美優登場
きっとアンパンマンのそれのように、その人その人に都合のいい、新しい顔に変えて、世の中は渡って行くべきなんだ。
それが、一番いい生き方なんだ。
そんなことは分かってる。
きっと浦島太郎のそれのような、絶対ダメだと言われたことをやるべきではないんだ。
それが、一番正しい生き方なんだ。
そんなことは知っている。
分かってるし、知っている。
なのに、それでも俺は理想とは逆を走った。
何故か。
それが、お前を救うために必要だから。
俺は暗闇にあるはずの光をただひたすらに追いかけていた。
その光は存在することすら証明されていない。
それでも、追いかけた。
「お前を信じてるからな。」
握った手のひらは温かく、ほんの少しだけ安心した。
「あぁ、もう時間か。また明日会いに来るから。」
ない返事にまだ慣れてない。
慣れたくもなくて、いつもはうるさいと感じてた勇輝の大声を無理矢理思い出した。
「さぁ、行くか。」
「ゆっくん……もうおきないのかなぁ…」
鞄を持って出て行こうとしている俺の後ろ姿に話しかけてきた。
それが誰の声なのかすぐに分かった。
振り返って見た美優の顔にはもうすでに尋常ではないほどの涙が溢れていた。
「なんで、なんでゆっくんがこんなことにならなくちゃいけないの……ゆっくん何もしてないのに……なにも…」
「みゆ……」
望む者などいない。
なのに、突然贈られてくるんだ。
避けようのないそのプレゼントは最低最悪の代物で、表しようもない絶望を抱かせてくる。
自分が持っていたその想いは、美優も持っていたんだ。
それを知って少し楽になった。
「美優だけじゃないよ。俺も思ってる。なんで……勇輝なんだって…勇輝の血が飛び散って顔にかかった時、頭がおかしくなりそうだった。なんとか救急車は呼んだけど、ずっと怖くて怖くて堪らなかった。今だって、何も話してくれない。俺、どうしたらいいんだよ……」
最初は、美優を励まそうと言葉を発した。
なのにいつの間にか、歯止めが効かなくなった。
心のダムが決壊して溜めてあった涙という水が、ドバドバ溢れていく。
事故の時から、ずっと背負っていた飛ばない風船が音を立てて破裂した。
「ごめんねぇ。ケンちゃんの方がずっと辛かったよね。なのに、まず、抱きしめて…あげればよかったね。ごめんね。ごめんね。」
幼馴染がこんなことになって、自分だって泣くほど辛いのに、俺を抱きしめて、何度も何度も美優は謝った。
俺は、謝らせてる自分がなんとも情けなくて。
それでも、支えててくれなくちゃ倒れちゃいそうで。
温かい美優の胸でただ泣いていた。
「ごめん……もう大丈夫。ちょっと…元気でた…」
「ほんと?大丈夫?」
「なぁ、ほんと…なんで勇希なんだろうな?誰でもいいなら…こんな目に逢うのは、俺でよかったのになぁ……俺だったら…誰も悲しまずに……」
「俺だったら…」その台詞の直後、間髪入れずに顔面にビンタが飛んできた。
「バチンッ」
猛烈で凄まじい、強烈でけたたましいその音が、病室だけでなく近くの廊下にまで、響きわたった。
「その先言ったら…ビンタするからね…」
「えっ…いや、もうされたって…えっ!?」
「悲しいに決まってるじゃん…ゆっくんだって私だって…みんなみんなケンちゃんがなってたら…悲しくないわけないよ…」
「悪かった…ごめん……」
「ううん。私もビンタしてごめんね。」
「やっぱ、自覚あったのかよ。」
「アハッ」
「ハハッ」
笑顔がぎこちない。
上手く笑えない理由は、お互い気づいてる。
笑ってるのに、お互い涙が溢れてくる。
ボロボロボロボロ。
みっともなくこぼれてくる。
「ハハハッ」
「アハハッ」
やっぱり、上手く笑えない。
笑った泣き顔はなんとも奇妙で気持ちが悪い。
次第に、笑い声が鼻を啜る音に負けていく。
啜る音が大きいんじゃない。
笑い声が小さいんだ。
あいつの笑い声はうるさかったな。
うるさかったのになぁ…
「そうだ。両親は?ゆっくんの。」
「あぁ。病院の外で、まだ気持ちを落ち着けてるよ。」
「そっか……」
場が静寂に包まれてく。
病院が静かなのはいいことだが、
少し寂しい。
少しすると、美優が、勇希の手を握って話し出した。
「ねぇゆっくん。起きたら、何か食べに行こっか。ゆっくんの好きだった……焼肉でしょ?しゃぶしゃぶでしょう?牛丼でしょう?あと…ステーキも行こう。……ハハッお肉ばっかりだ…。遊びにも行こうよ。遊園地でしょう?水族館でしょう?あぁ!動物園は嫌いだったっけ?でも、私行きたいなぁ。なんかデートみたいだね。そしたらあと…映画とかも行きたいね。私、観たいのあったんだ。ゆっくんが起きた時、まだやってればいいんだけど……。……………。
おかしいな……言葉が出て来ないや。私ね、言葉は完璧なものだと思ってた。でもこんな時、なんて言っていいのか全然わかんないや。言葉は不完全だね。だって私には…ゆっくんを起こせる魔法の言葉が出て来ないんだもん。」
勇希の手に、一粒一粒、涙が落ちていく。
話してる内容も言ってる時の表情も、声の大きさや喋り方も全部違うのに、何故か、さっきの自分にダブって見えた。
勇希に起きてほしい。
その気持ちだけは同じだったからかもしれない。
「美優、そろそろ行こう。親も来る。」
「うん…」
病室の戸を静かに閉めると突き当たりまで真っ直ぐ進んだ。
美優とは、そこで別れた。
美優は右に俺は左に進むと、俺は勇希の両親に挨拶しようと、入って来た時と違うドアから出た。
そこに、勇希の両親が立っていた。
正直、怖くはあった。
近くにいた自分がもっとしっかりしてればと言われると思ってた。
でも、そんなことは少しもなかった。
親なんて、きっと一番辛いはずなのに、むしろ俺を気遣ってくれた。
最後に頭を下げて俺は一人、静かに家へ帰った。