊張して固まっているというのに」


 ふぅ、といかにもあきれましたね、と言いたげなため息をこぼしながら目的の物を手渡してくる。


 こういう嫌味なところは好きになれないが、生徒を晒し者にするような行動――試験の点数を声高々と読み上げるなど――をとらないところは好感が持てる。


 手渡されたやけに重く感じる紙切れ。見ることなく胸に押し付ける。


 目を閉じて深呼吸を一つ。心の準備を整える。


(神様……)


 チラリと覗きこむ。思わず拳をあげて飛び上がりそうになった。


 アタシは必死になって自制するとそれまでのクラスメートたちのようにガックリと肩を落としてトボトボと哀愁を漂わせながら自分の席に戻る。


 椅子を座る前に横目で嫌味娘を確認すると愉快でたまらない、という表情をしていた。


 アタシは彼女に見えないように小さくガッツポーズをすると糸の切れた操り人形のように力なく椅子に座った。


 机の上に顔を伏せて残りの生徒の名前を聞き流す。


 赤点だった数学の点数をカバーできるだけの高得点。


 総合点数で学年上位二十名とかには入れないけど、半分以上には入るはず。


 麗子に一矢報いるのは大切だけど、成績が学年上位半分以下になると、お小遣いを減らされたりと面倒なのよね。


 安堵して気が弛んだせいか、負けない勝負に自然と笑いがこみ上げてくる。


 いけない、いけない。


 アタシは残りの授業時間、笑わないように必死に耐え抜いた。



******



「樋口さん、先ほど返却された英語の試験結果はいかがでした?」


 アタシの予想通りに休み時間が始まると同時に麗子がアタシの席に近づいてきた。


 周りに他の生徒がいるためかやたら丁寧なお嬢様口調で喋る彼女の声に鳥肌が立つ。


 こんなときもいつも通り嫌みったらしい喋り方をしてもらいたいものだ。


「そういう菅原さんの方はどうだったの?」


 ニッコリといかにも強がりな作り笑いを演技して丁寧な口調で返す。


「私の方は……まあまあ、ですわね。さすがに今回の試験は難易度が高くて良い点は取れませんでしたの」


 ふぅ、と肩をすくめてみせる彼女。


 よくもそんな言葉が出てくるものだ。


 試験結果は訊ねなくても先ほどの試験を受け取ったときの態度で大まかに想像がつく。


 八割以上は確実にある。


「アタシは思ったように点が取れませんでしたよ。みんなが言っているように試験問題が難しかったから」


 慣れない言葉遣いに舌を噛みそうになるがここでばれてはいけない。


 まだまだ彼女のペースに付き合ってやらなければいけない。


「またまたご謙遜を。あ、そうですわ。互いに点数を見せ合いませんか?」


 麗子はさっと胸の前に解答用紙を持ってくる。ちゃんと点数の部分が透けないように手で隠す事を忘れない。


(よっしゃ! きたきたきた!)


 アタシは表面にでないように必死に堪える。机の陰で気づかれないように小さくガッツポーズ。


 アタシは机にしまっていた答案用紙を取り出して机の上に裏を向けで置く。


 ちゃんと点数部分に手を置き、表が透けて見えないようにする。


「では同時に見せることにいたしましょう」


 アタシの支度が終わったことを確認し、麗子が提案する。


 自信がなさそうな表情を作りながら、アタシは小さくうなずいて賛同する。


 アタシの様子をみて麗子の唇の端が笑っていたのを見逃さない。


 ここまでアタシが自信のなさそうな雰囲気を保っているので、麗子の中ではすでに勝敗が見えているのだろう。それがミスリードだったとしても。


「それでは――」


「いち、に、さん」

「いち、にの、さん」


 同時に答案用紙を裏返す。


 アタシの予想通りに彼女の点数は八割オーバーの八十八点。


 平均点が七割未満だということなのでかなりの高得点。


「なっ!」


 麗子の小さな絶叫。


 アタシの解答用紙を見つめてわなわなと震えている。


「どうかしたの? 菅原さん」


 ふん、と鼻を鳴らして訊ねてみる。


 彼女は点数を凝視したまま反応しない。


「き、九十……五点ですって……」


 かすれた彼女の呟き。


 アタシはますます気分がよくなってくる。


「そうなの。本当は満点の予定だったのよ。凡ミスで五点分も間違えてしまって」


 キッ! とアタシの方を睨んでくるが全然気にならない。


 何か口にしようとわなわなと体を震わせた麗子は、下唇を噛みながら姿勢を正す。


「……いい気になるんじゃない、ですわよ」


 妙にドスの利いた捨てゼリフを吐くとそのまま教室から走り去っていった。


 よほど悔しかったのか麗子の目には涙が溜まっていた。


 麗子の敗因はきわめてシンプルだ。


 アタシの得意科目が英語だという事を忘れていたこと。


「よっしゃー! アタシの大勝利~!」


 それはそれ、これはこれ。


 アタシはクラスメートの視線を気にせず、両手を挙げて勝利の余韻に浸るのだった。



******



「ただいま~」


「おかえりなさい」


 アタシが玄関をくぐるとなぜか妙な雰囲気の母が待っていた。


 笑顔なのに目が笑っていない。


「ど、どうしたの?」


 恐る恐る訊ねてみると母は無言で手を差し出してきた。


「なに?」


「試験の答案用紙、出しなさい」


 間髪入れずに返ってきた言葉。


 冷たい汗が頬をつたう。


 試験結果が出揃う日は母に巧妙に隠してきたはずなのに。


「さっき道端で出会った晶のクラスメートの菅原って上品そうな娘さんから聞いたのよ」


 いつの間にそんな情報を母に伝えることができたんだあのわがまま娘は。


 思わず奥歯を噛みしめて呪いの言葉を呟く。


 家から学校までは徒歩で十五分。


 先回りして母に試験結果が出揃ったことを伝える余裕はないはず――あっ!


 フッと思い出したのは彼女が運転手付きの高級そうな黒塗りの車で登校している朝の風景。


 車なら安全運転しても五分で着く。


「あんな良家のお嬢様みたいな娘さんが佳苗と同じクラスにいるなんて驚いたわ。で、母さんがいつも言っていることは覚えているわよね。学生の本分は勉強。アンタがどんな生活をしようと文句は言わない。でも試験だけは最低限の点数はとりなさい、と」


 母の静かなプレッシャー。


 逃げ場はない。


「……総合点数で学年上位半分には入ってる、はず。だから勉強をおろそかにしてるわけじゃ――」


「総合点数は総合点数。科目ごとの点数は別よ」


 即座に母がアタシの弁論を切り捨てる。


 下唇を無意識に噛みしめる。


 頭をフル回転させてみるがいい考えが浮かぶわけない。


 英語だけならば九十五点の文字が躍る解答用紙を自慢げに差し出すのだが。


 アタシが得意な科目は英語のみ。


 国語は平均点以上は取れている。


 問題は苦手科目の数学、赤点。


 続いて理系科目の赤点すれすれ。


 総合点数で試験結果を誤魔化すという、アタシの完璧な計画が……。


 異様に張りつめた空気の中で聞こえてきたのは、スマホの通知音。


 反射的にスマホをブレザーのポケットから取り出し、液晶画面を横目で確認する。


 SNSアプリが、知らないIDからDMが届いたこと伝えてくる。


 確認している間にも、ポンポンポン、と続けて通知が表示される。


 アタシの中で、確信できる何かがあった。


 母の視線を気にしながら、アタシは届いたDMを確認する。


『いい気になった愚かな自分に後悔なさい』

『因果応報ですわ』

『次は雪辱を果たして差し上げますわ』


 アタシは、IDのプロフィールを確認することなく、誰から送信されたのかがわかった。


 麗子だ。


 このタイミングでDMを送信してくるなんて、どこから監視してるのではないかと疑ってしまう。


 アタシは行き場のない怒りを胸に秘めたままただうな垂れるだけだった。



******



 当初の目論見から外れ、アタシのお小遣いは減額となった。


 英語の高得点をカードに交渉の結果、減額幅を抑えることに成功したが、当分は出費を控えなければいけない。


 そして、教訓がひとつ。


 菅原麗子を下手に挑発するするものじゃない、と。



拙い作品にもかかわらず、お読みいただきありがとうございました。

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