022話
「あいつも悪かったが、兄さん。あんたも少しは気にしたほうがいいぜ」男は目線をレーレに移して続けた。「嬢ちゃんは冒険者としては、そりゃ別嬪だからな。あんな男臭いところにいたら声の一つや二つかけられるだろうよ」
「別にあそこにいた女性なら他にもいたじゃないですか。美人さんも見かけましたし」
「わかってねえな。大体、あそこにいるのは顔見知りばっかりだ。女なんて言ったってそりゃ性別がそれってだけで言動なんかそれこそ狼じゃないかってくらい荒々しいもんだ。その点、お嬢ちゃんなんか椅子にちょこんと座って静かーにジュースを飲んでるとくる。声かけるならどちらかなんて、わかりきっているだろう」
おっさん――次郎からすればお兄さんで通じる――は拳を握りながら力説している。
「カブラカズリとわかって手を出すなんざよほどの好事家よ」
カブラカズリは日本で言えばトリカブトと呼ばれる植物に近しいものであったか、と次郎は思い出していた。編纂した植物図鑑にも載せていた。
綺麗な花には毒がある。そんな花に興味を持つのは暗殺者、薬師、学者といった奇特な人だということなのだろう。
「中にはあんなやつもいるが、冒険者なんぞやっている人間は粗野な奴が多いからな。そのへんも兄さんは覚えとかないといけない。嬢ちゃんの装備を見る限りじゃ要らぬお節介だったかもしれないがな」机の上に出して手をモミモミしながら言った。「それ、魔物の皮で作ってあるんだろ? 普通ならローブの下とか見えない場所、特に急所付近に使うもんだ。高価だからな。それがこんな風に見せびらかしながら歩いていると。歩く大金だって言ってもいいくらいだ。ここらで採れる魔物ではなさそうだしな、美しい外套だ。
要するに、ただの世間知らずの金持ちか、金持ちの冒険者駆け出しって見られるんだよ。奪おうとする奴だっているだろう。街中だとないだろうが、気をつけるに越したことはないぞ」
長々と話しているが、その内容というのはレーレと次郎を気遣ったものであり、不快感はない。そもそもその外套は次郎自身が身につけており、傍には威圧感の塊のような存在であったレーレがいたのだ。それを盗もうなどというやつはいなかった。それ故に失念していた事柄であった。
「な、なるほどな。忠告ありがとう」
「ほうほう。ありがとう、と言える人は少ない。まぁ、悪い奴につかまるなよ。その誠実さは美徳かもしれないが、そこに付け込む奴なんてのはごまんといるからな。兄さんはともかくとして嬢ちゃんは守ってやんなよ」
男は立ち上がった。
「心に留めとくよ」
「おう」
次郎はポケットから10ドル硬貨を5枚ほど出して机の上においた。
「これはわずかばかりだけど、どうせまだ飲むんだろ? 迷惑料込みで」
「兄さんはいいやつだなぁ。ありがたくいただいとくよ」男は硬貨を見つめてエールを追加で頼んでいた。先程も飲んでいた。次郎であればあんな台詞は飲んでなければ吐くことができないであろうが、彼はそうでなくともぺらぺらと話すことができただろう。ゴクリ、と喉を鳴らしたのを次郎は見届けて店を出た。
「お腹すいた」レーレは腹部を押さえながら、その部位が切ないことになっているということを切に唱えた。
「今食べてたじゃないですか!?」
「その形態ではそれほど燃費は悪くないはずですが、完全に人形態でない分がこうして空腹として現れているのでしょうか?」
「狼よりお腹空かないけど、……」
「……」
なんとか言えよ、といった意味合いを込めて次郎はアリスを見つめたが、アリスはアリスで次郎を同じような意味合いを眼力として雄弁に物語っていた。
「出店覗いてから組合に行くか。害獣の依頼とか、動物の生息分布とかわかるだろ」
妥協案は受け入れられ、一行は焼き魚を頬張りながら組合に赴いていた。
「この時期で川周辺ですと、カエルやサラマンダーですかね。食料としても需要がありますし。森でしたらほとんどの動物が討伐対象になっていますね」
サラマンダー、つまり山椒魚である。食用にするというくらいであるからその大きさは5 mを超えるものも生息している。割とのんびりした生物であるが、毒を持っていることから害獣扱いされている。その肉は淡白であるが、泥臭くはなく、美味という話だ。
「森でしたら、イカに気をつけてくださいね」地図をさしながら受付のお姉さんは言った。「逆に食べられちゃうなんてことも多いですからね。森の養分にならないように気をつけてくださいよー」
「ありがとうございます」
「で、どうするよ」額を合わせるようにして話し合っている。
「この場合だと川の方へ行くべきでしょうか。その気になれば川に火球でもぶち込めば食べるだけの魚は確保できそうですし」
「いやいや、常識的に考えてみようぜ。あんまりそんなことして乱獲していたら魚いなくなっちゃうんじゃないのか?」
目を丸くしたアリスは暫く考えるような素振りをした。そして、ひらめいた、と顔を上げた。
「気が付きませんでした!」
「それだけかよ!?」
「それはさておき、イカ、というのは気になりました。Fishですよ、フィッシュ! なんで魚がって感じですよね。森の中に。沼か湖かあるのでしょうか。君子危うきに近寄らず、という言葉もあることですし。尤も、次郎には馬の耳に念仏でしょうが」
「それどこの国の諺か知ってるのか?」
次郎の言葉に「知らない」と一言いった。
かくして川に行くことになった。
レーレは終始「お肉が食べたい」と言っていたが、別に魚でも問題ないようであった。次郎はレーレに優しく「野菜も食べなきゃダメだよ」と諭し、レーレは「うぁっ」と眉毛をへの字とした。
街中を流れる支流を辿っていけば大きな河川に出る。
川原には人影があり、縄をもってうろうろしていた。
観察すれば、縄の先に鳥をくくりつけて川に投げ込んでいるのであった。
「随分と大雑把な釣りだな」次郎はつぶやいた。
視線の先では男3人が縄を引っ張っていた。上がってきたのは2 mはあろうかというサラマンダーであった。
「いかにもヌメヌメしていたあの皮膚。とても触る気にはならないな」
「私だって嫌ですよ」
「超自然現象的存在のアリスなら問題ないだろ。ヌメヌメくらい」
「嫌ですよ! いかにも体に悪そうな粘液をまとっていますよね!? かぶれちゃったりしたらどうするんですか? 責任とってくれるんですか? 結婚しちゃうんですか!?」
「あのヌメヌメしたあれだって役に立つだろう。かつてガマ油とよばれた両生類の粘液だってあるくらいだ。少々だいじょうぶだろ。それよりも落ち着け。何でもかんでも分解できるアリスならそんなことにならないだろうし、精霊ってかぶれたりすんのかよ。あと落ち着け」
「そりゃ、普通の毒なんて効果無いでしょうが、嫌なものは嫌なんですよ」
「しかし」と次郎はリュックを下ろして言った。「道具がないから無理だよな。無難にカエルでも捕まえるか。って、素手で捕まえていいんだろうか?」
ガマの毒は、後頭部の耳腺や皮膚にある分泌腺から出る。ガマに触れたらよく手を洗わなければならないというのはそのためである。ガマの毒はヘビ毒に比べればそれほど強烈なものではない。それどころか、日本で古くから漢方薬の大切な材料であった。
強心、鎮痛、排毒などに効果のあるという“せんそ”と呼ばれる薬は、ガマの毒液をウドン粉とこねて陰干しして作ったものである。内服薬としても外用としてもどちらに使っても良い薬である。
また、そのガマの毒は採取が容易であることから研究が盛んであった。ガマ毒のほとんど二つの成分からなっており、一つはブフォテニンと呼ばれるアミンの毒であり、幻覚作用がある。忍者の使う幻術などはこれによるものなのではないかと言われる。
もうひとつの成分はブフォタリンと呼ばれるステロイドである。強心作用を持った猛毒で、心臓の特効薬として有名な、ジギタリスの毒成分とほぼ同じものである。
馴染み深い毒を持つカエルといえば、ヤドクガエルだろう。名が示すように毒を有する。
ヤドクガエルの毒は、植物毒のアルカロイドと似た低分子量の毒で猛毒である。バトラコトキシンと呼ばれるこの毒成分は、半致死量が僅か0.002 mgであり、猛毒として知られるフグ毒も及ばないような強さを持ち、神経膜にあるナトリウムチャンネルが閉じられるのを妨げ、神経や筋肉の機能を停止させる。
このようなカエルの皮膚毒は、人間の脳や神経活動と極めて関係が深い。
次郎たちの周りでは、ワニと見間違うばかりのサラマンダーと格闘している姿しか見かけられない。カエルを追いかけている姿などは見つけることができない。
「時間かね。ちゃんとそういった情報も聞いておけば良かったな」
「詰が甘いですよ、次郎」
「そう睨むなって。……レーレもそんな顔をしないでくれ」レーレの顔を見て次郎はため息をついた。「わかった、わかったよ。水泳するにはまだ寒いと思うんだけどなぁ。サラマンダーも人を襲うことは滅多になってのが救いか」
「わたしも行っていい?」
「レーレ? 俺よりは頼りになるかもしれないけど、水だぞ。魔物の姿じゃないんだから」
「そうですよ。一番いい方法は次郎が食べられそうになって油断しているところにレーレの一撃でしょうね」
「そんな怖いこと言うなよ。あいつら毒持ってるって言ってなかった?」
「大丈夫です。噛まれなければいいんです!」
「矛盾してないか?」
「丸呑みなら問題ありませんよ」
「それ難易度高いな。そして、その前に殴り飛ばせよ。相手遅いって話じゃないか」
「つべこべ言わずにさっさと行ってください。ここでぐだぐだ話している時間がもったいないじゃないですか」
次郎は外套を脱ぎ、シャツ、パンツというなんともラフな格好にナイフという装備で恐る恐る足先からゆっくり川に入っていく。次郎は「男は度胸、ハンターは脳筋!」なんて声援に対して「恥ずかしいからやめて!」と、切実に訴えた。
水の透明度はそれほどよくない。川底には水草が勢力を伸ばし、盛んに光合成を行っている。その草の間をエビや小魚などが気持ちよさそうに泳いでいた。かと言って素手で捕まえられるようなものではないし、網など道具がなければ無理だろう。
腰より水位のある場所でざぶざぶと無駄に歩いていた次郎であったが、足元に違和感があった。ぐにぐにと柔らかく、それでいてぬるっと滑る。その感覚が次郎を襲った瞬間には顔付近に水面が迫っていた。
水の中で目を開ければ自身の身長よりもさらに大きな、よく見なければ岩と間違えてしまいそうなサラマンダーが横たわっていた。
次郎は意を決してその体に手を伸ばしたが、案の定ぬるぬると滑り掴むことはできない。
「レーレ、来てくれ!」
次郎一人ではどうすることもできないと判断してレーレの名前を叫んでいた。
レーレは外套を脱ぎ捨て、肌の露出面積を増やして軽く走り始めた。じゃぼっじゃぼっと水をかき分けながら次郎のもとにやってきた。3回ほどこけそうになりながら、次郎のところに着く頃には完全に歩いていた。陸上とは違った体にかかる圧力に順応しきれていないからだ。
「これを見てくれ」と次郎は川に目線を向けた。次郎を見ていたレーレは視線を川底へとむけた。
「この鈍重なのがサラマンダーだ。どうやったら捕まえられるだろうか」
レーレはこの問に対して自分が元の姿に戻れば加えて岸まで上がれることを示した。だが、次郎はそのことには肯定を示さなかった。
「掴むところといったら、その口くらいだ。できれば引き上げてくれるとありがたいんだが」
「わかった」
レーレはむんずと無造作にサラマンダーの口をこじ開けて下顎に手を入れ引き上げた。その場で二回転する頃にはサラマンダーの体も水面から完全に露出し、レーレは勢いよく投げ上げた。サラマンダーは綺麗な放物線を描き、大地と会合を果たすとその運動エネルギーによって簡単には止まらずに陸上をころがった。
「……売り物になるか? あれ」
次郎はつぶやき、レーレはその言葉の意味がわからなかった。
「捌いて内臓くらいは落としておくか」
「そうですね。心臓とか肝臓なら焼いて食べることができるんじゃないでしょうか?」
「レーレ、燃えそうな木とか持ってきてくれ」
「わかったー」
とてとてと走っていく後ろ姿を次郎は目で追った。
「それじゃ、俺が捌いて」
「私が食べます」
「おい」
内蔵をとって腹には自生している草を詰める。殺菌に効果があると言われる香草である。ないよりはマシ、といった程度だ。
「本当に山椒のような匂いがするんだな」
「山椒?」
「ん。いや、そういう植物があるんだよ」
次郎が捌く様子をレーレはみつめ、麻の大きな袋に入れるのを手伝った。
「さて、腐る前に戻らないとな」次郎は急かした。
サラマンダー=山椒魚です。
ここではオオサンショウウオもサラマンダーとしています。
また、オオサンショウウオは毒をもっていません。
ヤドクガエルは色鮮やかなものも多く、画像検索すると幸せになります。
ヤドクガエルはこの世界にもおり、ヤドクガエルの名が示すように毒矢の毒と使用されることもあります。