018話
「み、身分証の提示をお願いします」
見ているのは私ではなく、レーレだった。レーレは顔の大きさだけで私の身長くらいあるのではないかというくらいの大きさになっていた。当然ながら、私を含め普通の人間くらいなら一口で容易に腹に収まってしまうだろう。
わらわらと集まっている守衛を見てまた追い返されるかとも思った。なんせ二年半前のことだ。忘れるなんてことはない。
「用件をお聞かせ願えますか?」
「知り合いが亡くなったのでその報告を。彼の身分証は預かっている」
「わかりました。ですが、魔物は入れませんのでここで待機してもらうことになります」
「わかりました」
ヒゲの立派なおっさんはレーレを見ながら言った。
随分と昔に同じようなやり取りをしたきがする。
私の後ろには守衛が二人。顔は伺えず、無言の威圧感がついてまわる。
「サカモト様ですね。本日はどのようなご用件でしょうか」
私はアクロイドの身分証を出した。
「知り合いが亡くなったのでその報告に来ました」
「わかりました。確認します」
確認って。確認する方法か何かあるのだろうか。
「それと、手紙、荷物を家族に届けてもらえないでしょうか?」
「そのような業務は行ってはいませんが、どの程度の荷物になりますか?」
私は彼が大事にしていた乳鉢、秤、銀匙、凝った装飾の施されたナイフ、そして手紙と彼と共に制作した一冊の本を提出した。
「手続きに時間がかかりますので座ってお待ちください」
少しすると職員は新しくやってきた人と話をしていた。
私は呼ばれたので話をしに行った。
結論を言うと、家族に届くまでに2ヶ月近くかかるということだった。手紙だけならばいざ知らず、荷物というのがネックになるらしい。まずある程度荷物が集まらなければ配達がされず、配達の為だけに隊が組まれる。人件費のみですら大変なものになる。よって寄り合って各人の負担を少なくするというのが目的なのだ。
私は提示された金額に一割上乗せし、必ず届けてもらえるように頼んだ。
その後は手続きなどなく私は組合に寄って毛皮を換金して街をでることにした。
レーレの巨体は目立つ。寝そべっているようであり、いい子にしているようだ。
レーレはいい子にしている。レーレは。
近づいていくとよくわかる。
レーレにちょっかいを出している人間がいるようだ。レーレは寝そべったまままるで相手にしていないが。それが相手を煽っているようにみえるのだろう。
「剣を抜きそうですよ」
「それはよくないな。急ごう」
アリスの言葉に急がされる。
「ちょっと本当に剣を抜いたわよ!」
「おい! 守衛のやつらは何してんだよ!」
「私に言われても!」
こんなやりとりをしている間に剣がレーレに叩きつけられるのを見た。レーレはなんでもないかのように寝転がっていて欠伸すらしていた。ってどんだけ頑強なんだか。
私は走る速度を若干落とした。
レーレも私に気がついたのだろう。顔を上げて尻尾を激しく振っている。それに驚いたのは近くにいた銀に光る甲冑を着込んだ奴だった。ビクッ、一瞬後退る姿をみて笑ってしまった。
「け、獣風情が!」
「人の家族に向かって獣とは随分ですね」
頭に血が昇って私が近づいていたことにも気がつかなかったようだ。
「貴様がこいつの飼い主か!」
「そうですけど、どうかされましたか?」
「どうかされました? ではない!」
レーレは完全に無視して前足を舐めている。目の前の男の怒り心頭といった感じでそれを隠そうともしていない。まぁ、レーレは何もしていないだろう。
「見たところ何もないようですし、私達は」
「ふ、ざ、けるなー!!」
とてもうるさい男である。
「それでは、どうするのです?」
「君も落ち着いて」
私と同い年くらいの身なりの良い男が横から口をはさんできた。
「シャテンステイン様」
「どなたでしょうか?」
「どなただと? シャテンステイン子爵様である! お前のような下賎な魔物使いが言葉をかけてもらえるだけありがたいと思え!」
一々煩い。大声を出さなければ話すことができないのだろうか。
「それでその子爵様が何用ですか?」
子爵様とやらは何も言わない。
それどころか、よく考えたら守衛もなんとかしとけよ、と言いたい。“人の”という言い方は良くないが、私の家族であるレーレが目の前でちょっかいかけられているのだから注意くらいしてくれてもいいんじゃないかと思う。それとも何か。この男が子爵だから何も言えないとか。
なんという貴族社会、なのか?
「聞いているのか? 名誉なことだ! お前の魔物を買い取ろうというのだ。1,000,000ドルまで出そう」
「お断りします」
「な!?」
「2,000,000ドル出そう」
「いえ、結構です。
それよりも、先程はレーレに対して刃を向けていましたね。落ち度のないものに対してそういった仕打ちをするのがまともな人間だとは思えません」
「愚弄するか!」
「いえいえ、食べられなくてよかったですね。レーレの気を引くこともできなかったようですが」
「おのれ!」
開一口、斬りかかってきた。それを認識できたのはアリスが障壁を貼ったからで、私は何をされたのかわからなかった。ついで、トラックに撥ねられた如く甲冑の男が吹っ飛んだ。遅れて風が通りすぎ目の前を白い影が横切っていた。レーレの前足だった。
冗談のように跳ねて止まったが、死んでないよな。
むくりと起き上がったが無事ではないようだった。腹部がベコリと凹んでいる。
「あ、大丈夫ですか? あと正当な防衛です」メイビー。
咳き込んで言葉になっていない。
自業自得ではないか。アリスがいなければ私が切られていたかもしれない。いや、レーレが丸呑みにしていただろうか。
「この国は失礼な人しかいないのでしょうか。
私は不快で仕方がありません。レーレだって手を挙げたくもなりますよ」
「本当のことだとしても、言っていい時と悪い時があるぞ」
「お前も大概失礼である」
知らないおじさんに言われてしまってではないか。それよりも誰もあの転がっていった男に駆け寄りもしなければ言葉もかけていない。心配ではないのか。
「失礼した」
「いや、まぁそれはいいです。それよりもあの人大丈夫なんですか?」
腰を曲げて謝罪されてしまえばなんでも許してしまいそうになってしまうのは日本人の性なのか。
「あの程度ならばどうということはない」
「もういいよ。どうせくれないんでしょ。さっさと行こうよ」
なんとか子爵は興味が失せたとばかりに言葉を発し、隊長格の人が声をかけて馬に乗り込んでいく。
私はぼーっと立ってその光景を見ていた。
馬で移動しているのですぐに姿は小さくなっていった。
「何だったんでしょう?」
「行き先は反対方向に行こうか」
「そうですね」
「レーレ行くぞー」
私達は背を向けて歩き出した。
街からも遠ざかり、一本の長い道が続いている。行商人か旅人か同じ方角へ向かう者も多い。その誰も彼もが一度は私たちを見てくる。
「目立つよなー」
「そうですね」
休憩がてら考えている。
レーレがでかくなりすぎてレーレを街に入れることができないという問題について。
「どう思う?」
「私に言われても」
困った顔でレーレをみるアリス。私もレーレを見るが、当のレーレはは街道脇の草むらを見ながらあくびをしている。お前のことが議題となっているのに、そのことに関しては無頓着らしい。わかっているのかどうかも怪しいところだが。
「そうですね、レーレもそろそろ大人、でしょうか」
「いや、こいつは大人ではないな」
「いえいえ、この巨体から言ってもう大人といってもいいのではないでしょうか。そこでですね、これです!」
懐から出してきたのは紅く燃えている宝石。
「魔法結晶?」
「そうですよ! レーレの母親の!」
「ああ」
あのウィンドウルフって母親だったのか!
「それでですね、レーレも大きくなってきたのでこの魔法結晶をレーレに受け渡してもいい頃合だと思うのですよ。今まで与えなかったのはレーレがまだ未熟というか子供っぽかったからですね。魔物ですからその魔力に振り回されるということも十分に考えられましたし」
「ほうほう、で魔力結晶をレーレが受け取るとどんなことが起こるんだ?」
「レーレの魔力量はさらに上がるでしょうね。体格に関しては一応成長限界をむかえるんじゃないでしょうか? でも体格ですから、変わらないかもしれないですし、やってみないことには」
「だとするとなにか? あのウィンドウルフと同じくらいの大きさなになるということか」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」メイビー メイビーノット
というわけで、と前置きしてアリスはレーレに魔力結晶を押し付けていた。食べさせるとか、額に当てるとかそういうものではなくて、前足に徐に当てただけだった。
淡い光を放っていた魔力結晶は徐々にその姿をレーレに埋もれさせていった。一瞬、でっかいダニがレーレについているような感じがした。
簡潔に言うと何も変わっていないようにしか見えない。
「何か変わったのか?」
「見た目は、変わってないですね……。あと凶暴化もしてないようですね」
凶暴にならなくてよかった。
私なんかはローブを着ているからなんとかなるかもしれないが、そこらへんを歩いている人なんかはレーレのひと振りで物言わぬ蛋白質になること請け合いだ。
「あ、預かったものを返すことができたので良かったということでいいでしょう!」
「投げやりだな」
「いいじゃないですか」
いいけど。それにしても変化なし。面白くないと言っていいのかわからないが。何事もなかったということでいいだろう。
私達は街道に出て歩き始めた。街道は馬車二台がすれ違えるくらいには広く整備されている。しかし、整備とは言っても草が抜かれ踏み固められているくらいなものだ。大きな石なんかも見ることができ、馬車で進むと尻が痛くなりそうなものである。
この街道はハーディからクロステル侯爵直轄地であるサルフェルドという街に続いている。クロステル領で最も栄えている街と言っていい存在であり、クロステル領と王国中央を結ぶ拠点として物資人員が共に集まる場所でもある。故に商業都市との側面も併せ持つ大都市である。私はそんな説明を聞きながら馬車に乗る商人を見上げた。
「ところでサルフェルドまで行ってどうするつもりなんですか?」
「そのサウフェルドという街に興味があるわけではなく、行く先にサルフェルドがあるだけなんだ」
「そうですか。でもあの街はハーディなんかより随分と活気がありますよ。あ、ハーディなんかと言ったのは内密に」
こちらを見て笑いかけてくる。なかなか話し上手な商人である。他に商人が3人。護衛として雇われた冒険者が4人という出で立ちであった。冒険者は私に対していい感情を持っていないようであった。ハーディでのあれであろう。商人たちはというとそうでもないようであった。
「よろしければご一緒しませんか? と言っても報酬はありませんが。商品が欠けることなく街まで着けたなら特別報酬を出しますよ」
少し魅力的な話だ。私はこうして歩いてもあまり疲れることはないし、疲れたならばレーレに乗っていればいいだけの話なのだ。それに、向こうにはもちろんメリットがある。私がレーレを連れているということだ。レーレは魔物であるから有象無象の冒険者よりも強いことは見て取れることだろう。敢えて私たちを襲うというリスクも少なくなるわけだ。それに正式に依頼しているわけではないので多額の報酬を払わなくても済むという問題がある。デメリットとしては正式な依頼ではないので私がいつでもこの場から離脱することができるという他に、私たちに襲われてしまうという危険性が存在する。先に身分証、組合員証を見せていたので一応の信頼は得たのかもしれない。
私たちのメリットとしては四六時中気を張らなくてもいい点だろうか。それと自由に高動画できることだろう。あとこれが一番大きいのだが、他人と会話ができるという点だ。村のおっさんとかならば話すことはあっても商人なんぞと話す機会なんていうのはこれまでにほとんどなかったといっていい。商人らしき人といえば村で雑貨を扱っている商店主くらいか。それはもはや承認ではなかろう。しかし、こうして足で稼いでいる商人というのは話がうまい。私もこれくらい話が上手くなりたいものだ。
「アリスはどう思う?」
「迷うことはないでしょう。それこそ私達、ではなくレーレですが。レーレに対することができる個体がなんていくらもいないでしょう。お金はあって困りませんし、次の街では是非本が買いたいです!」
本って高いからね。
それにハーディでは買えなかったし。なんとかなるだろう。
「よろしくお願いします。私達も出来る限りはお手伝いします」
そうして一気に大所帯となった私達はサウフェルドを目指した。
身分証以外にもお金を入れることができます。
また、身分証からのお金の引き出しは本人並びに公共の場でしかできません。公共の場といってもそこらの役所ではできないため、役所が立て替えて払うことになります。遺産相続のようなもので、故人に縁のある者もしくはそれ以外であれば一筆認めた物が必要となります。