017話
「ジロウ殿食べられよ。そなたとレーレ殿が獲った獲物だ」
初老と呼ばれる年を既に何年も前に通った老人が言った。
老人は自分のことを薬師だと言った。
薬師というのは薬草から薬剤の調整を行う者であるそうだ。もちろん、そこに回復魔法なり魔術なりが使えればその効果は格段にあがる。老人はそういったことを生業としているようだ。
「それにしても、薬草もこう使えば美味しい料理となるのですね」
「うむ。薬草といっても千差万別じゃからな。香草もそうかわらん。なんせ草じゃから」
「へぇ」
「長年このようなことを生業としているが、ジロウ殿たちはほかと違うな。それこそお人よしと呼ばれてもいいくらいじゃ。それで助けられたわけじゃからワシとしてはいいことじゃと思うぞ」
否定はしない。日本人として、それが身に染み付いているのだからどうしようもない。
「まぁこのようなところで死ぬとは出てなかったからな。これも運命じゃ。死なぬとわかっておるからこそできることもある」
「呪い、ですか?」
「似たようなものじゃよ。それでも当たるときは当たるし、外れるときは外れる。ワシは都合のいいことしか覚えとかないからな!」
顔中を皺くちゃにして大きな声で笑っていた。
ハーディを離れて既に2ヶ月が経過していた。
私達はハーディ周辺の村々で必要な物資を購入しながらその日暮しをしていた。雪の中でもローブにくるまって寝れば寒さも問題なかった為、野宿ばかりを繰り返していた。食事に関しては肉であればこのあたりを彷徨う動物を狩りに狩りまくっていたので問題はなかった。だが、野菜などは村で採取した毛皮や肉と交換していた。アリスがうるさいからな。
冬季、この地方は雪に覆われる。積雪が1 mを超えるようなことはほとんどないが、それでも雪に閉ざされている間、村々は閉鎖されているといって差し支えないだろう。例外としては商魂逞しい商人や冒険者、ハンターなんぞと呼ばれる者くらいだろう。
動物の活動時期として春、秋が最も活発である。対して冬は冬眠時期であるのだろう。動物をさほど見かけなくなる。だが、冬には森奥にいた動物が村の近くまでやってくる。特に留意すべきは熊や狼といった動物であろう。熊は単体での生命力・力の強さ、狼は集団で獲物を狩る。できれば会いたくない相手といっていいのではないだろうか。
日も暮れてしんしん雪が積もる街道を歩いていた。
暗くはなっているが、妖精たちの戯れで淡い光があたりを満たしている。
膝まで積もっている雪を踏み固めながら歩く。
レーレが雪に顔を突っ込んでボロ雑巾のようなものを引き上げた。
人だった。
老人はアクロイドと名乗った。
しかし、魔法というものは便利だ。まず魔法で火を起こせば魔力が無くならない限り消えない。つまり、魔力さえあれば雪の上でも火が絶えることはないのだ。
老人は私達の毛皮に揉まれている。暖かいらしい。
「それで、どうしてこんな雪の中で倒れていたんだ?」
「あ、もしかして隠れ鬼ですか?」
キラキラした目でアリスが聞いている。いや、一人でそんな遊びをしていたら怖いだろ。
「そんな歳ではないが、そうじゃな。ワシは薬師をしておる故、この時期には薬が必要になる村が多くてな。それで村を巡っては薬を届けていたんじゃ」
で、その結果がこれなわけだ。
話を聞く限り、私よりもお人好しに聞こえる。
アクロイドはガツガツと肉塊を食していた。
私はレーレに体を預けてうとうとと老人の話を聞いていた。
目が覚めると、世界が朱く燃えていた。朝焼けに照らされ、白銀がそれらをすべて反射させる。
「おはよう、アリス、レーレ」
銀の海原に狐が飛沫をを上げる。
さっとレーレが駆けていき獲物を仕留める。私が雪から水を作っている間にレーレが狩りを行う。今では随分と手馴れたものだ。レーレがいれば大抵の動物は寄ってこないし、レーレの脚力を以てすれば見える範囲なんぞ風が駆けるが如く疾走する。2 mを超える熊であっても難なく仕留めてくる戦闘能力には驚かされるばかりである。
鍋に割った骨と肉、少しの野菜と塩を入れてグツグツと煮込む。その間に皮を剥いでいたら結構な時間が経つ。
アクロイドにも食事を振舞った。
「ジロウ殿たちはこれからどうするんじゃ?」
「特に用事も目的もないけど」
「それならどうじゃ。少しの間一緒に廻らんか?」
「ええー。私達に世界に散らばるまだ見ぬ無数の本たちと出会うという高尚な」
「いいですよ」
「次郎!?」
「ほほう。よきかなよきかな」
目的があるわけでもない。この雪が溶けるまで、春まで一緒にいるというのも悪くないだろう。
実際、アクロイドは物知りであった。食べることのできる植物、薬草として使用できる植物、毒のある植物。ここらに生える植物について詳しいと言ってよかった。
「ふむ。単なる風邪じゃな。
暖かくして栄養のあるものをとっていれば問題ないじゃろ。水分の摂取は小まめにな」
その後にむにゃむにゃと何かしらの言葉を紡ぐと、子供はすやすやと眠り始めた。
「邪気が喉に巣食っているようであったからな。これで少しは楽になるじゃろうて」
両親は大層感謝し、さらに数件似た症状の患者に対して処置を行っていった。
私達は請われて村の宿屋にて宿泊することになった。
「アクロイドは顔が広いな。まさか宿屋に泊まれるとは思わなんだ」
「なんじゃ、また野営するつもりじゃったのか? 老体にはきついんじゃよ」
アクロイドは話しながらも植物の挿絵を描いている。私はというと、その植物の群生場所、食用の可否、薬用についての項を執筆していた。紙はいくらでもあった。問題はインク、ペンであったが、インクについてもアクロイドの知識が役に立った。木炭と幾らかの植物から採取される液を混ぜ、アリスの魔法によって成された。ペンは所謂羽ペンというもので、持ち手の部分には麻が巻かれただけの簡単なものだった。
丁寧には書いているが、お世辞にも綺麗とは言えない文字である。調子に乗って筆記体で記そうかとも思ったが、他の人が読めない――文字が崩れすぎて私以外には解読不能――可能性があるということで諦めた。
アクロイドは絵心があるらしく、非常にわかりやすい絵であった。顔料などがあればよかったのだが寒村にそんなものがあるわけがない。
「ちょっと次郎、スペルミスー」
「本当か? ちょっとそこの文字を消してくれ」
「イレイザー扱いされてるかわいそうな私」
「とかなんとか言いつつ、こうやって読めるのが嬉しいんだろ」
口ではいろいろ言っているが、この編纂作業には非常に協力的である。
村では何日か滞在し、このような編纂作業にあたっている。
「アクロイドの御陰かな。レーレも村にいれる」
はじめレーレの姿を見た村の人は粗末な武器を持って出てくるか、家の中に篭ってしまうというものであった。そこに村でも信頼のあるアクロイドが長と掛け合いレーレごと村での滞在が許された。
実際、レーレはよく働いた。食料を獲ってくるという意味で。この時期、肉というのは手に入りにくいものである。夏、秋の間に乾物とした保存食を大量に作ることによって冬を越す。それを水でふやかし食べるのだ。そこに生肉をとってくるレーレの存在というのは大きいものだった。私達は大変に歓迎された。レーレの獲ってきた動物は私達が食べるものを除けば全て村への寄付とした。宿で出てくる食事は大層美味しかったと言っておく。
春になっても編纂作業は終わらなかった。
必然、私たちの関係も継続していくことになった。
春以降になり、編纂作業は捗った。なんせ、実物をみることができるのだ。
私達は村へ行くのはもちろんだが、森や山に積極的に入っていった。驚くべきはアクロイドの体力と知識であった。本当に老人かと疑いたくなるようだった。
夏は鬱蒼と茂る植物を採取し、乾燥させる。
秋には紅葉を見ながら益々血気盛んになったアクロイドは野山を駆け巡った。
長い冬を迎えれば村々を駆け巡り。
そして、私達が出会って2年が経過した。
アクロイドは病に臥せっていた。
「ああ、編纂も終わってしまって気が抜けてしまった」
「アクロイド……」
「クロステル領の植物しか編纂できなかったというのは心残りじゃが。若人にもやることを残しておかないといかんからの」
ニヤリと口を歪めた。
「アクロイドが望むなら」
「いや、これも運命じゃて」
「まだまだ教えてもらいたいこともまだまだあったんだけどな」
「減らず口を」
「ワシが王都で薬師をしていたことは言ったの。アクロイドというのも家名じゃて。もしかしたらワシの孫がいるかもしれん。王都に向かうことがあれば頼るといいじゃろう。一筆認めておいた。アリス殿に預けてある。それと、一つ、ワシが死んだら近くの街で死亡手続を行って欲しいのじゃ。ハーディの事は聞き及んでいるが、頼む」
頷いて肯定した。
役所が置いてあるほどの大きな街は周辺ではハーディしかない。
「それにしても、まあ楽しめたわい」
「まだそんな時間でもないだろ」
「ほっほっほ……。
きつい言葉じゃて」
ふーっと息を吐いて目を閉じた。
暖かくしてある部屋には私とアリスしかいない。
「どれ、少し出ますか」
「大丈夫か?」
「なんの、これしき」
私達は外に出て、空を見上げた。アクロイドは雪をどけた石の上に毛皮を、その上に座っている。
「満月、ではないようじゃな」
「あと数日で満ちそうだけど」
「それにしても、いい夜じゃ。静まり返って」
私は肯定も否定もしなかった。
「失礼して、私が少し面白いことをしましょうか」
アリスはアクロイドの傍まで寄ると、額に手を当てた。
「なんと、これ全て妖精じゃ!」
キャーキャーと遊んでいる妖精の声に混ざってアクロイドの声が木霊する。
「次郎殿、アリス殿はこのような景色を見ておったわけじゃな」
レーレが唸った。
「ほほっ。レーレ殿もそうであったか。
いや、素晴らしい景色じゃ」
目を細めてポツリといった。
「ああ」
アクロイドの体がぐらりと傾き、その体を支えた。
「おやすみなさい」
アリスは言葉にした。
アクロイドはそれから目を覚ますことなく、4日後に亡くなった。
翌日、私はアクロイドを背負い、山を登っていた。アリスは周りを飛び、レーレは周りを歩く。
「ここでいいかな」
「ええ、ここなら周りがよく見えます」
小高くなった場所に雪をどかし、穴を掘り、アクロイドを入れて燃やした。ちゃんとした火葬なんてわからないし、日本人として土葬なんてしたくはなかった。程なくして骨だけが残り、土をかぶせた。土の上に一冊の本をのせた。
『Plant P. A. Akroyd J. Sakamoto』
私とアクロイドの共著である。
ページ数は500を超え、重さもなかなかなものである。
カバーは羊皮紙を用い、本自体には経年劣化を起こさないよう魔法を施してもらった。
近隣の村を廻ってアクロイドが亡くなったことを伝え、長に本を寄付していった。
雪が溶け出す頃、私は再びハーディへと向かって行った。