004話
今や私の心の中には暗雲が立ち込め、人智の及ばない様相を呈している。そもそも私がなぜこのような徒歩行軍のようなことをしなければならないのか。その事について神とやらがいるならば小一時間問い詰めたいものである。
「ジロウ、もう柿はいらないのですか?」
と、この有様である。
アリスという本の精霊だか疫病神だかに集られて私の蔵書はこの子の腹の中に納められてしまったのだった。もちろん、取り出しは可能である。でなければ私の内蔵が煮えくり返り、その熱でこの身を焦がしていたであろう。
「持てない以上は仕方あるまい」
そうは言うが、これからどれだけ食料が確保できるか不確かである以上持てるだけは持ってきている。そもそもアリスはどうして私の胸ポケットにいるのだろうか。別段重さというものは感じないが私だけ肉体を行使しているということには納得いかない。
静かだと見てみると、先程まで騒がしかったかと思えばこの瞬間には寝てしまっている。
歩いて4時間は経っている。
ただ歩くというだけでも苦痛だ。
「聞いていなかったが、アリス以外にも精霊とか妖精っているんだよな」
「そうですよー」
今は空中に浮かんで私と並走?している。
「あれ?もしかして見えていません?」
何を言っているのか。怪しい電波を受信でもしているのか。
「私は見えますよね」
「見えないものに話しかける趣味は無いな」
「ではまだ感覚が合ってないだけかもしれませんね」
という言葉とともに額を打ち抜かれて派手にこけてしまった。別段痛くはないけども。原因は一つしか思い浮かばないのでソレを改めて見る。
「言いたいことは?」
「まだ見えませんか?」
何を、と言ったところで異変に気づく。
世界が色付いたように見えた。もちろん比喩である。
アリスよりは一回り小さい小人がそこら中にいたのだ。主に緑系統、黄色系統の服を着て髪の色もそれに近い。唯一共通するのは羽が向こう側が透けて見えるくらい透明度が高い事だろうか。
手をついた付近にいた小人の首付近を捕まえて持ち上げると、じたばたと暴れているようである。声はしない。
「それが妖精ですよ」
ころころと笑いながら説明してくれる。
「何と言っているんだ?」
「妖精は総じてあまり知能は高くないので聞き取りにくのですが。
えーっと。離せコノヤロー、とか言ってますね」
発声器官はあるらしい。私に聞こえないということは、人間が感じ取れる領域の波数ではないのだろうか。
手を離すとふらふらと漂いながらどこかへ行ってしまった。
臀部についた砂やらを叩き落として立ち上がる。
「妖精というものはこんなにたくさんいるものなのだな」
「精霊に比べればたくさんいますよ。
私達はレアですから。希少価値が高いんですよ」
生、と。
そんな冗談はさて置き、日も沈み始めたので寝床を確保しなければならないと思う。
アリスなんかは空中に漂って置けるため問題なんぞなさそうであるが、私に関しては問題がある。こちらに来てから動物というものに会っていないが、いないわけがない。それこそ野犬やら熊やらが現れたらどうしろというのだ。
「アリスー、この辺りで寝ても大丈夫そうなところはないか?主に動物から襲われなさそうな」
「そうですねー」
少し考えているような振りをして、近くにいる妖精に話しかけた。
「この人が襲われなさそうな安全な場所はないですか?」
一方的にアリスが話しているだけのように思えるが、意思の疎通は出来ているのだろう。お互いに口は動いている。
「何かくれたら考えるって言ってますよ」
「なら柿でどうだろうか」
柿を一つ取り出す。
と、妖精の顔が輝いた気がした。
「この妖精たちが守ってくれるって」
ほう。アリスよりは役に立つな。
以前までの生活では考えられないことだが、今では日が沈むと就寝するようになってしまった。肉体的疲労というのは、何事にも代え難い睡眠欲を発揮してくれる。だが日没から日の出までのその間ずっと寝ていられるかというとそうではない。布団をかぶらなくても寒くはないので冬ではないだろう、季節があるかどうかはわからないけども。
十九時から翌日の五時までの十時間の睡眠は、現代社会に飲まれていた存在としてさすがに許容できるものではなかった。端的に言うと夜中に目が覚めてしまったのである。
辺りは暗いはずなのである。
妖精がいなければ。
彼らは微発光しており、その色合いは個体毎に異なる。一体一体はそれほどでもないにしろ、こう数が多くては眩しいと言って差し支えなかろう。
私の鞄にポツンんと座ってハードカバーの本を開いて覗き込んで着る姿は、微光と相まっていっそ神々しくさえある。そもそも人間ではないのだからそれもそうだと納得に至るのにそう時間はかからなかった。
「起こしてしまいましたか」
と詫びれる素振りもないのに怒りは出てこない。
「これだけ明るかったらな」
昨日までは気づきもしなかったから問題なかったが、実際に目にしてみると夜でも明るい。そして目に優しくなさそうでもある。
私の目は自然と彼女の持っている本にいく。
「これですか?
すみません、勝手に出して読んでます」
「気にすることはない。
量子力学、豪く難解な本を読んでいるが、理解できるのか?」
「えへへ。
ほとんどわからないです」
それでいいのか本の精霊。
「でも、こうして書かれているものを読んだり、新しい本の香り、古い本の香りを感じ取れるのがすごく好きなんです」
はにかむ様に、照れるようにしてこちらに向ける顔のなんと純粋無垢なことか。
先ほどの思考は撤回する。彼女にこそ、本の虫に相応しい。
「好きなだけ読んでいい。
俺は寝る」
そんな顔をいつまでも見ることなんてできない。
反対側を向いて目を閉じると、何を考える間もなく思考の海というべきか睡眠と呼ぶべきか、そのようなものにのまれてしまった。
頬に何か当たる感じがして目を覚ましてみれば、目の前にはアリスがいた。
ふっ、と息を吹きかければこの葉のように飛んでいってしまった。また瞼を閉じる。
今度は前頭部に衝撃を受け目を覚ます。
「そろそろ朝ですよー」
空が群青から黄色へと綺麗なグラデーションを作っているのが目に入る。一瞬目を閉じた後に手足を伸ばして体を起こす。バキバキと音がなりそうなくらい凝り固まっていた体を動かす。
腕時計ではまだ五時半にもなっていない。
まだ少し瞼が重たいが、荷物から柿を二つ取り出して一つをアリスにわたす。
「ありがとうございます」
きちんとお礼を言えるということはいいことである。そもそもこの柿もアリスが場所を教えてくれたから得ることができたものではあるが、小さい事である。
もしゃもしゃとものの5分で下記を食べ終えると立ち上がる。
アリスははまだ三分の一も食べてはいない。腹が膨れたようには見えないから食べたそばから柿を消化しているのだろうか。などと考えるのは眠たいからにほかならない。
「十分堪能しました」
などと言って残った柿を私の手に押し付けられてしまったので美味しく頂いた。
柿の種をぷっと吐き出したら、それを汚い物かのように真剣に避けていたのが若干面白かった。直後に右頬に衝撃を受けた。
この日もさして筆頭すべきことがないほど歩いてばかりだった。
昨日と同じように寝て、そして明け方に起こされた。
それまでと違っていたのは目の前に人がいるからに他ならない。
しかも、矢みたいなのを弓に番えてこちらを見ている。金髪碧眼、着ているものはあまり宜しくないであろうモノ。年の頃は私よりも若そうである。勝気そうなつり目で、こちらを睨んでいる。
「荷物を置いて手を上げろ」
英語が苦手といえどもそれくらいの言葉はわかる。もちろん、言われているのは私だ。
「怪しい者ではない」
一度は言ってみたかったんだ。
アリスは胸ポケットで未だに寝ているし役に立つわけがない。
「人か。ここで何をしている」
何って、何をしているんだろう。息しています、なんて言って好転するなんてことはなさそうだ。
「旅の者ですが、道に迷ってしまいまして……」
なんて、スピード超過で捕まった時にトイレに行きたくて……というような言い訳をしてしまった。さすがにこのような嘘は良くないよな、と思って顔を上げてみれば難しい顔をした人がいるわけである。
「うるさいですよー」
なんて胸ポケットで目が覚めたばかりのアリスが曰う。
この状況でよく寝ていられるな。
「えーっと、どういう状況?」
可愛らしく顔を傾げるけども、一言申したい。
「精霊様……?」
様付けとな。私の量子こんぴーたを凌駕する頭脳がフル回転をし、出てきた答え、
「魔法的な何かでこの地に飛ばされてきて大変な目にあっているのです。それからこの虫……精霊と一緒に旅をいます。食べ物も心許なく、ほとほと困り果てているのです。よろしければ助けてはいただけないでしょうか?」
アリスが怪訝な顔をしているが、やむを得ない状況故協力してもらいたいものだ。アイコンタクトをとる。通じているのかどうかわからないが、頷いてはくれている。
「そ、そうです。私達はすごく困っているので助けてもらえたらなぁ、なんて」
最後は消え入りそうな感じで、こちらの顔を伺っている。しかし、その説明はばっちぐーだ。
見よ、目の前の人の不憫そうな目を。
「害意があるとは思えませんね。
最近このあたりに魔獣が出没していますので、よければ集落まで来ますか?」
こちらに好条件を出してくれる。それもむし、いや精霊様様と言うべきだろうか。私の事は胡散臭そうに見ているのにアリスを見る目はどうも普通じゃない。ロリコンかもしくは信仰的なものかそれとも別の何。ともあれその好意を無下にするなんていう選択肢は端からないので謹んで受けます。
既に弓は下げられており、こっちだ、と歩いていく。
どうやらその集落とやらに案内してくれるらしい。もしかしたら食べ物をもらえるかもしれない、とうのは都合が良すぎるか。しかし、この柿と何かしら物々交換できれば御の字だ。
しばらく歩くと、幅三m程の道に出た。コンクリートなどで舗装されているわけでもないが、そこだけ地面が露出してほぼ平坦であった。さらに歩くこと一時間。どこまであるくのかと思っていたら開けた場所に出た。明らかに人の手が入っており、まだ歩いたところに柵が立っている。
「ここだ。少し待っていろ」
ええここまで来たら少しの時間であれば待つことができる。流石に二、三時間も待て、と言われたならばその場限りではないだろう。
門番と思わしき男が集落への入口にいる。その男も案内してくれた人同様に金髪である。金髪といえば、研究室の特任助教がカナダの人で金髪だったな、と思い出した。
「付いてきてもらおう」
と言われてその後を付いていく。
「何だか異様に見られている気がする」
言わずにはいられなかった。それほどまでに見られている。
あそこのお母さんなんて、見ちゃいけません、って子供に言っている。きっとそうだろう。
「度々済まないが、ここで待っていてもらえるか」
もちろんですとも。こんなアウェイで逆らうようなことはしません。
数分の後に中から声がした。その声に従って入っていく。
建物の外見は木造であったが、石造りであるようだった。中は広く、床は木製。壁は石造り。強固ではあるように感じられる。
他の建物も石造りや木造であったりとしたが、この建物が一番立派のように感じた。
「こっちだ」
その声に従って歩き、部屋に入る。
中にはこれまた金髪碧眼の男性が立っていた。
「ようこそ、客人」
その声は少年の声のようにも聞こえて、実際の年齢はわからなかった。
題名変わりました。
もしかしたらまたかわるかもです。