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精霊は科学の夢を見るか  作者: ごんけ
クロステル領Ⅰ
20/23

020話


「ちゃんとした魚料理は久しぶりですね」


「ブルイルで包んで蒸してあるんだな。あと、バターかな?」


「残念、ミルピッグの脂です。背脂が一番美味しいらしいんですけど、他の部位の脂も美味しいんですよ。温めるとすぐに溶けて、口当たりもいいですし。もちろん、お肉も美味しいので頼んでくださいね」


 葉っぱに包まれていた魚から立ち上る香りで判断したが、どうやら間違っていたようだ。ちなみに教えてくれたのは給仕をしているお姉さんだ。三つ編みの似合う女の子だ。


「それじゃ、ちょっとおすすめの焼き料理とかお願いできるかな」


「はい、喜んで!」


 嬉しそうに小走りで行ってしまった。

 しかし、脂。持っていけるようなものなのだろうか? できれば料理の幅のために持ち歩きたいのだが、たぶん腐るだろう。


「美味しい」


「うん」


 とても美味しい。淡白な川魚なのにそれがあるだけで風味が違う。

 宿屋に併設された食堂で食事をとっている。レーレにも食べさせてやりたいけど、そんなことをしていたらいくら金があっても足りないだろう。

 そして、本日泊まるのは! なんと、野宿である。

 おかしくないか。宿屋もあるのに。


「しょうがないですよ」


「ここまで魔物使いが嫌われてるなんてなぁ」


「まぁまぁ。嫌われてる嫌われてないではなく、レーレを放置するなって話ですよね。街なんかじゃ入ることができないかもしれませんよ、物理的に」


「そうだよな。いつもいつもレーレだけ外で待たせるのはあまりなあ」


「今日みたいに外で毎日止まるのですか? 街に入っても」


「うっ……。それは嫌だな」


「はい、どうぞ」女の子が皿を置いた。「外にいる魔物はお客さんのですよね。おっきいですね」


「そうだよ」


「だから宿屋に泊まれない、そでしょ」いたずらっぽくこちらを見ている。「近くで養豚も放牧だってしていますからね。特に、魔物に関しては神経質になっているんですよ」


「問題ないですよ、むしろ可愛らしいですよ」


「あれが可愛らしいっていうお客さんの神経がわかりませんねー。さっすが冒険者さんってことですかね」


 可愛らしいウインクを残してほかの席へ行ってしまった。働く女の子って可愛らしく見えてしまうのは世界の心理だと思うんだ。


「次郎、鼻の下伸びてますよ」と無粋な声が聞こえた気がした。


「働く女の子って素晴らしいな。どこかの誰かさんと違って」


「レーレだって頑張ってるのにその言い方はひどいと思いますよ」


「レーレほど働き者なのもいなかろう」私は一つため息をついて言い放った。


「それならば、もっといいものを食べさせてあげたいですね」


 魚の腸をこねくり回しながら言う言葉ではないと思うが、その通りだと思う。心臓だか肝臓だかの臓物を手にとって満面の笑顔で食べている絵というのはなかなか怖いと思うんだ。それに内蔵だけ食べても苦いだろ。


 レーレ用に大きな魚――それも体調が1 mくらいもありそうな――の包蒸しを購入した。レーレは相変わらずごろごろとしていた。私が目を離している時には自由行動を取らないように言ってある。レーレの食事に関しては私が食べる前に一緒に出かけた。でなければ今頃せっかく食べたものを吐き散らしていただろう。レーレの背に乗ることの厳しさは身をもって知っている。風のように地を駆けることができることはできるが、如何せんあの乗り心地は厳しいものがある。


「はい、お土産―」


 私の持っている包に鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。私の脇腹もつつかれてくすぐったい。レーレの口を開けさせて包ごと投げ込む。レーレの体にしてみれば小さいものかもしれないが、魚としても大きなものなんだが。ちなみに、姿はソウギョに似ている。


 一応、口をもごもごとして咀嚼してくれているようで安心した。これで丸呑みとかだったら買った甲斐がなかろうというものだ。


「うまいか?」


 生臭いゲップで答えてくれやがった。本当にありがとうございます!


「レーレも人サイズだったらなぁ」


「何回目ですか? それ」


「だよなぁ」


「レーレもそう思うだろ」


「はい」


「だよなぁ」


「え?」


「ん?」


 なにこれこわい。


 辺りを見回しても私以外には離れたところにいる不寝番のおっさんくらいしか見えないんだが。

 レーレは欠伸しているし。


「気のせいか」


「そうですよね」


「はい」


 たしかに喋ったぞ、こやつ!


「レーレ、喋ることができるのか? いや少し冷静に考えてみろ、はい、しか言ってないだろ。幻聴という可能性も存在する。もしかしたら誰かが私を謀っているのではないだろうか。だとすれば最有力候補はアリスということになる。だが、アリスはこのような謀をする知性があるか? 否! 超常現象の類であろうか。まだまだ解き明かされていない現象もこの場ならば多々あるだろう!」


「何、馬鹿なことを言ってるんですか? もう少しよく考えてください。レーレが話すことができるわけないじゃないですか。人間とは異なる声帯をしているはずですよ、そんな非科学的なことあるわけがありません」


「お前こそ落ち着け。非科学の塊のアリスが言っても説得力は皆無だからな。その小さな声帯で人間の可聴領域の音波をこともげに発していることのほうが驚きだよ」


「そんな馬鹿なやりとりはお呼じゃないですから! それよりもレーレですよ!」


「そ、そうだった!」


 若干冷静になったおかげでレーレを見ることができた。


 私たちのやりとりを興味深そうに見ている。

 そーっと見ていると、急に大声で吠えたので驚くなというのが無理だろう。


 あまりの音量に鼓膜に穴があくかとも思われたが、それよりも何よりも驚くべきことに目の前には銀細工に蒼空の色を少し垂らしたかのような綺麗な髪をもつ少女がいた。いや、そんな生易しい表現ではない。硫酸鉄(Ⅱ)七水和物の結晶のような、硫酸ニッケル(Ⅱ)七水和物のような色か、否、その光沢はカリウムの酸化皮膜である薄膜の薄紫色と比喩される色に似ている。月明かりに輝くそれはサラサラと零れ落ちる銀糸のようでもあった。


 彼女の身長は私の胸くらいの高さで美少女と言っても過言ではないだろう。その肢体は淡い月光に余すところなく濡れていた。忍びやかでいて少女というものを十分に主張するそれは、紛う事なき乳房であった。なだらかな起伏の頭頂部に申し訳程にちょこんと鎮座するそれは、薄明かりの中であってもさえ際立ち、肌の白さと相まって見事なコントラストを描いている。月夜の陰影は四肢をさらにすらりと長く見せ、無駄な肉がついていない。ややもすれば痩せ過ぎなのではないかと思えるようだが、引き締まった体からは皮膚の下には密度の大きそうな筋肉が自己満足げに隠れているのだった。

 下腹部には、―――


「次郎! イヤラシイ目つきをしています!」


「ば、馬鹿を言うな!」


 紳士な私は目の前の少女に羽織っていたローブを被せてやるのだった。ローブの色とほぼ同じ色彩の髪をもつ少女はローブに顔を埋めて匂いを嗅いでいるようでもあった。少女は顔を上げてにこりと微笑んだ。その微笑みは例えるならば太陽に照らされる下弦の月の如く柔らかな光を放っているかのようであった。

 切れ長の目には長い睫毛が風に吹かれて揺れており、瞳はフタロシアニンブルーよりも深いアズールを呈していた。側頭部よりも頭頂部に近いところには犬耳ではなく、見慣れた狼耳がピクピクと楽しげに辺りを伺っていた。


「お腹すきました」アリスの声が風鈴のような軽やかな音だとしたら、少女のは金属のような冷たい響くような音だった。


「お、おう!」


 というか、どう考えてもレーレだよな。

 人型になれるのか。

 とりあえず、飯でも食べに行くべきか。


「可愛らしい人を見つけましたね」と飯屋の女の子は茶化してきた。「大皿にします?」


「あー、うん」


 人型になると胃袋も人型になるようで、それほどたくさんは食べることができないようだった。私が許さないかぎりは決して狼の姿に戻ってはダメだと言っておいた。このローブであれば伸縮自在というべきものであるから問題はないのだが、下に何もつけていないというのが問題なのだ。


「君はレーレ、でいいのかな?」


「うん、私はレーレだよ」両手で魚の頭と尾を掴み、覗き込むように皿に顔を埋めて食べている。お世辞にも綺麗な食べ方とは言えないし、他の人も見ている、気がする。


「レーレ、もう少しお淑やかに食べなさい」


「お淑やかってなーに」と顔を上げれば口の周りが汚れている。私は布で拭いながら言った。


「お淑やかっていうのは、あれだよ。周りの人のように食べなさいってこと。ナイフを使えとは言わないけど、このフォークでこう突き刺したりしながら食べなさい」


「これ? でも、アリスは使ってないよ?」


「アリスはいいの。アリスくらいの大きさのフォークなんてないんだから」と言って考えた。アリスもてで食べているのはレーレの教育上よろしくないのではないか。やはり箸くらいは作っておくべきだろうか。ここにきて箸なんか使っている人なんか見たことはないが、問題はなかろう。


「食べ物で遊んじゃダメだから」


 食べ物にフォークを突き刺して遊ぶんじゃありません。


「レーレは狼の姿にもすぐなれるんだよな」


「うん、見ててよ!」


「なっちゃだめだから!」


「そうなの?」


「そうなの」私は慌ててレーレを止めた。こんな場所で元に戻ってもらっては困る。主に私が増大した体積分ほど押し出されて大変なことになる。それよりも食堂が壊れるんじゃないだろうか。


「いい? 無闇矢鱈に狼の姿に戻ってはいけませんからね」とお姉さん面するアリス。


「頭の上の耳もどうにかできないのか?」


「できるよ、ホラ」


 って言ったそばから実行するんじゃない。如かりてその耳はシュンと引っ込み、髪になってしまった。ぺたぺたと触ればそこに耳があったようには思えない。長い髪を分けてみれば人間大の耳が私の耳と同じ場所に生えていた。頭蓋骨が変化しているのだろうか。あの巨狼からの変化に比べれば微々たるものかもしれないが。いや、憂慮すべきなのはその耳が私と同じ人間の耳であることだろうか。私と同じ耳の人間にであったことがなかった。遠くの地には私のような人種もいるのだが、多方は獣耳に尻尾という獣人種らしい。


「でもこうすると、尻尾もなくなっちゃう」


 お尻を気にしてかそわそわしている。そしてまた耳が生えてきた。今レーレの状態はというと、裸ローブ。変態紳士も真っ青であろう。その尻に敷かれているローブが羨ましいなんてことはこれっぽっちもない。況してや椅子が羨ましいなんて気持ちは持ち合わせてすらいない。


「早急にレーレのインナーなりを購入すべきだな……」私はポツリと漏らした。


「ええ、可及的速やかに」アリスは静かな声で同意を示した。


「インナーってなに?」レーレの能天気な声が響いた。



 私達はその足で商人が屯している場へ行こうかとも考えたが、すでに夜分である。明日まで待つのが吉であろう。

 次に考えたことはレーレの身体能力であった。レーレの狼形態での力というのはもはや人外である。人外であるのでそれは正しいわけだが、この目の前の少女がそのような力を発揮するというのは私の精神衛生よろしくない。だが、実際にはどうなのだろうか。


 私達は村から外れて木々の生い茂る林へとやってきた。


「レーレ、この木を無理しない程度に殴ってくれ」

「はい」


 と言うが早いが、私の目に止まらぬ速さで打ち出された拳は木を抉り、メキメキと不吉な音を立てて気は倒れてしまった。


「人間じゃないな」


「人間でも魔力を身体能力にまわした人ならできますよ、たぶん」アリスは有り難くない言葉を漏らした。


「それじゃ、耳を引っ込めて同じような力でこの木を殴ってみてくれ」


 とレーレに注文すれば、そのように行動してくれた。木を拳で叩いたような音がし、レーレはその場に蹲ってしまった。


「ああ、ごめん!」私が駆け寄ってみればレーレは目に涙を溜めていた。「痛くなーい、痛くなーい。ほら、痛くなくなった?」


「痛いです……」


 ああ、レーレの痛みを代わりに受けてやりたい……。


「わかりました!」くわっと目を見開いたのはアリスだった。「人種に変化すれば、力は人と同じくらいになるようですね。獣人、といっていいのかわかりませんが、獣耳と尻尾ありであれば力は狼との中間くらいでしょうか。単純な力で、ですけど」


 見た感じがそうだよな、わかりきったことを一生懸命に言うアリスも可愛らしいが、今は蹲っているレーレだ。以降、レーレは違和感は残るが、狼耳を出していくこととした。



 なんとかあやすことに成功した私は結局、宿屋に泊まることはせずに、森の中でレーレと一緒に寝たというのは言うまでもないことだった。その際にレーレは狼形態に戻ってもらった。そのほうがもこもこしていて寝心地が良いからだ。



 商人や冒険者の朝は早い。


 私は同行していた商人に同行することができなくなったことを話した。大変に残念そうにしていた。私はそのことに若干の心苦しさを覚えたが、必要なことだと割り切った。


 ほかの商人に顔を合わせてレーレの着ることができそうなものを購入した。あまりいいものではなく、シャツにホットパンツのようなものを購入しただけだった。ちゃんとしたものもありそうだが、ローブをつけていれば必要ないものだ。それよりも、私の新しい地味なこげ茶色のローブを購入した。あまりいいものではなく、レーレのローブを剥ぎ取ってやろうかとも脳裏をよぎったが、それはあまりにも可哀想だということで諦めた。


 私はレーレとアリスと共に村を出立した。


 右手に草原が広がり、のんびりと牛のような生き物と羊のような生き物が草を毟っていた。


「レーレ、こういう柵の内側にいる動物は食べてはダメだからな」


 レーレは大層残念そうに顔を歪めていた。

 レーレは狼の形態でなくとも身体能力は高く、動物を見つけてはその脚力で以て接近し、拳で以て沈黙させていた。偶に頭が吹っ飛び血がレーレを紅く染めていることがあったが、ご愛嬌というには凄惨な光景であった。可愛い顔をしてなんと惨たらしいことを。でなければ食べていけないとはいえ。通行人がギョッとした顔をしていたので申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 また、味のついた料理はレーレを虜にしたようだった。今までが食べることを娯楽というよりは必要に駆られてという意味合いが強かった分その反動だろう。ともかく、レーレには料理を食べるのであれば狼の姿では無理ということを懇切丁寧に説明した。その甲斐あってか、レーレは狼の姿になることはほとんどなくなったといっていい。



 一週間もせずに私達はサルフェルドとう大きな街に着いた。



主人公の属性です。

大学での専攻は理学系、化学ということです。

テンションが上がって化学脳になっています。



ブルイルは多年草で大きな葉であることが特徴です。

単子葉植物で葉脈は平行脈となっています。味はなく、粽のササように使われています。



フタロシアニンブルー

銅フタロシアニンです。鮮やかな青で道路標識や新幹線の車体の青に使われています。水素をハロゲン化することで色調の異なった色合いを出します。

有機半導体材料としてフタロシアニン系は大活躍です。



アズール

ラテン語の「Azul」から。日本語訳で青い、青色などを表します。

アズレンという化合物は上記から命名されました。

目薬など、青いものにはアズレン骨格をもつグアイアズレン、グアイアズレンスルホン酸ナトリウムなどが使われています。

アズレンは機能性材料としてだけでなく薬理活性の面からもなかなか注目されている分子といえます。

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