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ぼくが本を愛する理由

作者: 酒田青

 ぼくが幼稚園児のころ、父の実家に行くといつもはいないおばがいた。おばは地元の図書館で司書として働く無愛想な人で、ぼくは少し彼女を苦手としていた。髪を染めず、化粧もしていない。おばはとても地味な人だった。

 畳の敷き詰められたい草臭い居間の床で、ぼくは折り紙を始めた。両親と祖父母が賑やかに会話を始めたので退屈になってしまったのだ。犬の顔を折った。三角に折った折り紙用紙の角をちょっと折り曲げただけの茶色い紙にクレヨンで顔を書くだけの単純な犬だ。夢中になっていると、頭上から声がした。

「折り紙好きなんだ」

 驚いて顔を上げると、おばがにっこり笑ってそばに座っていた。滅多にないおばの笑顔に目を白黒させていると、

「ちょっと待って」

 とおばは居間を出ていってしまった。ぼくは呆然としていたが、おばはすぐに帰ってきた。一冊の大きな本を持っている。

「これ、折ってあげる」

 開かれたページには四角い単純な絵が整然と並んでいる。訳のわからない日本語ではない言葉が連なる。今ならわかるのだがこれはアメリカの折り紙の本で、おばのコレクションの一つだった。

 おばは戸惑うぼくを尻目に、茶色いぼくの紙を手に取りどんどん折っていく。鮮やかな手つきだった。できた小さなものを見て、ぼくは歓声を上げた。ダックスフントだ。極めてリアルな。

「ぼくも折りたい!」

 おばは嬉しそうに笑い、折り方を教えてくれた。不格好ながらダックスフントが一匹できると、両親が凄い凄いと褒めてくれた。祖父母は苦笑い。

「いい年して折り紙が好きなんですよ」

 と祖父が母に説明する。どうやらおばのことのようだ。おばはそれを完全に無視してぼくに兎を折ってくれた。これもまたリアル。座った兎が動き出しそうに見える。

「おばさん、この本ちょうだい!」

 ぼくはせがんだ。英語の本だが絵ばかりでぼくにも理解できた。ぼくは是非ともこの本がほしかった。

 おばはにっこり笑った。

「駄目」

「えっ、どうして?」

「この本高いのよ。薄いくせに二千円するし。おまけに洋書だから通販でしか買えないの。更に絶版。絶対駄目」

 意味がわからずぼくは涙目になった。目の前にあるものが手に入らないのが嫌な年頃だったのだ。おばは戸惑い、

「コピーしてあげるから」

 と言ってまた居間を出ていった。いじけたぼくを慰める祖父母。

「おばさんは本に関してはケチだから、諦めなさい」

 と祖母は優しく言う。子供のぼくに譲らせるのだから、祖母はおばの本への執着を熟知していたのだろう。今になってはぼくも諦めがつくのだが、このときはただ悔しかった。

「お待たせ」

 おばが来た。コピー用紙がファイルにまとめてある。そして一冊の本。

「この折り紙の本、あげるから許してね」

 おばが申し訳なさそうにくれたのは、機関車の折り紙の本だった。ぼくは機関車が大好きだったので舞い上がってお礼を言った。日本語だから読みやすい。母がお礼を言う。

「飽きちゃった本だからいいのよ」

 おばが答える。おばは飽きちゃった本は積極的にぼくにくれた。

 折り紙を媒介にして、おばとぼくは仲良くなった。折り紙はかなり難しいものだったし、おばは熟練していたからだ。時々コンプレックス折り紙という難易度の高い折り紙作品を折ってくれたが、サイやらチーターやらカブトムシやら、おばは惜しげもなくぼくにくれた。立体的な折り紙作品はぼくの宝物だった。

 小学生になると、ぼくの折り紙技術は一定のレベルに達し、今なら本を汚さないだろうからという理由で一人で折り紙の本を読めるようになった。それまではおばが大事な本を触らせてくれなかったのだ。ぼくは学校でペガサスを折って見せ、人気者になった。そのペガサスときたら羽根の一枚一枚がしっかりと折り込まれた最高傑作だったからだ。誰もがぼくにペガサスを注文した。このころは多くのクラスメイトの家にぼくの作品があったのではないだろうか。

 おばはこのころ、貸し出しノートなるものを用意して、ぼくに本を貸してくれるようになった。おばは児童文学のコレクターでもあるので、珍しく、また極めて楽しいファンタジーをぼく専用のカラーボックスに入れてくれていた。ぼくはおばの部屋に出入りするようになっていた。おばの部屋ときたら壁のほとんどが本棚で覆われていて、ぼくのカラーボックスがちっぽけで粗末なものに見えたものだ。おばは本棚の本に触らせてくれなかった。

「高い本とか、絶版で滅多に手に入らない本とかあるんだから」

 また同じ理由だった。おばは極めてケチだった。

 四年生のとき、ぼくはおばの部屋で「はてしない物語」に出会った。ミヒャエル・エンデの代表作。本の世界に入り込むというあの物語は、ぼくを夢中にさせた。函入りで布張りの大きな本は、ぼくのお気に入りになった。

「おばさんも読んだよね」

「うん。でもわたしは同じエンデの『鏡のなかの鏡』のほうが好きかな」

 そう言っておばは「鏡のなかの鏡」の文庫本を渡してくれた。本棚から出して。しばらく読んだがちんぷんかんぷんだった。

「まだ早いか」

 おばは笑った。どうやら大人向けの本らしい。

 おばは飽きちゃった本をどんどんぼくのカラーボックスに入れた。ぼくの貸し出しノートは小学校高学年になると三冊目に入っていたが、ぼくは限りある児童文学に別れを告げ、ミステリー小説に夢中になっていたので、記録はどんどん増えていった。カーやクリスティが好きなぼくは、やがてポーに出会い、ポーの詩も読んだ。こういう暗い雰囲気が好きなころだった。

 おばはどんどん飽きちゃった本をカラーボックスに入れた。小沼丹、久生十蘭、江戸川乱歩、尾崎翠。ぼくはどんどん読んだ。夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んでも発狂しなかったのをいぶかしんだり、梶井基次郎の「檸檬」を読んで果物を爆弾に見立てたのもこのころだ。ぼくは本が好きだった。おばの家に通うのは、学校の小さな図書室に通うより楽しかった。おばのいる市立図書館も利用したが、おばの部屋のカラーボックスのほうが面白かった。あるものを次々に読んでいたぼくは、与えられる虫を何でも食べる雛鳥だった。

 中学生になると、ぼくは古典を学ぶようになった。古文と漢文だ。おばには何も言っていないのに、おばは「新古今和歌集」と「枕草子」の文庫本をプレゼントしてくれた。ちゃんとカンニングできないよう、訳文がついていないプレーンなやつだ。ぼくは大いに感動し、それを読んだ。千年前の文学に、夢中になった。次に行くと「白楽天詩選」をくれた。漢文が好きになった。他は大したことがなかったが、国語のテストは点数がよかった。両親がおばさんみたいだと呆れる。

 しかし、ぼくは次第におばの家に行かなくなった。中学二年にもなるとつき合いがあったし、部活にもせいを出していた。ぼくはサッカー部だった。なかなか上手いプレーヤーだったので女の子にキャーキャー言われた。恋人ができた。本も読んだが自分で買った本だった。オールドミスのおばの元にしょっちゅう通うのは、年頃のぼくには何だか恥ずかしかった。祖父母に会う機会も減った。たまにおばに会っても気まずい空気が流れた。ぼくらの蜜月は終わりを告げたのだ。

 ぼくは今でも大量の本を読む。これはおばからもらった奇癖みたいなものだ。どうして本をこんなに読むのか聞かれるが、ぼくは返答に困る。恐らく小さなころから本を与えられ続けた人間のさだめだ。

 おばは最近結婚した。何でも同じく本好きの男性がお相手なんだそうだ。おばらしい。おばは引っ越してしまった。ぼくも大学の文学部に入るため、東京に行った。多分これからは親戚の集まりでしか会えない。寂しい、とは不思議と思わない。

 だってぼくはおばの奇癖を受け継いだ雛鳥だから。ぼくは本を読みながら人生を乗り越えていく。本。なくても生きていけるが人生をより豊かにしてくれるもの。

 しかしおばはぼくが生まれたときから絵本を贈っていたのだという。全く、用意周到にぼくを引き込もうと画策していたということだ。呆れながらもぼくは笑う。おばときたら、本当に本が好きなんだな、と。

 ぼくは思い出す。おばの部屋の壁を埋め尽くす本棚を。その部屋で夢想した本の中の世界を。中毒にされてしまったのだ。きっともう読書をやめることはできない。

《了》


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