021話
視点が変わりそうなので私ではなくなります。
街が近づくにつれてポツポツとだが建物も見られるようになってきた。
次郎は立ちすくんで周りを見渡していた。
後ろにいた商人風情の男は迷惑そうに次郎を横切っていった。
「ぼーっと立ったままだと邪魔になりますよ」アリスは足場となっている次郎を見下ろしながら諌めるように言った。「せめて端に寄るべきじゃないでしょうか」
「いやあ、人がゴミのようだと」
「それ、本気で言ってます?」アリスは半眼で次郎を見た。
「もちろん、心にも思っていないさ」
次郎は横にちょこんと立っているレーレの頭に手をのせていた。
サルフェルドという街には城門というものは存在しない。あまりにも街が広大であるために人の出入を禁じることなど実質不可能であった。他の大都市に見られるように商業区、高級居住区、貧民居住区などと区画整理が進んでいる。貧富の差というのは大きい。
この街を治める貴族、サルフェルド子爵の館は南に、そしてここグランデール領を治めるグランデール公爵は北に公爵家が存在している。公爵家は街の北端から10 kmほど進んだ場所にあり、城塞としても有名な館である。子爵の館は街の南端に位置している。街が大きくなるにつれて子爵の館も街に取り込まれていった形である。そのような形をしているので街は南北に短い歪な形をしている。
その街の東、西に比べたら人通りは多くはないが、それでもハーディよりも活気があるというのは見て取れるだろう。
「人に酔いそう」次郎は情けない声を出した。「なんでこんなに人がいるんだ」
「お腹すいた」
「検閲ではないですが、守衛らしき人物らが人相書きと人とを見比べていますね」アリスは目を細めながら言った。「唇までは読めませんが、どやら窃盗なり野盗なりの捕物をしているのかもしれませんね。彼らも職務ですから私達がどうこう言っても致し方がないでしょう」
ふよふよと浮いていたアリスはレーレの頭の上、耳の間に納まった。耳が内側を向こうと忙しなく動いている。次郎はアイリスを見て何か言いたそうにしていたが、喉元までせり上がってきた言葉を飲み込んだ。
人が流れ出し、身を任せた。歩む速度は遅々としたものではあるが確実に前には進んでいる。
「あいつがでたんだたよ」
「あいつってだれだ?」
「ほら、義賊を語る」
「あれって王都の話じゃなかったか?」
「わからん、がそういう話も出ている」
かしこで聞こえる声には驚愕を伴ったものさえある。囁かれるのは怪盗、義賊。
気にならないと言ったら嘘となるだろう。次郎は持ち前の人見知りを遺憾なく発揮し、好奇心を満たすことはできずじまいであった。
「お腹すいた」
「引っ張るなよ」
「お腹すいた」
「そればっかりじゃないか」
レーレの口調は大いに変化した。次郎とアリスが主だった話し相手であった頃――尤もレーレが話し始めて一週間もしていないが――は丁寧な話口調であった。アリスの話し方と似通っていた、というのが正しいだろう。それから冒険者と呼ばれる存在との会合。粗暴な彼らの言葉遣いを目の当たりにしたレーレの口調が変わっていったのは言うまでもない。
次郎は周りを見習って予め身分証を用意していたが、レーレは身分証など持ってはいなかったので守衛に呼び止められてしまった。
「そこの、そこの君」レーレは自分のことだとは思っていないようなので、次郎が代わりにそちらを向いた。「君ではない、隣の子だ」
「すみません、彼女は身分証を持っていないのですよ。私が保護者のようなものです」
守衛はじろりと次郎と身分証を見ている。その目つきはひどく次郎をひどく不快なものにした。
彼らのいるところは大きな通りであり、他の者の目にもつきやすい。ふん、と守衛は鼻息を鳴らして通した。
「早く身分登録をしておいたほうがいい。奴隷商に目をつけられると厄介だぞ」
次郎はお礼を言ってその場を通り過ぎた。
この国には奴隷制度が存在する。
罪を犯した者、借財の返済が行えない者、口減らしの為、理由はそれぞれあるがその奴隷制度によって助かっている者というのも少なからずいるのだ。奴隷制度は国が厳しく管理してはいるが、それは人間によるものなので完璧なものではない。
奴隷を扱う犯罪組織というのも存在する。子供を攫うというのはその最たるものであろう。奴隷というのは少なくない金額で取引される。身分登録がされていない者などは奴隷に落ちやすい。元手がかからず丸儲けである。
奴隷商は国によって登録されるものであり、奴隷は例外を除けば地方で10年、それ以降は国で管理されることになる。奴隷取引による収入というのも地方によっては大きなものになり、財源としても、法を敷くためにも役に立っている。
そんな奴隷ではあるが程度の自由は認められている。まず魔法が使えなくなる。次に行動の制限がかけられている。この行動の制限というのは曖昧なもので、地方ごとに異なったものとなる。国に召し上げられる場合はまた別個に制限がかけられることとなる。
この国には死刑制度は存在しないため、最高刑であったとしても奴隷に落とされるだけとなってしまう。しかし、奴隷に未来があるかといえばそうであるとも、そうでないとも言える。
レーレを急かしながら次郎は考えていた。レーレには魔物として登録していたのだが、それがどう作用するのか。言わないほうがいいのだろう。
「言っても信じないでしょうし、要らぬ誤解を与えるだけでしょう。結論を言いますと、黙って身分登録。それしかないですね」
「わかってる」次郎はため息混じりに応えた。
「本当ですか?」
辺りをキョロキョロとしながら目的とは異なる路地へ入り込もうとするレーレの首根っこを掴んで隣を歩かせる。
「勝手に離れるなよ」
「あっちからいい匂いがする」
「後でな」
「あとなら食べに行く?」こちらを見上げてくる顔は期待と不安が見え隠れしていた。
「ま、まあそろそろいい時間だしな」次郎には断るという選択肢はなかったようだ。
そんなやりとりをレーレは見てため息をしていた。「レーレに甘いですね」
役所は大きく広々としていた。
次郎は慣れたものだと、垂れた大きな耳の女性のいるところまでレーレを連れ立って行った。レーレは基本的におとなしい。好奇心は持っているのだろうが、次郎の手前、そわそわしながらいい子にしているのだろう。
「この子の身分登録をお願いします」
「はい、ここにご記入ください」
レーレは字が書けないために次郎が文字をつらつらと書き綴っていく。苗字はSakamoto。レーレ・坂本と少し締まらない感じがしたが、気にせずに記入をしていった。その様子をレーレは覗き込むようにしてみていた。
「これがレーレの名前だからな」
「大事なものですからね」
「……うん!」
わかったのか勢いよく返事をしたことで周りからの注意を引いていた。本人は気にせず、アリスはほかの人には見えないので次郎が顔を赤くして誤っていた。
「はい、こちらですね」
レーレは手渡された身分証をまじまじと見つめていた。
「説明は必要でしょうか?」
「いえ、私が教えます」受付のお姉さんに対して次郎が話していた。
「出したい時は、出したいと思えば出てくるからな。いらないと思えばなくなる。簡単だろ。でも、大事なものだからな。こういった必要な時にしか出しちゃダメだぞ」
「うん」次郎の言葉を聞いているのかわからない態度ではあったが次郎は気にせずに続けた。
「で、お金もここにいれることができるけど、俺が管理するから。多少は入れておくけどレーレはあんまり心配しなくていいからな」
「大丈夫です。次郎が不正なことをしないように私がちゃーんと見張っていますから」
「次郎悪いことするの?」
「しないからな。悪いことをしたことなど、ほとんどない!」
「ない、ではなくほとんどない、ですね。威張っていうことではありませんよ」
「俺にとって悪くないことでも相手にとっては悪いなんてこともあるだろうさ。一般論的に考えてみても俺が悪かったこともあるだろう」
「そんな情報は要りませんよ」半目で次郎を見ている。「それよりも、先ほど言っていたように食事にするんですか?」
食事という言葉にレーレの耳は敏感に反応し、続けて顔が動いた。髪の間から覗く目は期待に満ちていて、次郎は心苦しさを覚えた。
「いいや、あと少しだから。組合に顔を出してレーレの組合員登録をしてからだから。
ああっ、そんな顔するなよ。必要な事なんだからっ!」
「お腹すいたのに」悲しそうな顔は次郎の心をぐりぐりと抉っている。
あまりにも悲しそうな顔をするので、露天で売っていた焼かれた肉塊を買い与えた。鼻がヒクヒクとして匂いを嗅いでいる。たっぷり十秒程胡椒と焼けたタンパク質の匂いを堪能して次郎を見つめていた。
「はい、よく我慢できました。食べていいぞ」
ガツガツと肉塊を食べているさまは幸せそうである。躾は大切だという話はよく聞く。特に序列に煩い犬系統であるレーレであればその躾というのも厳しくなるというものだ。アリスの「レーレには甘いですね」なんぞという戯言は聞こえない。
組合の建物内はさらに活気があった。
怒号が飛び交っているといってもいいだろう。そこかしこで交わされる勧誘と商談。組合でレーレの登録を済ませているとレーレに声をかけるものの姿があった。
レーレは何を聞かれているのかわからないかのように首を傾げていた。レーレの登録と並行して次郎はレーレとのパーティーの申し込みも行った。パーティー名、坂本組。どこかの土建屋さんとか地上げ屋さんとかヤクザ屋さんとかそんな感じがするかもしれないが、Group Sakamotoといえば問題なかろう。
「お嬢さん、私たちとパーティーくみませんか?」
軽薄そうな顔立ちの整った男が声をかけていた。レーレは椅子に座って蛍光色で紫の得体の知れない飲み物を飲んでいる。次郎が買い与えたものである。美味しそうかと言えば、日本人の感覚から言えば否と答えるようなものではあるが、こちらでは原色に近い色をした飲み物なんてのも往々にして見ることができる。
「ちょっとー、無視はよくないんじゃないかなぁ」ずずい、と男はレーレの横に座ってなおも話しかけている。「ジュースなんかよりもさ、もっといいものあげるから。まだ低ランクなんでしょ。俺らといたらすぐにランク上がるから」
どこ吹く風とジュースをちびりちびりと飲んでいた。フードもかぶり、フードがなくともレーレの可愛らしさというのはこの場にあっても際立っていた。趣味に関しては個々人によって差異はあるだろうが、よほど特殊な趣味でなければ可愛いと思うだろう。遠まわしに眺めている人の姿も見受けられる。
「なあ」男は木製のコップ、いやジョッキを手でどかしながら声をかけた。「話くらいいいじゃないか、それとも俺の言葉が通じない?」口調もだんだんと硬くなっているようであった。レーレはどかされたジョッキに手をやり、また目の前に持ってきて中を覗いていた。
次郎はレーレの、そして更新された組合員証をもらってその席へ小走りで言った。
「どうかしましたか?」
「おいっ、話くらい聞けって」だいぶ頭日が昇っているようで次郎の話を聞いていない。
レーレはその男を無視して次郎の方に顔を向けるので男の怒りのボルテージはストップ高だ。肩をつかみ自分の方へ向けようとするが、それも叶わない。「なっ!?」っという声の後に男は吹っ飛んでいた。
レーレが殴り飛ばしたのかとも思ったが、それは考え違いであることを次郎は知った。冒険者然とした男がその傍にいたからだ。
「こんな可憐なお嬢ちゃんに手を上げようなんて紳士の風上にも置けない奴にはすこーしお仕置きが必要だと思うんだが」辺りを見渡して言った。「どうだろうか、諸君」
周りからは賛同する声が上がっていた。
「お嬢ちゃんに声をかけようというのはわかる。白百合のように可憐なんだ、声をかけないないのが失礼なんじゃないかと思うほどだ。だが、ものには順序というものがあるだろう」やいのやいのと周りからは声がかけられ、それに対して手を振っている。
「何よりも、保護者なのか後見人なのか、それとも主人なのか。それはわからない、だがそれに当たろうという人が目の前にいるにもかかわらず、その言葉を無視した挙句にその暴挙! 紳士と言えるのだろうか? 否! 紳士たる者、状況の判断を怠れば則ち外道への道を踏み出すもの也。兄さん、ここは私に免じてこの馬鹿を許してやってくれないですかね」
床に伸びている人物は失神でもしているのか、動かないでいた。紳士を何度も強調していた男は次郎を見据えてにっこりとしている。レーレを見ているわけではない。
「こちらこそ、失礼していたようで。ほら、レーレもあんまり無視しちゃいけないよ」
「でも、静かにジュース飲んでろって言った」
「うん、そうなんだけどな」
自称で紳士を名乗りあげそうな男はその様子を見ているだけだった。
紳士ですからっ