023話
「レーレ、手加減してな。手加減しないと本当に大変なことになるからな!」
「ううー、手加減って難しいね!」
「ほ、ほら。そんな者持ち上げちゃダメだから! ポイっしなさい」
「わかった!」
投げられた人には気の毒だ。だがそれも自業自得だというものであろう。
「それにしても」アリスは目を回している冒険者風の男たちを見た。「いきなり襲ってくるなど、どういう教育を受けてきたのでしょうね」
「そういうなって。きっと生きるのに必死なんだろうよ」
「これだけ肥えているのに、ですか? 冗談は体格だけにしてもらいたいですね」
アリスは辛辣に批判すると、次郎の外套に付随しているフードに潜っていった。
帰りの道中にすれ違った男達に次郎達は襲われた、ただそれだけのことだった。すれ違って数分経った頃にいきなり襲ってきた。レーレとアリスははじめから気がついていた。だが、特に次郎に言うことはなかった。
レーレを人質にして交換条件を出そうと思っていた男たちは、レーレを捕まえたところで行動がほぼ成功したと安心しきっていた。レーレが掴んでいた男を投げ飛ばし、次郎の傍に寄ろうとしたところ他の男に掴まれそうになった。次の瞬間には男は腹部に衝撃を受けて昏倒していた。ほう一人の男は呆気にとられている間にレーレに持ち上げられていた。可愛い女の子だと思っていた人物に腕一本で持ち上げられるというのは考えられなくはないが、目の当たりにすれば恐怖しかなかった。
「もう一人、森の中に隠れてるけどどうする?」と次郎に投げかけた。
「うん、ほっといてあげようね。レーレも無闇矢鱈と暴力を振るっちゃいけないよ」と優しく声をかけた。「んんっ!! あー、こいつらこのままにしておくが、また襲ってきたら今度は手加減ができないかもしれないなー! それに私たちを訴えようものならきっと不幸な事故に遭遇すると思うんだ!」木々の生い茂る林に向かって次郎は叫んだ。がさがさと不自然に茂みが動いた。
「これで多分、大丈夫だろう。レーレの力も見てるだろうし。そうそう前みたいに訴えられることはないだろう。まぁ、そうなったら本当に不幸な事故に遭ってもらおうとは思ってるけど」
「次郎はしれっと怖いこと言いますね」アリスは感心した。
次郎の人の良さというのはここ2年ほどの行動で身にしみていただけに少し意外な言葉であった。
「前に痛い授業料を払ったからな。全員が全員悪い奴とは言わないけど、少なからず話の通じないやつなんてのは存在するんだ。日本と同じように考えていたらこっちがバカを見るってことだな」
「日本というのはよほど住みよいところだったのですね」
「ところが、そうでもないんだよな。犯罪はここよりは少ないだろうけど、自分で死ぬことを選ぶ人なんて最低でも年30000人はいたからな。この世界じゃ考えられないことだろうけど」
「そうですね、自ら死を選ぶ。そういったのは私にはわかりませんが、あまり住みよい世界だとは思えないですね」首をかしげた。
アリスは日本というのが世界の中でもあまり大きくない島国で、人口が1億人を超えるということを知らなかった。また、この国の人口のことも把握しておらずあまり対比することができなかったで、それがどのくらいの規模なのか理解することができなかった。
それ以上に、精霊というのは長い時間を行き、死という概念が曖昧であるのでその感情というのも理解しがたい事であった。
「だろ。ってレーレあまり急ぐな」
「ご飯がわたしを待ってる。早く行かないと」
「腹が減ったわけか。そんなに急ぐと転ぶぞ」
「レーレが転ぶようなところであれば、次郎が走ることができないような過酷な場所だと思いますよ」
なるほど、次郎は思い至った。
次郎達は組合を通してサラマンダーを売った。思いのほかいい値段で売れたので、食堂で食事となった。
「それでもいい値段で売れましたね」
「ああ。まぁ一週間もしないうちに使い切ってしまうような金額だったけどな。主に食費で」次郎は美味しそうに肉を頬張るレーレをみてやった。「それでも、レーレが人型になってくれたおかげで、今度こそ! 宿をとることができるな!」
「次郎、そんな大声で恥ずかしくないですか?」
「あ、うん……」
少し頬を染めて次郎は椅子に座り直した。一人だけ熱くなりすぎると、冷めた時にひどく恥ずかしい思いをする、それを現在進行形で味わっていた。
「ごほん、それでこれからのことなんだが、とりあえず宿をとって寝ようと思う」
アリスは興味ないといった風を装ってはいたが、どことなくそわそわしていたところにこの発言である。
「それっておかしくない?」
「何を言うか、今日も一日労働を終えたのだぞ。のんびりしても罰は当たらんよ」
「そういう問題ではなくてですね、レーレも言ってあげなさい」
「わたしはねー、お腹いっぱい食べたい」
「うん、そうだよな。明日に向けて英気を養い、労働に励めばいい飯が食べられる。それが世の常だ!」
「うん!」
「わかったわ。でも、もう一度組合に顔を出して、それからにしませんか? 良さそうな以来があるかもしれませんし」
「特にこれといったのはないな」
依頼は同じような害獣の駆除。それと肉体労働が大部分を占めている。
「肉体労働する? 領主の屋敷を囲む城壁の修繕なんか俺の魔法が活かせると思うけど。1 tの石でもきっと軽々持てる気がするんだ」
「ナンセンスです! やはり肉体労働ではなく頭脳労働をすべきではないでしょうか、私の能力的に考えて!」
「アリスの能力ってなんだよ。それよりも、俺たちのランクだとそこまで重要な仕事なんてないからな。それこそ指名か何か…」「それです! 隣のボードには自身等の個人団体のアピールをしているではありませんか。私達もここに載せるんですよ! 例えば、そうですね。精霊契約者、次郎率いる坂本組! とかどうです!?」
アリスが一生懸命になればなるほど次郎は冷めていった。
「というか、アリスはなんでそんなに働きたいんだ? いやいいんだけどさ」
「そ、それは私を含めレーレ、次郎にも文化的な生活を送って欲しいんですよ!」
「目が泳いでいるぞ! 本を買いたいとかって……。本当にそうなのか?」
アリスはわかりやすいほどに目をそらして口笛を吹いていた。
次郎はため息をついて、受付で話をした。
ボードには一定の大きさの羊皮紙を購入し、そこにアピールポイントとランク、個人か団体名を記入することになる。それを職員に預け、適正であると判断されれば職員の手で貼られることとなる。
組合というのは何も冒険者だけが来るところではない。依頼主も頻繁にここを訪れるし、一般人も仕事の斡旋所として使用している。
3人?で話し合い、無難な内容にまとめた羊皮紙を提出した。
「なんだか、恥ずかしいな」
「そうですか? もう少し、私こと精霊様を全面に押し出すべきではなかったでしょうか?」難しい顔でアリスはつぶやいた。
「いやいや、それならレーレの可愛らしさをだな」
すでに掲載されたあとにもかかわらずアリスと次郎は持論を展開していた。アリスは自分を、次郎はレーレを。実際にはアリスが言うように精霊がいるということを主張するほうが印象としては強い。なんせ精霊契約者の数は多くはない。また、国内での精霊契約者は戦時において強力であったこともあり、戦力として期待されることが多い。
国で最も有名なのは宰相だろう。火の精霊と精霊の中ではいたってポピュラーではあるが、本人の魔法資質が火ということも相まって非常に強力な魔法を行使することができる。また大魔導師の名も冠し、魔術にも通じている。魔法、魔術を高度に修めた者は魔導師と呼ばれる。彼の政策もあり、国で精霊契約者は特に融通される。
暫くして次郎達は無駄な労力だということを悟り、そそくさと組合を出た。
日はゆるゆると落ち始めていた。
「わたしはそとでもいいよ」
「レーレはそんな心配しなくていいんだ」次郎は思わず目頭を抑えそうになった。
「でも、ごはん……」
「みなまで言うな、今から食べに行こうとも。ああ!」
「はいはい、明日は早いですからね。ちゃんと起きてくださいよね。
それと、ランプがほしいですね。油もいいですが、やはり魔力結晶か鉱石使ったものがいいですね。煤が出ませんし。でも高いのでしょうか」
「今日は大人しく宿で借りればいいだろ。大体、暗くなったら寝ればいいじゃないか」
「甘いですね、メープルシロップのように甘甘です。 私がどれだけ」
「はいはい。お金に余裕があれば、ということで。今日はさっさと寝るぞー」
次郎の掛け声でレーレとアリスから気の抜けた返事が返ってきた。やる気のない声だ。
「おっし、飲みに行くか」
「わたしは肉がいい」
「こんなことをしてるとお金たまりませんよ」
アリスの言うことはもっともである。だが、一日の自分へのご褒美がなければ人間なんていうのは明日への活力が湧いてこない存在なのだ。次郎はそう自分に対して言い訳を考えながら足を食堂へと向けた。
「飲めるときに飲む、それが大事なんだ」
宿へ行けばあとは寝るだけである。それならば酔う以外に選択肢はない。次郎はその宣言通りにエールを注文し、飲んだ。アリスは普通の人には見ることができないし、レーレに至っては下手に手を出せば、手を出した人が大変なことになるが、そこは自業自得だと考えてもらえばいいだろう。そういった中で一番問題となるのが次郎である。防御力に関しても普通の人同然である次郎は泥酔した状態ならば子供でも打ち破ることができる存在であろう。そこはアリスが活躍してくれると信じているからこそアルコールを煽るのだ。
「生きてるって素晴らしい!」次郎はジョッキを片手に叫んだ。
「肉うまい!」
「そこまでテンション上げなくても……。それならいっそ、エタノールだけでももって行動します?」
「ん? 蒸留酒か。それもいいなぁ。っていうか、蒸留酒とかあるのかな?」
「消毒としてエタノールが使われるとか言ってませんでしたっけ?」
「そういえば……」とアクロイドが言っていたことを思い出した。「薬草も成分をエタノールから抽出するとか言ってたっけ? あと、茸から毒成分を抽出するとかも。でも、俺たちは見たことがないよな。特別な注文とかになるのかな?」
次郎はエールを追加で注文しながら考えた。
大学であれば低濃度のアルコール飲料からほぼアルコールをとりだすことは簡単だ。それこそ個人で使う分には問題ないくらいだ。ただ、商用ベースにのせるのは無理であろう。使ったことがある一番大きなもので10 Lのフラスコだったか。それでも研究室で使用する分には十分な大きさだ。天然物から抽出するときはとにかくたくさんの溶媒を使うとか聞き及んでいる。そういう研究室は大きなフラスコもあるのだろう。
原理だけなら単純なもので、銅管もしくはガラス細工で作れるだろうか。減圧も水流アスピレーターのようにすれば多少の減圧はできる。
「よし、事業を起こそう。これからは蒸留酒だな」
「燃える酒ですか? でしたら、いくつか種類がありますよ。特にワインから作られる蒸留酒なんかは少し高いですが、人気があります」
ずずいと顔を寄せてきたのは若いウェイトレスだった。片手に今まさに片付けられようとする皿を持ち、次郎の机の空いた皿もひょいひょいと手早く回収する。
「領内の特産ってわけじゃないですけど、この街の周辺でも作られていますからね。どちらかといえば、冒険者の方にはエールやワインが人気ですけど。持ち歩くなら蒸留酒だと言われていますね。
ジュースを子牛の胃袋で作った水筒に入れて持ち歩いていたら酒になったという笑い話をよく聞きますよ。酒になったというより、ただ腐ったんじゃないかと思うんですよね、あたしは」
話好きなウェイトレスにおすすめの蒸留酒を頼んだ。ウェイトレスは素晴らしい笑顔を次郎に見せて奥へと危なげない足取りで行ってしまった。
蒸留酒というものがすでに存在しているということがわかった。それであれば、果実酒なんかもほうふにあるのだろう。
この街の東は主として小麦や大麦といった穀物を栽培していた。西側には幾つかの村が葡萄農園を任されていた。専業として成り立っており、統治する家も伯爵家の分家筋である子爵など大きな地位のあるものが経営している。そこでは大々的に酒造も行われており、歴史も古いものであった。
「あんまり蒸留酒の味ってわからないけど、蒸留したあとに果汁でも加えてあるのかな。結構甘いな」
「私にもいただいていいですか?」
「ああ、好きなだけ飲めばいいよ」
ジョッキに注がれた紫の綺麗な液体がくるくるとまわり、親指くらいの大きさの球体がぽこんと水面から生まれた。それはアリスの手元まで漂っていき。それを何回かに分けてアリスが口へ運んだ。
「これは美味しいですね」
「わたしも飲みたい」
「いや、レーレはダメだろう」
「たぶん、ここには子供が酒を飲んではいけないというような法律はないと思いますけど」
「いやいや、常識的に考えてだめだろ。それに、酒が美味しいとばかばか飲まれても懐具合的にまずい」
なるほど、とアリスはつぶやきレーレを見てやった。
次郎の記憶はここで途切れ、気がつけば宿のベッドで横になっていた。当然のようにレーレは次郎の隣で寝ており、もう一つの空いたベッドには何故か荷物が置かれていた。
蒸留酒なんかはあります。
多少高価ですが、エールから作られる蒸留酒もあります。エールが腐る前には蒸留してビエレという蒸留酒とされるために、多少高い程度で購入できます。