014話
ユーラシア大陸の東にStafford Riverという大河が存在する。場所によっては対岸が霞んで見るほどの川である。グランデール王国を含め、諸国を巡るこの川は豊穣の大地を育むと同時に人々に牙も向けてきた。その支流であるレイド川はグランデール王国を縦断するように存在する。またそれにもその数多く支流が存在する。
支流の中にハーディを掠めるように流れている川、地元ではソームと呼ばれる川がある。山から森へ、そして平野からレイド川へと合流する。森では獣や魔物の存在から漁をすることは難しいため、平野へ抜けたところで漁をするものが大半となる。その人のこない森に今、1人と1匹の姿が確認できた。
「私は!?」
「あん?」
「精霊の数え方は柱です。つまり、1柱と1人と1匹ですね」
「ちょっとまった。なんでアリスがはじめなんだ?」
「それは人や動物といった肉体に依存している生命体の越えられない壁をあっさりと超えてしまっている私って、すごいと思いません?」
突然何を言っているんだ、この虫は。
「よーし、レーレ。一緒に水浴びするか」
尻尾をふりながら吠えてくる。
「そうかそうか、一緒に行くか。虫はあのままでいいよな」
「待ってくださいー! 何ですか? 何ですか!?」
「そうだよなー、俺たちとは違うんだよなー。そんな高貴な存在が俺たちと一緒にいること自体おかしんだよな。大丈夫、レーレには俺が付いてるよ」
「無視しないでくださいよ! 謝りますから!」
肩口からそっとアリスの方を向くと、目の前に顔があった。
「おわっ」
「人の顔を見てそんな驚くことないじゃないですかー!」
「ちょっと近くて驚いただけだから」
むんず、と鷲掴みにしてレーレの上に乗せた。
「いつもいつも、もう少し乙女として扱ってくれてもいいじゃないですか」
「乙女って」
「永遠の乙女ですから」
それはロリババアという存在なのではないか。
「んじゃ、温度の調整をよろしく」
「はいはい、っていいように使われているだけのように感じるのですけど」
「無駄口はいいからいいから」
むー、っとしながら川辺にできた水溜りに手を突っ込んで魔法を使ってくれた。おかげで今日も風呂に入ることができる。いや、小さい子が川辺で遊んでいるようで微笑ましい光景なんだよね。
「いい湯加減ですよー。
ってぎゃー! なんで裸なんですか!」
「裸にならなかったら入れないではないか。それに何だ? 精霊に全裸もなにもなかろう」
「うー! デリカシーがなさすぎです」
川の水を取り込んでいるので魚が入っていることがある。温度が上がることで浮いてくるので、それはもれなくレーレの飯となる。
「あたたかいなあ。ほら、アリスも入れ」
アリスを掴んで服を脱がすのだが、すごい騒いでくる。風呂に入るのは嫌いではないのだろうが。
「暴れるな」
「うう、汚されちゃった」
「今から綺麗にしてやるから」
レーレは我関せずお湯に浸かっている。頭だけ出して、愛らしい。
何故こんな森の中で私たちがお風呂と称してお湯を浴びに来ているかというと、いろいろと問題があったのだ。
まずはレーレ。レーレは魔物ということで街の公衆浴場には入ることができない。もちろん、犬のように公衆浴場の前で待たせておくこともできない。店の前で待たせようとしたら注意されたこともある。店の中に入ることにもいい顔をしないところもある。ましてや、借りている部屋にレーレだけ残しておくなんてことはしたくない。レーレも嫌がるし、何よりもレーレ自体もまあ獣だから洗わないとちょっと匂いってくる。
次にアリス。何故か公衆浴場には入りたくないなんぞとぬかす。
等々の諸事情により街から離れた場所で湯浴みに励むこととなったわけだ。こう、人の入ってこないところでないとなかなか水浴びというのもやりづらい。露出癖などないわけだから、あまり他人に裸なぞ見てほしくはないわけだ。
しかし、悪いことばかりではなかった。
なんと私にも魔法が使えたのだ。この言い方には語弊があった。なんと私は魔法を使えたようだ。
魔法というものは潜在的に使えるものを言うらしい。魔法陣、呪文を唱えるのは一般に魔術と分類されている。なので、私が使っているのは魔法ということになる。魔法とは資質のある系統のものしか使えないらしい。それに魔術を組み込むことで更に持続・威力といったものが向上する。
ちなみに私の資質というのは重さ、いや重力に関するものらしい。たぶん。なぜそのようなことがわかったかというと、ただ単純に重いものを持ち上げることができたからである。それであれば、どの属性にも属さない肉体強化かとも思われるが、アリスが重力加速度操作であると言っていた。仮にも精霊の言である。信じてもいいのではないだろうか。思い当たることもある。いつもこんな大荷物を背中に背負って活動をしているというのに、そんなに疲れることはない。また、リュックは少なくとも20 kg程あるそうだ。そんな重さのもの持ち上げるなんて、私であればよほど覚悟を決めなければ持ち上げるのは無理なはずだ。最後に、この川原にできた即席の風呂。元は大きな岩がここに埋まっていたのだ。少し離れたところに置いてあるが。持ち上がるかな、と軽い気持ちで持ってみたら持ち上がったわけだから。その時の私の驚愕といったら筆舌し難いものがある。
私を中心として任意の球体範囲の重力加速度を変化させるというだけなので、実質的には重量を軽くするに等しい。それくらいにしかできないというのも情けない話である。私を中心としているわけだから、重力加速度を10倍なんかにしたら私の全身の骨がばっきばきとなるのは目に見えているわけだ。魔法はイメージ、魔術は理解。それが理想らしい。魔術に関しては理解していなくても魔法陣であればそれを描けば発動できるし、呪文であればそれを言葉にすれば発動できる。だけども、理解することによってその威力、魔力変換効率が異なるとかなんとかアリスが言ってたような気がしたけど、眠たくなってきたのできちんと聞いていなかったとしても致し方がないことだといえよう。
きちんとした魔法資質の確認というのも存在するのだが、もう少し大きな都市でないとないとのこと。魔力資質では火、風、土、水、その四大属性が主となり私のような重力に関するものはあまりいないそうだ。四大属性と呼ばれるくらいだから多分に研究されている分野でもあり、応用力といった点でも非常に優秀である。原則では一人一属性。アリスのような精霊的な存在にはそれが適用されないらしい。あとはエルフ。彼らは他の種族に比べて魔力量も多いので魔法陣、呪文等を使わなくてもある程度ならば魔法を行使できるとのこと。まあアリスなんかも魔法を使うときは力技みたいな言動をしていますし、それで間違いないのかも。
また、魔術を習っていなくとも、魔法を扱うだけの才能があれば食には困らないというのが組合の言葉である。少なくとも、普段の生活であれば火の魔法資質はライター代わりにかなり役に立つだろう。どうでもいい話であった。
「あったまるなー」
「そうですねー」
紅葉を見ながらの風呂というのもいいものだ。
魔物使いというのはあまり世間ではいい目では見られていない。少なくともこの街では。先述のとおり、魔物というのが大きい。何故人に害をなすものを育てるのか。面と向かっては言われない。だが迷惑そうな顔は隠しきれていないというのが正しいだろう。魔物によって親族を殺されたものもいるだろう。そういう者たちの立場ならどうなのか。私には思うことしかできない。他の街ならば違った反応なのかもしれない。
もう一つ、魔物使いが嫌われる理由がある。卵性の魔物であれば違うのだろうが、胎生の魔物をどうやって懐かせるのか。そこに尽きる。生まれたばかりの魔物を奪って育てる。もしくは、魔物の親を殺してその皮を被って懐かせる。そのようなことだったか。あまり褒められた方法ではないのだろう。親と子を引き離すというのは魔物であっても、人の感情というものは感化されてしまうということだ。私は常にローブを被っている。レーレと同じ色の毛皮の。それを見ればどのようにしてレーレを懐かせているか、想像力のない人だってわかる話だ。私はこの街では受け入れられていない。金払いがいいから、私が形だけの貴族であるから何も言ってこない。冒険者組合なんて露骨に言ってくる人もいるけど。
金もあるし、ここらでこの街を出て行くのがいいのかもしれない。多額の金を持っているというのが大きい。
「どうしたんです? 眉間にしわを寄せて」
「日本酒があればよかったな、と思って」
「次郎の国のお酒でしたか? 私も飲んでみたいものです」
「ああ、いろいろな味があって。ライスから作るお酒なんだけど、それが美味いんだ」
「へー、エールよりもですか?」
「エールにはエールの良さが、同じように日本酒には日本酒の良さがあるんだよ。少し温度上げてくれない?」
「これくらいでいいですか?」
「ありがとう」
ふー、と肺から息が出てくる。
レーレは飽きたのかお湯から上がって体をブルブルと震わせた。もわっとなった毛でもこもこしている。アリスがそれを見て喜び、私はそれを見て口角をあげる。
「レーレ、あんまり遠くへ行くなよ」
一声して木々の中に消えていった。レーレにこの森で敵うものなど、それこそ魔物でなければいないだろう。戻ってきたと思ったら、ダラハイエナを咥えていた。都合八度。
現在、大絶賛血抜き中である。川に浸けとくだけという非常にシンプルなものだ。捌いてしまうのも最近では慣れたものである。それも黒曜石の小刀が素晴らしいの一言に尽きる。よく観察すると、黒曜石自体は物体に接触しないのである。さすがはエルフの作ったもの。血もつかないから洗う必要もないし、切れ味が落ちるなんてこともない。力、魔力を込めれば木だってすっぱり抵抗なく切れる。石だって切れないことはない。断面なんて綺麗なものだ。
そこで、石の上下を平になるように切り、石で竈を組んでいく。上には先ほどの石のプレートを載せたら出来上がり。レーレには倒木など薪になりそうなものをとってきてもらう。竈に適当な大きさにした薪をいれたらアリスに火をつけてもらった。温まるまでにダラハイエナを厚さ3 cmくらいに切ってステーキの出来上がり。レーレに関しては生でもいいのだが、一緒のものを食べたいと思っても罰は当たらないだろう。
「肉ばっかりは良くないですよ」
「これをどうぞ」
「瑞々しいですね。美味しいのかな? 美味しいわけないよね! 足元に生えている草じゃない」
「アリスなら腹も壊さないって」
「そういう問題ではありません!」
「我侭だな」
肉を小さく切ってやると、ブツブツ言いつつもどこか嬉しそうな表情で食べている。小さく切ったのは近くにいる妖精にもあげている。なんだか餌付けしているみたいだ。
レーレにいたっては、はじめは焼いていた肉を与えていたのだが、大きな塊でも一口で食べてしまうので焼くのが追いつかなかった。焼ける合間に肉塊を切ってレーレに与えている。
狩っては食べ狩っては食べてを繰り返しているうちに日は傾き、夕方となっていた。
「今日は野宿でもいいか?」
「雨も降る気配はありませんしいいのではないでしょうか」
寒さに関してはこのローブがあれば問題ない。
「火はどうします?」
「空気も乾燥気味だしな。用心して消しておくか。火を起こそうと思えばすぐだし」
アリスがなにかすると炎は瞬く間に小さくなり消えてしまった。
「何したの?」
「空間を限定しただけですよ。火が燃えるには燃素でしたか? それが必要なんですよね。空間を限定すれば燃素を絶つことができるんじゃないかって」
「酸素な、酸素。しかし、燃素なんていう言葉は久しぶりに聞いたぞ」
「それそれ、酸素」
酸素という言葉が面白いのか騒いでいる。騒がしいのは本を読んでいない時か寝ていない時以外か。
「それじゃ、ちょっと俺は寝るから何かあったら起こしてくれ」
「はいはい」
「頼んだぞ、レーレ」
「私じゃなかった!?」
「アリスも」
フードも被れば視界も閉ざされて安眠に誘われる。
「次郎、起きてください」
耳元でそっと囁かれる声で目を覚ました。
「何があった?」
「近くに人の気配がします」
そっと周囲を見るが、何もわからない。
「レーレが警戒しています。妖精もそわそわしていますね。十中八九、人です。それも少なくない人数」
「レーレ、殺すなよ」
こちらの言葉がわかるのかわからないのか、それが私には分からないが、レーレを信じるしかない。
「まぁ襲ってくるって決まっているわけじゃないし」
「そ、そうですよね」
「遭難者かもしれない。アリス、火を」
私達には状況がわかるが、向こうはわからないだろう。
「だれかいるのか?」
声を上げた。
少しして返答があった。
「狩りをしていたんだが、道に迷って」
そういうこともあるだろう。
「少し話を聞きたいんだがいいか?」
影からぬっと現れてきたのは5人ほどの冒険者風な出で立ちの男女。ほとんどがボロのローブを羽織、寒さから身を守っている。
「いいですよ、それよりも寒いでしょう。こちらに来て火にあたってください」
「ああ、ありがとう」
その言葉の直後に腹部に衝撃を受けた。
見れば、長剣が私に食い込もうとしているところで、男は嫌な笑みを浮かべていた。
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前項で述べた四大元素説については、本来ならば「空気・火・土・水」となっています。五大元素説においては「空気・火・土・水・風」となり風が出てきます。ここでは、空気の代わりに風を代用しました。
四大元素
http://p.tl/32sL
五大元素
http://p.tl/Y9Kj
燃素とはものが燃えた時に生じる物質と定義されているようです。
これが空間内に充満することにより、燃素が飽和状態になったのでそれ以上空間内に燃素が含むことができないので燃焼しなくなるとか。
アリスが言っているのは確実に燃素ではないと言えます。
燃素
http://p.tl/kIKE