016話
「次郎! 次郎!!」
「どうした?」
「どうしたではありません! 大丈夫なのですか?」
「ああ、問題ない。どこも異常ない」
アリスが心配してくれているのがわかって嬉しかった。
存在しない痛みに手が震える。アリスには爪を剥がされた事を除き、全て伝えた。私が痛い思いをしたなんて言ったら余計に心配しそうだったから。
そして私は固い石の床に横になり、早目に寝た。
次の日も同じ時間帯に呼び出された。
「あの魔物の爪と牙、なかなかの魔力を秘めている。あれも、」
「それは私のものです!」
つい声が出てしまった。
「次郎、次郎……」
顔を俯かせて肩を震わせるアリスが目の前にいた。
私は鈍い動きでもって手を動かし、アリスの髪を撫でた。
「どうしたんだ?」
「ああ、気がつきましたか?」
瞳からは涙が溢れ、頬を濡らしていた。
「も、もういいではないですか……。レーレだって、ヴォルケのエルフだってわかってくれます」
「何を言っている?」
アリスは目を見開き、私は軋む節々に叱責をいれ起き上がる。
「な、何も、覚えていないのですか? それよりも、連れて行かれてどのような話をしたのですか?」
「いや、寝る前に言ったよな」
私は寝る前に伝えたことをもう一度言葉にした。
アリスは一呼吸置いて話し始めた。
「いいですか、次郎。よく聞いてください。私がその話を次郎から聞いたのは4日前となります」
とても信じることができないような事を言ってのけた。涙をつらつらと流しながら。
「ナイフだって爪だって牙だってあげてしまえばいいんです。……正直に言うと、次郎を見ているのが辛かった。その言葉と述べた次の日、次郎は発狂したように騒いで寝たわ。その次の日からは怯えたように隅で丸まっていただけ。それからずっとそう。次郎が壊れちゃったのかと思った。ね、お願いだから」
「わかった。少し考えさせて欲しい」
私が胡座をかいて考えていると、その間にちょこんと座ってきた。思わず頬が緩んでしまった。
アリスの言い方からして私の持っているもの全てを奪おうというのだろう。
金ならば、と考えたが金は何物にも代え難い。どうするべきか。
「今日は機嫌が良さそうですね。先日まではあれほど怯えていたというのに」
「いえ、私も考えを改めまして」
改めるもなにもない。
「よく思い出しますと、あの黒曜石でできたナイフ。拾い物でした。自らの手で持ち主にお返ししたいのですが、私も旅の者。できれば貴殿らの手により返していただきたいのです。謝礼としては私の荷物入れ、そして魔物の素材、と言いたいところですが、その素材は街の外で待っている魔物の親のものです。罷り間違えてそれを紛失したとなれば魔物が怒り狂う可能性もあります。それ故その品はお渡しすることができません。代わりに、お2人に1人10000ドル、準男爵に10000ドルを寄付という形でお渡しするということでいかがでしょうか」
男たちを見て私はそれ以上の言葉を紡ぐことなく口を閉じた。
「そうか! いや、大したものだ。君も若いだろうにここまで善良であろうとするとは。きっと罪を犯したというのもきっと何かの間違いだろう。うん。
よかろう! 準男爵には私から申し上げておく。君は無実だ!」
嬉しくもなにもない言葉を頂戴し、私は「ありがとうございます」と述べるしかなかった。
痛い思いはしなかった。
「下郎! 次郎から手を離しなさい!」
アリスの物言いに私が驚く。
「ア、アリス? 俺は大丈夫だから、な。そんな大声出さなくても」
「次郎は覚えていないからそんなことが言えるんですよ!」
アリスの口を塞ぐと手の中でもがもがと騒いでいた。だが、せっかくここまで順当にきたのだ。波風は立てたくはない。
下郎と呼ばれた男は何も言わずに去っていった。
アリスから手を離して一息ついた。そして、もしあのまま男が手を伸ばしてきたらと想像し、血が引く思いがした。
「うう、一言いってやらないと気が済みません!」
「下郎とか言ったじゃないか」私はアリスの目を見ずに応えた。
「それはそれ、これはこれです」
「でも、これで近日中に出ることができるかもしれないぞ。そしたらここの不味い飯ともおさらばだな」
「それはいいですね」
「アリスが変なことをしなければ、の話だけどな」
「私が何かするとでも思っているのですか」
ジトーっと見てきたが、目を逸して笑っておいた。
やめろ、やめてくれ。
私の言い分は聞きいられずに私の口の中へ侵入してきた。ひんやりとした金属が無情にも口の中を蹂躙して。鉄の味はペンチのようなものからなのか、それとも私の血液なのか。一本、歯が抜かれた。それが何度続いたか。
自分の血で溺れそうになる。しかし、それもおさまった。
歯がある。
そして繰り返される抜歯。
何度も何度も何度も何度も。
叫びすぎで喉が炎症を起こしたとしても、それさえ治される。
何度も何度も何度も何度も。
時間がわからなくなり、脳髄に焼き鏝されるかのような鈍痛をいつまでも与えられる。
そして、私はアリスの言葉によって目が覚めた。
歯があるのを確認した。舌で確かめ、手で触って。そして安堵する。
額に張り付いた髪をはらうと、手に冷たい汗がついた。体に張り付く粗末な服が不快感を煽る。吐きそうになったが、胃に何も入っていないことを思い出した。
アリスがこちらを見ていた。暗闇に映る他の妖精も。
「すまない、起こしたか」
私はうつらうつらとはするが、熟睡ができなかった。
夜明けとともに看守の声で覚醒する。
「出ろ」
連れて行かれた場所はあの部屋で、持ち物が返却された。
そこから私は昨日のやり取りにより、荷物をわたした。かわりに麻で編んだ袋を一つわたされ、そこに残った荷物を詰め込んでいった。男たちに囲まれるとどうしてもあの光景がチラついて手が震える。そして急ぐのだが、なかなかうまく荷物がまとめられない。それを男たちは笑っている。
たっぷりと時間をかけて荷物をまとめ、服を着替え、そして私達は釈放された。
まず確かめることはレーレの安否であった。
私達は人の多い通りを通らずに民家の密集する裏通りを抜けて東へと向かった。私たちが捕まったことは既に知れ渡っているだろう。今は人に会いたくない。恐怖が蘇る。背筋に電流を流したように冷たい感覚が走る。
すれ違う人には何も言われなかった。ローブをつけていなかったからなのか、認識されていないのだろうか。
だが、街を出るには守衛に身分を確認されるだろう。
「身分証の提示をお願いします」
差し出された手を見て瞬間的に体が強ばったが、なんとか身分証を出すことができた。守衛は眉をひそめたあとで身分証を返してきた。
街を出て少し歩くと見慣れた犬のような存在が見えてきた。
なんかその存在が左右に揺れているけど、こちらに向かってくる気配はない。
私は倦怠感の残る足を動かしてその存在へと向かった。
「すごいな、これは」
レーレに風の妖精が群がっていた。その数20にもなろうか。
「どうやら動かないから妖精が集まってきてしまったんでしょうね」
「俺の言葉を守っていたのか」
ハッハッと息が荒い。決して私ではない。レーレである。
「それにしても、なんかでかくなってないか」
「そうですね……」
前見たときは私が持てるくらいの大きさであったのだが、今ではお座りした状態で私の身長ほどもある。明らかにでかすぎだ。
「でかくなりすぎだろ」
きっと食事事情が良かったに違いない。わしゃわしゃと口周りをなでてやると気持ちよさそうに目を細めていた。
「どんだけ食べたんだろ」
俺はこれほどまでに窶れてしまったのに、いや、餓死はしないらしいけど。
それでも、レーレが無事で本当に良かった。レーレに被せていたローブを取り、自分で羽織った
レーレが私の胸のあたりの匂いをしきりに嗅いできている。臭いのかもしれない。先に街で胃袋に何かを入れようかと思ったがやめてお湯に浸かるとしようか。
道すがら、身の切れるような冷たい風が一陣通り過ぎた。レーレに乗っていた妖精たちが一斉に飛び立ったからだった。
お湯に浸かると、疲れと嫌な思いが流れ出ていくようだった。
レーレは前のようにハイエナを数匹狩っていた。
私はそれを見ていたが、どのように捌くべきか考えていた。急いでいた為にナイフなどは購入していなかったのだ。アリスの魔法でずっぱりと裂いてしまうのがいいのかもしれない。
「あんまり考えないこと」
「ん?」
「それが長生きの秘訣よ」
「アリスが言うとなんか重みが違うな」
「でしょ。嫌なことはある程度忘れた方がいいわ。だってあの豚みたいなの、どう見ても次郎と同じ人間だとは思わなかったもの。主に顔とか」
「今思い出すとちょっとやっぱり豚っぽかったよな」
「そうですよ! きっと霜降りですよ!」
「レーレ食べちゃダメだからな。不味いから、ぶっくぶくのぶっよぶよだからな」
きらりとレーレの目が光ったような気がして釘を刺しておいた。いや、そのまま食べさせてもいいかもしれない。完全犯罪の一つになんか相手を食べて証拠隠滅とかあった気がした。いやいや、レーレにあんなモノを食べさせて腹を下してもいけない。
レーレの親の爪を使うことで捌くということはできた。切れ味は黒曜石の小刀には及ばないけど、困りはしないといったところだろうか。街でナイフを買わないといけないな。
肉は胃が受け付けそうになかったので、ほとんどレーレが食べてしまった。いくらかはアリスと妖精が食べていた。美味しそうだったので、私も口に含んで咀嚼して、飲み込むことはできたが胃には優しくなかったようだ。ズンッと胃にもたれる感覚が残った。
皮を乾かして麻袋に入れた。今までのと含めて結構な数になっていた。街に売りに行くか。
街に近づくとわらわらと武装した兵が出てきた。
「すみませんが、貴方を通すわけにはいきません」
なるほど。
手回しがいいのか、私のことが知られたのか。
「それと、そこの狼は貴方の魔物ですか?」
「そうだが」
少し冷たい言い方になってしまったのは仕方がないことだと思い。
「ここ半月ほど前に現れて、毎朝ここにダラハイエナを十数匹もってきてくれていたのでな。それに、野生動物に襲われていた者を助けたりなどこの街の為によく働いてくれているのだ」
「と、諸事情あるのだが。簡潔に言えば、この街にその魔物を寄付していただきたい」
「断ります」
当然。悪い意味で私の記憶に残った街である。そんなところにレーレをおいて行っていいわけがあるまい。それにレーレはまだ子供だ、たぶん。子供がこの街の悪い気に当てられて悪い方向へ進むのは看過できない。当然の帰結である。
「なっ!」
驚くことではないだろう。
「いや、しかしそれは困る」
「レーレがいなくなれば私が困ります」
「準男爵に掛け合えば多額の」
「断ります」
いや、もう街に入ることもないのだから、迂回して次の街に向かうのがいいのだろう。
「犯罪者の分際で」
そういうのは聞こえないところで言うものなんじゃないか?
「もういいではないですか。こんな街に何を期待することがありますか? 冤罪で高速したに飽き足らず、次郎の財産を奪い。レーレも次郎の為を思ってやっていたようですがそれも生かされず、剰えその好意に甘えようとするその考え。次の街に期待しましょう。ここでこうしているだけで不愉快です」
「お、おう」
アリスがそこまで言うのに驚いたが、それよりも空気がピリピリしているというか。
「はい、行きましょう。すぐに」
守衛も呆気にとられているようだ。その隙に街に背を向けて歩き出した。
背中から声が投げかけられたが無視をしていけないことはない。
さらば。
この街で起きたことはなかったことにしよう。
それがいい。
「次郎、こっちに街があるんですか?」
「知らないけど、ないことはないだろう」
「この街よりもましであればいいな」
「そうですね」
歯の神経はかなーり敏感らしく、歯を削るととても痛いですよね。
あと、作者は歯が抜けてしまう夢は何回も見ています。
あまりに頻繁にみるので、それが夢だと気付くことも稀にあります。
1000PV超えました。
ありがとうございます。