009話
狼は巨体を揺らして唸っていた。体の三分の二は血で濡れ、乾いたところは焦げ茶色に変色していた。体を覆う明るい青緑の体毛はほとんど見ることができない。特に下半身は潰れ酷い有様であった。
「魔物とは言え、このような状態では辛いでしょう。一撃で仕留めます」
ノルンは矢を番えた。この距離なら眉間を外すことなく一撃でその命を奪い取るだろう。
「待って」
アリスが止めに入った。
「どうしたんだ?こんなふうに辛そうにしているのだから楽にしてやったほうがいいだろ」
「いえ、なんでもないです」
しゅん、と項垂れた。
目を少し離したすきの出来事だった。矢は頭蓋を貫き、脳髄を破壊せしめ、狼は力なくその場に伏した。
「見たところ、先日の猪の魔物にやられたようですね。相性が良くなかったのでしょう」
「ねえっ! このウィンドウルフの素材は私たちがもらってもいい?」
アリスがこのような申し出をするとは思わなかった。
「いえ、どうでしょうか。長に聞いてみないことには」
「私から頼んでみるから」
アリスに言われてホルンも困っているようだ。精霊を進行しているようなので、願いを無碍にすることに抵抗があるのだろう。しかし、どうしてアリスが魔物の素材を欲しがったのか。
「僕からも報告させてもらいますけど、交渉は直々に行ってくださいね」
ホルンは押し切られた形となった。
アリスは巨狼の亡骸へと近づき、手を添えた。暫くすると、淡い燐光が周囲を漂いだし、巨狼は姿を消した。残ったのは大きな四対の牙。そして十本の巨大な爪。青緑の体毛を残した皮だった。そして多大な倦怠感が私の身体を蝕む。気持ち悪すぎる。吐き気はないが、立っていることが億劫になるほどに。
「肉体などは魔力素まで分解しました」
アリスが大事なことを言っている気がするが、それどころではない。脂汗というか、腹痛の第二波程度のきつさである。
「次郎? すみません、魔力を使わせてもらいました」
そういうわけね。とてもきついので事前に話して欲しかった。
とりあえず、なんかして分解したというのはわかった。皮だけ残されて肉体なんかがあっても困るしな。
「次郎は防御力が低そうですからね。この皮を被っていてください」
アリスに言われるまでもなく、防御の問題は承知している。かなり大きなものだと感じていたが、手にとって被ってみればあら不思議。膝下まであるローブの出来上がり。一体どんな原理なのだろうか。
「得意? の空間魔法です。体格に合わせて伸縮自在ですよ。しかも、どうやら風の妖精の加護がついているようですね」
「それはいいものですね」
なんでのんびりしているのか。というか、先ほどの倦怠感は既にない。
ローブとしてありがたく頂いておく。しかし、ローブと一緒になにかモフモフした丸っこい生物がついてきた。
「なんだこれ」
持ち上げると、アー、と大きな欠伸をした。大きさ、そしてあの巨狼の近くにいたから間違いない。あの巨狼の子供だろう。
「ウィンドウルフの幼体ですね」
ノルンのその目は問うている。どうするのか、と。紛いなりにも魔物である。成獣となれば村を襲うこともあるだろう。かといって、この幼さである。一匹で生きていくには自然は厳しすぎる。可哀想な話ではあるが、ここで殺しておくことが良いのだろう。厳にノルンはその思いであろう。
「次郎、私はこのウィンドウルフを殺すことには反対です。生きようとしています。それを奪うなど、神ですら恐れ多い。これの親もそれを望んでいました。私たちでとうにかできないでしょうか」
周りにはこのウィンドウルフの兄弟姉妹であろう亡骸が三つあった。それを見て、私はこのウィンドウルフを殺すことなんてできなかった。
「アリス、このウィンドウルフたちも親のようにしてあげられないか? このままだと寒そうだ」
「そうですね。……また少し疲れてしまうかもしれませんがいいですか?」
それくらいならいいだろう。手に持っていた子狼を下ろし、その兄弟姉妹を一箇所に集める。手はウィンドウルフの血に濡れてしまったが、構わなかった。どれも冷たかった。
集めていると、子狼は近寄ってペロペロと顔を舐めていた。一匹一匹丁寧に。にーにー、という哀しそうに鳴いた。私はそれを見ていることしかできなかった。
アリスに呼ばれるまでそれを見ていた。
「すまない」
私はいつまでも舐め続ける子狼抱き上げた。じたばたと暴れる。もう会えないとわかっているのかもしれない。ただ、邪魔されて嫌だったのかもしれない。私にはわからない。わからないけど、その姿は見ていてとても痛々しかった。私の腕の露出しているところは爪で引っ掻かれたりしてちょっと血が出てる。
アリスは一匹一匹魔力素というものに分解していったようだった。亡骸がなくなると、暴れていた孤狼がおとなしくなった。クーン、と何度か鳴いたあとは私の腕の中でぐったりとした。
「次郎、これはあのウィンドウルフの魔力結晶です」
そう言って渡されたのはピジョンブラッドに燃える真紅の宝石だった。
「魔物は体内に魔力結晶というものを持っています。いろいろ有効活用されているようで、高値で取引されているようですよ」
ホルンからの情報だったが、私はあまり売る気にはなれなかった。
村に戻ると、薬草を腕につけてもらい、魔法をかけてもらった。ほとんど綺麗になってしまい、魔法とはどれほど万能なのかと思ってしまった。
「どうします、このウィンドウルフ」
「村じゃ、育ててくれないだろうな。魔物と言っていたし」
となれば私たちが育てるくらいしかないだろう。
グランさんに話すと、やはり買ってはくれないそうだ。魔獣というものはあまり人にはなつかないそうだ。しかし、私のこのローブ。子狼の親の毛皮であることと、小さな幼体であることから懐く可能性もあるのではないかと言われた。魔力結晶についても述べたが、猪の魔物の魔力結晶を手に入れているからいいということだった。自分たちもある程度魔法が使えるため、あまりそういったものを使わないそうだ。
そして、次の日に旅立つことを告げた。
子狼は足元で魔物の肉を頬張っている。私たちも魔物の肉をつかった料理に舌鼓を売っている。
魔物の肉というのは非常に美味しいらしい。肉自体にも少量ながら魔力素が含まれており、失った魔力素を回復することもできるそうだ。食事や時間経過で魔力素を回復することはできるが、こういった魔力素を多く含む食べ物を摂取することも魔力素を多く回復させるのに役立つらしい。食べてみると、確かに疲労した体から疲れが取れていっているように感じられる。
足元で子狼がまだ欲しいと鳴くので、いくつか都合をつけてもらった。
「聞いたよ、明日出るんだって?」
「ああ。ティアさんにもお世話になりました」
「改まられるとなんか変な感じだな。それよりも、魔物を飼うなんて物好きだね」
エールのジョッキを二つ持ってティアさんが空いている椅子に座った。ティアさんも最初はちょっと男勝りな感じでとっつきにくいかなと思ったが、今ではなんてことはない。
「成り行き上しかたがなかったんだ」
「なんにせよ、エールでもがぶがぶ飲んで明日に備えなよ」
「そうさせてもらう。あと、グランさんには言ってあるんだけど、この狼の食事も含めて日の持ちそうな肉とか分けてもらえるらしいんだ。朝ここで受け取ればいいのかな」
「確認しとくよ」
「ありがとう」
にやりと笑ってエールを煽るのを見た。本当においしそうに飲む。
「ところで、名前は決めたのか?」
「ん、まだだよ」
「こういうのはさっさと決めたほうがいいぞ」
「アリスは何かいい名前の候補はあるか?」
トマトと格闘した。どんだけトマトが好きなんだろうか。あの赤さだろうか。
「えーっとですね、躾をする次郎が考えるべきです」
「あー、ん?」
「精霊様、あんまりジロウをからかっちゃダメですよ。見ての通りのちきんですからね。一生を左右するような名前を付けるなんて大それたこと、こいつには荷が重すぎるってもんですよ」
「それは言いすぎだろ」
すでに酔っ払っているのか。
いや、だが名前なんてのはずっとついてまわってくる。適当に決めていいものだろうか。私の名前なんて次郎だからな。次男で次郎、そのままじゃないかと思った。そんな思いをさせてよいのか、そもそもそこまで考えることができるのか?
「決めました」
「ちなみに、この子は女の子ですから」
「もう少し時間をください」
三郎とかにしてやろうかと思ったんだけど、それはちょっとまずそうだ。そもそも女の子。どんな名前にすればいいというのか。日本的な名前がいいのだろうか? 日本的なのはやめよう。目立つような気がする。魔物だっていうのでも目立つ存在なのだからもうお淑やかな感じで。
「うーん、レーレというのはどうだろうか」
途端に話が途絶えた。なんか誰か喋って欲しい。周りの喧騒だけがやけに大きく聞こえる。
「私はいいと思うけどな」
「レーレですか。うーんっと安直なような気もしますし、それって合ってるのでしょうか? 語呂はまあいいと思いますが」
よしよし、これでウィンドウルフの名前は決まった。
足元の子狼を目の高さまで持ち上げた。
「これからレーレって名前だからな。レーレ」
よくわかってなさそうな顔でこちらを見たあと、ペロリと顔を舐めてきた。すごく生臭い。生肉食ってるわけだからな。顔はレーレの唾液まみれになっているので、顔を洗いたい気分になった。
「まぁまぁレーレのしたことですから」
「そうそう。なんだいい面構えになったじゃないか」
他人事だからって。いやいや、私は大人だ。大人気ないことなぞしない。
顔を洗ってくることを告げて出ていった。
帰ってくると、私の更に載せられていた肉がなくなったいた。
「おい」
「レーレが食べてた」
「レーレ、お前は俺の肉を食べたのか?」
よくわからないとばかりに首をかしげる。まだ生肉も残っている状況で流石にそれはないと思った。
「ティアさん、嘘は良くないと思うのですよ」
「記憶にございません」
「俺の肉返せぇぇぇええ!」
その声に反応したのかレーレが生肉を加えてやってきた。ありがとう。でも、私はあまり生肉は食べたくないんだ。
「食事中ですよ、静かにしてもらえます?」
こいつはこいつで飽きもせずトマトを食べてるし。どこにそんな量が入っていってるんだ。
「私たちや一部の魔物なんかは摂取したものをそのまま魔力素に分解して吸収していますので太ることはないんですよ!」
さらっとすごいことを述べた。
つまり、食事なんてのは二次的なものだとおっしゃった。魔力素を取るためだけと。
少なくともアリスの食事は今後道端に生えている草なんかで大丈夫だろう。
「草なんか食べるものじゃないから!」
聞こえません。
「ちょー!」
まだ暗いうちに起き出し、身支度をする。
レーレは自身の毛皮と同じ色をしたローブに包まって寝ている。私のベッドで。そこが安心できるのか、そこから出ようとはしなかった。だが、心を鬼とし接しなければならないだろう。私だって他人の睡眠を邪魔なんぞしたくはないのだ。
結論から言うとたたき起こしてやった。躾は大事だと聞いたからな。
降りると、ホルンとノルンがいた。
「これに食料と魔物の素材が入っているから。食料は日持ちするように乾物か主になっているけど大丈夫だよね」
リュックのような背負袋がパンパンだった。
「何から何までありがとうございます」
「それは長に言ってくれ。なんだか忙しいそうだったけど、祭りの最中だから広場に行ったら居るんじゃないか?」
「そうか」
話通り、広場にはグランさんがいた。
グランさんにはいろいろ村で都合をつけてもらった。恩返しもできなかったのが心残りではある。
「上質な紙も寄付していただきましたし、持ちつ持たれつですよ」
笑顔で別れの挨拶ができたと思う。
ホルンとノルンにと共に、村の入口までやってきた。
「気をつけて」
「ありがとう」
握手を交わした。
「ジロウ、ついでにこれも持って行きなさい」
現れたのはティアさんだった。
「黒曜石に妖精の羽をあしらった物だからそこそこ使えると思う」
「ティアさんもありがとう」
「おう、まあなんだ。死ぬなよ」
「この前の魔物みたいなのが出たらきついな」
「おい」
「じゃ、またどこかで」
ティアさん、ホルンとノルンは見えなくなるまで手を振ってくれたみたいだ。
足元でレーレがくるくる私の周りを回っている。
でも、楽しかった。
こっちに来てから人のつながりってのを改めて感じることができた。
えっと、次はこのまままっすぐ行けば一週間くらいでつくんだっけ?食料がもつか心配だ。
仲間が増えました。
ウィンドウルフの名前変えました
リィリ → レーレ